平成10年度 宣言

子供への虐待…その予防と救済のための提言

第一 基本理念
 子どもへの虐待問題については、あらゆる場面において「子どもの最善の利益」が最優先されるべきである。親子関係において、親は子どもに対し適当な指示および指導を与える責任を負っているとしても、子どもの人格を否定し、自らの所有物の如く支配することは許されない。  被虐待児の救出にあたっては親子分離が必要となる場合があるが、その際には、何よりも子どもの安全、子どもの福祉が優先されるべきである。  また、親子分離の後は、原則として親子の再統合に向けて努力がなされるべきである。分離後における子どもの心理的ケアの必要性は言うを待たないが、再統合のためには親のケアが不可欠である。  現在、わが国においては、心の問題に時間と費用をかける考え方が、いまだ定着していないといわざるを得ないが、人的、物的両面における心のケアシステムの充実が急務である。  一方、子どもへの虐待は重大な人権侵害行為であり、それが犯罪行為に該る場合は、虐待をした親は当然刑事責任を免れない。ただし、その際には、虐待する親自身も被虐待経験を有することが多く、ケアの必要な存在であることにも留意すべきである。

第二 制度に関する提言
 子どもへの虐待問題においては、司法のもつ適正手続と強制力に大きな期待がかかっている。従って、司法関係者は虐待問題について意識を高め、そのニーズに応える努力をすべきである。
 しかし、それと同時に現在の法制度では十分な対応ができず、手続きにも不備があることは、もはや虐待問題に取り組む誰もが感じているところであるし、弁護士会も繰り返し提言してきたところである。従って、抜本的な制度改革は絶対に不可欠である。その柱としては、
通報から救出、その後の親と子のケア、再統合もしくは終局的分離に至るまでの確固たる法的手続を、司法を中心に構築すること
親権制度を見直して、子どもの人権を基本とした親子関係法に改めること
 具体的には現行民法の「親権」規定を改正し、親は子どもの最善の利益を基本に子どもを養育し指導する責任を負うことを規定すること
であるべきである。
 法制度改革の中でも、最初に取り組むべき課題は、通報システムの整備である。通報システムは、家庭という密室で行われる虐待を発見するために欠くことができない制度である。もとより通報義務についてはすでに児童福祉法25条に規定されているが、通報を怠っても何らペナルティーがなかったこと、虐待があると誤認して通報した場合に責任を追及されることを恐れることなどから、実効性に乏しかった。従って、この通報義務を実効性あらしめるために、A虐待の定義を明確化し、B医師、教育関係者など子どもと日常的に関わる職種については、通報を怠った場合には罰則ないしペナルティーを科し、C虐待を誤認して通報した場合でも責任を問わない、といったことが必要である。
 また、当然のことながら、子どもへの虐待防止システムの中心にいるのは子ども自身である。その子どもの声を手続に反映させるためには、子どもの代弁者制度が必要である。具体的には、米国のシステムに倣って、被虐待児救出の手続の中で、公的負担によって子どもに弁護士を付けることが考えられよう。

第3 関係諸機関に対する要望
 関係諸機関は、いっそう緊密なネットワークを構築すべきである。現在もその取り組みは見られるものの、実態を見るといまだ不十分といわざるを得ない。特に、児童相談所のより積極的かつ柔軟な姿勢と教育関係者の協力が不可欠であろう。最終的に目指すべきは、高度の専門性が確立した諸機関による分業を基本としたネットワークである。
 さらに、関係諸機関に対しては、子どもへの虐待が何をもたらすかについて実証的研究を行い、それを積極的に世にアピールすることを要望する。
 また、特に捜査機関や裁判所に対しては、虐待事件において被虐待児のトラウマ(心的外傷)に特段の配慮をもって事情聴取等を行うこと(必要に応じて心理学の専門家等の協力をあおぐべきこと)、被虐待児の供述の特性等について十分に研究し、考慮することを希望する。

第4 市民に対する要望
 子どもへの虐待問題においては、市民の関わりが不可欠である。市民は虐待の発見の場面ではきわめて重要な役割を果たすし、分離に至らない家族を支え、虐待の再発を防止する場面においても、市民の協力が鍵となる。
 また、児童相談所の判断や活動についても市民が民間ネットワークなどを通してオンブズパーソン的に関わることが必要である。なぜなら、児童相談所の権限と責任は重大であるにもかかわらず、十分なスタッフ等が配置されていない実情にあるので、市民としても児童相談所の活動を支える一方、懈怠や乱用の可能性に対して監視する必要があるからである。

第5 われわれの決意
 われわれは、児童福祉と司法の橋渡しになることで、子どもへの虐待が司法手続によって 処理されるよう働きかけるとともに、
 民間ネットワークをバックアップし、子どもへの虐待問題に関するわれわれ自身の理解を深めつつ、子どもへの虐待問題に関わる態勢を整備することを固く誓うものである。
 以上のとおり宣言する。
1998年(平成10年)9月25日
関東弁護士会連合会

提案理由

(子どもへの虐待の現状)
 近年、子どもへの虐待問題が社会問題化しており、児童相談所にもちこまれる相談件数も急増している。その様態は、殴る蹴る、罵詈雑言を浴びせる、性的関係を強要する、必要な衣食を与えないなど、多岐にわたっている。今年に入ってからも、立て続けに虐待による死亡事例が報道され、事態は深刻化する一方である。

(必要な制度改革の遅れ)
 子どもへの虐待問題については、ここ10年ほど前からさまざまなグループが取り組むようになり、弁護士もさまざまな角度から子どもへの虐待問題に取り組んできた。その取り組みの過程で、関係者の間に親権制度などを中心とする抜本的な法改正が不可欠であるとの共通認識が生まれるに至った。弁護士会としても、平成元年には日本弁護士連合会が親権について、平成3年には近畿弁護士会連合会が子どもへの虐待全般について、それぞれ重要な提言を行い、平成8年には児童福祉法改正に向けて日本弁護士連合会が意見書を作成するなど、制度改革の必要性を世に提言してきた。
 しかしながら、このような提言にもかかわらず、いまだに法制度の改革はなされず、旧態依然としたシステムのなかで、多くの子どもたちが救われずに家族としての機能を果たしていない家庭環境のなかに放置されている。われわれは、この現状に強いいらだちを感じざるを得ない。

(なぜ今、子どもへの虐待に取り組まなければならないか)
 われわれは、なぜ今、子どもへの虐待問題に取り組まなければならないのか。このことを再度確認しておく必要がある。
 第一に、虐待は、それ自体子どもの人権に対する重大な侵害行為だからである。
 子どもも大人と同様、ひとりの人間として侵すべからざる尊厳を享有していることは、子どもの権利条約を持ち出すまでもなく当然である。しかし、残念ながら、現実には、「しつけ」の名を借りて、あたかも子どもを自己の所有物であるかの如く平然と虐待を繰り返す親が後を断たないが、そういう親に限って親権を振りかざす傾向がある。また、周囲の人々や関係諸機関も、親権を不可侵なものと誤信し、親の子供に対する虐待に機敏に対応しているとは言い難い。しかしながら、人権侵害行為は親であっても絶対に許されるべきではない。あまりにも当然のことではあるが、いまだに十分に理解されていない現状に鑑み、われわれは、まずこのことを強く確認したい。
 第二に、虐待は、子どもに対し重大な悪影響をもたらすことが多いからである。
 虐待によって引き起こされるさまざまな症状のうち、われわれはともすれば身体的症状にばかり目を奪われがちであるが、より深刻なのは精神的症状である。米国においては虐待による精神的影響について豊富な調査結果があるが、わが国においても、全国の児童相談所の調査によれば、被虐待児の実に7割以上に何らかの精神症状がみられた。
 わが国や米国の調査によれば、虐待によって引き起こされる精神的症状は、不安、抑うつ、対人関係の障害、強い攻撃性などといった深刻な情緒的問題であって、反社会的行動、非社会的行動などの問題行動を伴うこともある。子どもにとって親子関係は人生最初の人間関係であり、その後の人間関係の基礎となるものであって、安定した親子関係の形成はきわめて重要である。その重要な親子関係において、暴力や性的虐待、無視や罵倒が繰り返し行われるとしたら、そのトラウマ(心的外傷)の深さは想像に難くない。
 また、このような情緒的問題を放置すると、将来、非行や犯罪につながる可能性があることも指摘されている。もちろん、非虐待児の多くは非行に走ることはないし、非行の原因が虐待に限られるわけでもない。その意味で、被虐待児が必ず非行に至るかの如く論じることは厳に慎まなければならない。しかし、一方で非行少年の多くが虐待を受け、または虐待的な家庭環境におかれた経験をもっていることは、米国での数々の調査結果にも表れているし、わが国において子どもの問題に関わっている人々のなかでもいわれていることである。また、先に述べた被虐待児に生じる情緒的問題の一部が、非行に発展しうる可能性を備えていることも事実である。従って、虐待問題と少年非行ないし犯罪が相当程度の関連性をもっていることは否定できない。
 昨今、頻繁に少年非行に関する報道がなされ、少年非行は社会の関心事となっているが、以上の観点からすれば、被虐待児を早期に発見し十分なケアをすることは、彼らが非行に陥るのを防ぐことにもつながり、少なくとも一部で言われている短絡的な「刑罰化」よりも、はるかに根本的な非行防止になるはずである。

(子どもへの虐待問題に対する司法の役割)
 関係諸機関に対するアンケート、各都県の児童相談所への訪問、子どもへの虐待問題に関わる人々の講演等から、弁護士や司法に対する期待が大きいことが明らかになった。
 しかし、同時に、実際には弁護士にアクセスしにくい状況があること、司法は時間がかかりすぎること、司法関係者のなかで子どもへの虐待に対する理解が不十分であること、法制度の改革がなされないため、現行法制度が利用しにくいシステムとなっていることなどについて、多くの批判があることも明らかになった。一部には、子どもへの虐待を司法に持ち込むことを避けるかのような傾向すら見受けられるが、深く憂慮せざるを得ない。
 被虐待児の救出には、必然的に親権その他の子どもをめぐるさまざまな法律問題が絡むため、本来、司法が関与するにふさわしい事項である。救出後の家族の再統合や終局的な分離も然りである。司法はこれらのニーズに適切に応えるべく子どもへの虐待問題に十分に対応できる司法側の態勢づくりを急ぐ必要がある。
 以上の状況を踏まえて、宣言のとおり提案するものである。