○今,司法の場で大きな改革が行われようとしていますが,これまで「裁判」に対してはどのような印象をお持ちでしょうか。 |
南さん | 裁判というと,莫大な日数,お金がかかって,精神的にも苦痛を味わうというイメージがあります。裁判に持ち込むというのが,一種の脅しになったり,裁判だけは避けたいという先入観もありますね。日本では,二割訴訟などといわれることもあって,紛争の八割近くが裁判以外の方法でなんとなく決着がついている,というのが現状じゃないでしょうか。
私は,裁判に対して肯定的です。日本人の民族性からみてなんでもかんでも訴訟というわけにはいかないと思いますが,何か事が起きたら躊躇せずに弁護士に依頼する,裁判に持ち込む必要があるならば訴訟を起こすというように,裁判がもっと日常的で身近なものになればいいと思います。 |
○南さんはテレビなどで弁護士と話をする機会が多いと思いますが,弁護士に望むことといえばどんなことですか。 |
南さん | 私自身は弁護士さんにお願いしたということは殆ど無いのですが,いざ頼むということを考えると,まずその弁護士さんが自分の立場に立って考えてくれるのかどうかということを考えますね。人の心の痛みに配慮してくれるのだろうか,自分と共感できる感性を持っているのだろうか,といったことです。又,世の中で起きていることをしっかりと把握しているのか,ということも気になります。それから,弁護士さんに支払う費用がどのくらいになるのかさっぱり検討がつかないのも,弁護士さんに頼みにくい原因の1つではないでしょうか。これはもっと広告・宣伝をするべきだと思います。 |
○そうすると南さんは,弁護士広告の自由化ということには賛成ですね。 |
南さん | 広告の自由化ということになると,その内容も問題になると思いますが,市民の立場からは利用し易くなるのではないでしょうか。
ただ,インターネットなどを利用した弁護士広告の自由化も必要だと思いますが,さらに自分が必要とする弁護士さんをどのようにして見つけられるかという点からすると,弁護士さんを紹介してくれる制度・機関の充実ということを考えるべきではないでしょうか。どのような弁護士さんがいて,その人は自分が解決して欲しい問題に詳しいのかどうか,ある程度自分の考え方を理解してくれるような人であるのか,ということが依頼する前に分かる制度があればいいですね。なかなか難しい問題ではあると思いますが。 |
○弁護士の数が増えるということについてはどう思いますか。 |
南さん | 私自身は実感として弁護士が足りないと感じたことはありませんが,弁護士の数が増えて法曹界で切磋琢磨して,抽象的ですが志の高い弁護士さんがより多くなってくれればそれは良いことだと思います。 |
○陪審制についてはどうですか。 |
南さん | 陪審制になると裁判が市民に身近かになるということはいえますね。ただ,一挙に陪審制に変わっていくのは難しいのではないでしょうか。特に,陪審員に任命された人は,膨大な資料を検討して全体の状況を把握しなければいけない場合もあるわけですから,その負担を考えると陪審員になった方は大変だと思うし,すぐに制度として定着して機能してゆくのかどうか疑問はありますね。 |
○弁護士経験がある人などが裁判官になるという法曹一元についてはどう思いますか。 |
南さん | 裁判をするにあたって,様々な経験をしたことが役に立つのだろうと思いますが,最後は,その人の人格というようなことに関わってくるのではないでしょうか。ですから,制度に対しては賛成ですが,人選ということが制度を根づかせるうえで大切だと思います。 |
○ありがとうございました。 |