修習 → ノキ弁 → 独立
山梨県弁護士会
井上 昌幸

1 はじめに
 私は,平成18年4月,旧60期として司法修習生に採用され,平成18年6月から平成19年7月まで,甲府にて実務修習を行いました。
 その後,弁護修習先であった法律事務所で1年間,ノキ弁をさせて頂き,登録から1年後の平成20年9月1日をもって,井上法律事務所を立ち上げました。
 現在は,弁護士が私1名,事務員1名の2名体制で事務所運営をしております。

2 司法修習時代
 私が甲府にて弁護士登録をし,その後ノキ弁として弁護士事務所に所属し,その後1年足らずで独立したことをお話するためには,私の甲府における司法修習生時代をお伝えすることは不可欠です。
私は,東京都出身であり,甲府はもとより山梨には縁もゆかりもありませんでした。したがって,修習当初は,生まれ育った街である東京にて弁護士を行う予定でした。
 しかし,私は,修習時代から甲府の弁護士の先生方と接し,またお話をさせて頂いているうちに,「甲府で弁護士をした方が,自分のイメージした弁護士像(いわゆる,一般市民や中小企業の法律問題を取り扱う「町弁」)に近づける。」と思ってきました。私は,幸いなことに,実務修習が始まって間もないころの第1クール(民事裁判修習)をしているときから,甲府の弁護士の先生方から飲みのお誘いを受けることが多々あり,そのような印象を受けることが出来たのだと思います。

3 就職活動
 私は,当初東京で弁護士登録する予定でしたので,甲府から東京へ,就職活動のため何度か足を運びました。
 しかし,甲府の先生方と接する上で,自分が「町弁」になるには,甲府で弁護士登録をした方が良いと思い,東京での就職活動をやめ,山梨で就職活動を始めました。
 山梨で就職活動を始めたと言っても,弁護修習中にお世話になった先生へお願いをするというものでした。
 弁護修習先の先生には,私のお願いを快諾して頂きました。その際,給与制(イソ弁)にするか,出来高制(ノキ弁)にするかのお話を頂きましたが,私は「ノキ弁」を選ばせて頂きました。
 もともと独立願望が高かった私は,自分の仕事の収益は自分で得たいという気持ちがあり,また修習時代にお世話になった「イソ弁」経験者の先生から「甲府で弁護士をするならば絶対ノキ弁がいい!!」と真剣な眼差しで語られたことも,私がノキ弁を選択した理由の一つです。

4 弁護士1年目(ノキ弁時代)
 ノキ弁として弁護士登録をした平成19年9月,受任した仕事は1つだったと思います。売り上げは約10万円。一方,弁護士会費は日弁連・単位会合わせて約7万円ですので,当然赤字です。
 ただ,私は,今後山梨県で弁護士を行っていくためには,「井上」という顔を知って頂くことが極めて重要であり,またお酒の場が好きなため(正直言いますと,こちらの方が一番の理由ですが(笑)),積極的に懇親会やお酒の場に顔を出していました。
 もちろん,先輩方が私の分もご負担頂く事も多々ありましたが,自分で負担する分も多く,預金を切り崩して生活することが続きました。
 しかし,「井上」を知って下さった先輩方から,法律相談の枠を頂いたり(山梨県では,登録1か月後から弁護士会の法律相談を行うことができます),「一緒に仕事をしよう。」 と言って仕事を回してくれたり,また管財事件を受けることもあり,徐々に仕事は増えていきました。
 結果,年明けの平成20年1月ころからは,「ノキ弁」としての経営が成り立つようになりました。

5 独立を考える
 平成20年になると,仕事は徐々に増えていきましたが,私は所属事務所に経費を入れていなかった関係から,事務所の事務員さんの協力は得ないことにしていました。したがって,事務作業もすべて自分で執り行っていました。
 そうすると,事務作業に時間を取られ,本来の業務である弁護士業の時間を圧迫してしまうようになってしまいました。また,事務作業の多い仕事(法人の破産等)は断るようになってしまいました。
 そうであるならば,「事務員を自分で雇って,自分は「弁護士業」に力を入れよう。」と考えるようになりました。
 そこで,平成20年3月くらいだったと思います。登録1年後である平成20年9月に独立しようと考え,所属事務所の先生にその旨お伝えしました。

6 独立後
 独立後,とても優秀な事務員を雇うことができ,また引き続きみなさまのご協力を賜ることができ,順調に事務所経営をすることができました。
 ただ,自分一人の力では,まだまだ安定した事務所経営は難しく,皆様のご協力は不可欠です。
 したがって,引き続き「井上」の顔を知って頂く必要があるため,(引き続きお酒の場が大好きなため(笑)),積極的に懇親会や飲みの場に顔を出すようにしています。
 その結果か,順調に受任事件数は増え,最近は飲みの場に仕事のために遅れていくことも増えてきました(笑)。
 ただし,安定した収入源はほとんどなく,安定した収入源の獲得は,今後の不可欠な課題であることは自覚しております。

7 今後
 いままでお話しましたとおり,私がノキ弁で1年間を過ごし,その後独立することができ,また現在も事務所を維持できているのは,私一人の努力だけではあり得ず,周りの皆様の暖かいご支援があったからです。
 ときどき,「地方に行けば,まだまだ飯は食える。」とか「数年大都市でやってダメなら,地方に行けばいいや。」などと言う話を聞きますが,地方での開業・運営は,そんな甘いものではないと思います。
 ここ数年,山梨県でも弁護士数は近年まれに見る人数で増大していますが,一方,裁判所係属事件数が減少しているとの統計があります。また,他の地方も同様の傾向であることも耳にします。
 今後,地方で即独,ノキ弁・早期独立を考えていらっしゃる方へは,(すくなくとも山梨では)相当厳しい状況であることはお伝えしなければならないと思います。
 今後地方で,即独,ノキ弁・早期独立を考えていらっしゃる方は,しっかりとその地方へ足を運び,その地方の実情や環境等をしっかりと把握した上でお決めになるほうがよろしいかと思います。