支部女性弁護士の実情(平成8年度)
横浜弁護士会  川瀬 冨士子

T 弁護士になった経緯
 横須賀市で生まれ育ち,地元の高等学校を卒業し,地元の金融機関に3年間勤めた。その頃,夫と知り合い,夫の勧めにより大学に進学することになる(結果は,明治大学第二文学部しか合格しなかった)。
 当時,大学紛争のために授業はなく,暇を持て余して法律の本(我妻栄の民法案内)を読み始めたことから,法律関係に興味を持つことになる。
 昭和47年に初めて司法試験を受け,択一式試験に合格し(但し,憲法・民法・刑法のみしかわからず,訴訟法その他は白紙状態),その後昭和50年まで択一式試験に合格したことから病みつきになるが,当時結婚して,子供が生まれたことから断念する。
 昭和55年頃,長男が小学校に入学し,長女,次男も幼稚園に行き始めたため,再度受験勉強を始め,昭和57年司法試験に合格し,昭和60年4月に弁護士業を開始した。
 開業当時の年齢が37才,しかも女性,そのうえ3人の子持ちという状況では,裁判官,検察官は勿論(成績からしても当然無理な話ではあるが),イソ弁の就職口の声もかからないため,当初から独立する以外に道はなかった。
 しかし,本来,夫の収入で生活できるありがたい身分であることから(夫は私の収入などあてにしていない),焦ることもなく,自宅を法律事務所とし(自宅と横浜地方裁判所横須賀支部とは歩いて5分という好立地状況),最低限度必要なワープロとコピー機等を揃え,弁護士としての第一歩を踏んだ。

U 開業当時の状況
 横浜弁護士会横須賀支部は,神奈川県の三浦半島の中心にあり,管轄区域は横須賀市,逗子市,三浦市,葉山町であり,総人口は約50万人である。
 しかし,東京地裁,高裁には電車で約1時間30分,横浜地裁には約1時間という距離で,所謂地方の支部と異なった状況にあり,東京三会に登録の弁護士も横須賀支部の事件を受任したり,また横須賀在住の者が東京三会の弁護士に依頼することも多いようである。
 横須賀支部には,当時14名が登録しており,その14名全員で横須賀市の法律相談(一人当たり月1回程度)及び国選弁護(月3乃至5件)を担当し,勿論弁護士会の会務も順番に受け持っていた。
 開業当初,私には事件を依頼してくるものはなく,また知名度もないことから,仕事といえば法律相談と国選弁護であったが,その収入のみでも十分と考えていた。
 開業2年後になると,国選事件だけではなく,私選弁護が増え,また民事一般事件の依頼も入るようになり,その後10年間順調に受任事件数は増え,現在に至っている。

V 現在の状況
 現在,横浜弁護士会横須賀支部の会員は20名(30代,40代の会員が増え,横須賀支部は活気があるとのことである)となり,原則として全員が横須賀市の法律相談及び国選弁護を担当している。
 また,平成7年度から法律相談センター及び当番弁護士業務も発足し,しかも法律扶助事件の審査も支部で独自に行うようになり,支部会員の多数が担当している。
 さらに,弁護士会の会務も支部会員全員が順番に担当する取決めは続いており(これまで辞退する人はいない),ちなみに現在の支部長は私であり,登録12年目で支部長の順番が回ってきたのであるが,種々な会合等で裁判所,検察庁の支部長に続いて挨拶する際には,普通の家庭の主婦であった私がその場にいること自体不自然な気持ちにさせられるこの頃である。
 前記のとおり,開業から12年経過した現在,担当している仕事の内容は次のとおりである。
〔一般事件〕
(イ) 民事事件(借地借家,貸金請求の他,横須賀という土地柄境界問題が多い。)
(ロ) 家事事件(女性ということで離婚,遺産分割事件が主である。)
(ハ) 刑事事件(私選弁護も多く受任している。)
(ニ) 破産事件(自己破産事件が多いが,任意整理事件も受任している。)
〔公的職務〕
(イ) 家事調停事件(8年目に調停委員を受命し,遺産分割事件を担当している。)
(ロ) 破産管財事件(年に数件受任し,常時数件継続している。)
〔自治体関係〕
(イ) 各種委員会の委員(横須賀市関係6件)
(ロ) 法律講座(横須賀市市民大学の講師の他,各種法律講座の依頼が多い。)
 その他,横須賀市内の各種私的団体の委員等を引き受けており,仕事の配分割合は,一般事件7割程度,公的職務3割程度というところである。
 以上のように,開業当初法律相談と国選事件しかなかったにもかかわらず,現在,種々な事件に関与することができ,また公的な職務に就くことができた理由としては,
(イ) 横須賀支部の先輩諸先生が横須賀支部で初めての女性弁護士であったため,私を温かい目で見守り,指導してくれたこと。
(ロ) 法律講座の際,女性弁護士ということで必ず一講座設けてくれたこと。
(ハ) 自治体が国際婦人年の女性登用の目標から女性弁護士ということで審議会委員として採用してくれたこと。
(ニ) 横須賀市で生まれ育ったことから,学校時代の先生,同級生,勤めていた頃の諸先輩らが私を応援してくれたこと。
(ホ) それに,国選事件等受任した事件について,自分なりに真剣にかかわってきたこと
(これもー人だけの女性ということで目立つため,一生懸命せざるを得ない状況にあったためか)にあると思っている。

W 私生活について
 前記のとおり,開業当時には3人の子がおり,その後平成元年になって第四子を生み(当時40才を遙かに超えていた),現在では,長男は成人し,長女は私の仕事の手伝いや家事を受け持つまでになり,また,夫は2年前に退職して私の事務所の事務的な仕事を受け持ってくれている(事実上は,夫は私よりも法律的知識が豊富であり,私が指導を受けていると言ったほうが正解か)。
 日常生活はかなり忙しいものの,私自身弁護士稼業が嫌いではなく,この仕事ができることについて感謝の気持ちを持っており,喜んで仕事をしていると言っても良いと思っている。他の人によると私は活き活きしているとのことである。
 多忙な仕事の中で唯一の楽しみは家族全員で行く旅行である。ここ10年間年3回の家族旅行を欠かしたことはなく,家族全員6人で行動するのである。
 それと,週末にやはり家族と共に食事等に出かけることであり,このことは,横須賀支部の諸先生方には夫婦仲が良いことで知られている。

X 今後について
 昨今,女性修習生の就職先がなく,女性は不利であると言われている。確かに,東京三会の大規模な法律事務所に就職することは大変難しい状況と思われる。
 しかし,私は,女性であることが逆に有利に働き,今日に至っている。
 それは,私の生まれ育った土地に愛着を持ち,それにより地元の人々が私を支えてくれたこと,横須賀支部の諸先生,また裁判所及び検察庁の職員の方々とも親交を築くことができたこと,それに家族の協力によるものと信じている。
 私は,今後も女性ということを活かし,私を育ててくれた横須賀の地に根を下ろし,活き活きとして仕事を続けていきたいと願っている。