○ 天田さんこんにちは。本日は宜しくお願い致します。 |
天田さん |
こちらこそ宜しくお願い致します。 |
○ 天田さんのご経歴を拝見しておりますと,小学校,中学校では野球部に所属して,プロを目指していたとの記載がある反面,高校まではやんちゃをしていたというか,端的に申し上げて暴走族に入っていたとの記載が多くありますね。 |
天田さん |
いやあ,そうなんです。野球も一生懸命やっていたのですが,仲間7人が全員暴走族に入ったこともあって,私もやってみるかと思って入ったんです。どんなことでもとことんやるという性格だったもので(笑)。だから,朝練やって,夕練やって,ごはん食べてちょっと寝てから,出発していました。 |
○ それで,せっかく野球の推薦で高校入学が決まっていたのに,取りやめになって,受験して前橋育英高校に入ったんですね。よく間に合いましたね。 |
天田さん |
もう半年くらい必死に勉強しましたからね。なんとか試験もクリヤーできました。 |
○ 高校ではすぐボクシング部ですか。 |
天田さん |
いえ,最初はゴルフ部に入りました。アルバイトでキャディができるからと言われたので。だけどゴルフ部にいたときに,ちょっとやらかしまして,2回謹慎になってしまって退部したのです。そのとき,ボクシング部の顧問の先生が,「お前,ケンカが強いなら,ボクシングをやろう。路上で人殴って倒したら犯罪だが,ボクシングなら褒められるんだぞ。」って誘ってくれて,ついその気になりました。 |
○ この手の話に必ず出てくる誘い文句ですね(笑)。それじゃ,ボクシングは高2からですか。あれ? だけど高2ではもうインターハイに出てますね。ずいぶん短くないですか。 |
天田さん |
3月に入部して6月に予選だったんですが,県で優勝したんです。ライトミドル級(71kg以下)は,選手が殆どいないんで県で勝つのは簡単なんです。だけど,その後すぐに関東大会でも優勝してますから,やっぱり向いてたんですかね。 |
○ 当時のスタイルは,アマチュアらしいアウトボクシングですか。長身ですし,遠くからジャブ打つ感じで。 |
天田さん |
確かに当時68kgでガリガリだったのですが,幸いパンチ力があったので,逃げずにどんどん前に出るスタイルでした。ライトミドル級の選手はスピードがない人が多いので,狙って打てば避けられずに当たるんですよ。で,当たれば倒れますし。当時は,「救急車を呼ぶ男」と言われていました。 |
○ それで翌高校3年次に早くも国体優勝し,ボクシングで中央大学法学部に入ったんですね。中大はスポーツ学科がないから,スポーツ選手も法学部に在籍するんですよね。 |
天田さん |
そうですよ。大相撲の出島関も同級生です。4年のときは箱根駅伝も優勝してますし,私の年代は法学部に優秀なスポーツ選手が多かったですね。 |
○ 司法試験などは考えなかったですか。 |
天田さん |
そりゃもう全然(笑)。やっぱり勉強についていくのが大変で,卒業まで二留してしまいました。134単位のうち100単位残っていたのですが,現在は弁護士をしている某先生(女性)に勉強を教わって,毎日勉強して,2年間フル単で一気に卒業できました。とにかく授業に出て教授と仲良くなることが大事なんだ,ということが身に染みて分かりました(笑)。 |
○ 4年次にはボクシング部の主将を務め,国体も優勝し,アトランタ五輪のアジア予選は残念ながら敗退でしたが,充実した大学生活を送られました。就職も決まってたんですか。 |
天田さん |
地元の群馬町に戻って町役場で働こうと思っていました。だけど,卒業間際になって,K−1の石井館長が,「君ならできる。大阪に来て入門しなさい。」と言ってくれて,練習に行ったら,アンディ・フグ選手と合宿を組ませてくれたんです。それで一緒に練習したら,「あ,こんなもんか。大したことないな。これならオレもできるかも。」と思ってキックボクシングに賭けてみようと思ったのです。まあ,フグ選手にはアバラ折られたんですけどね。 |
○ 「こんなもんか」って,エライやられてるじゃないですか(笑)。当時はK―1人気が盛り上がり始めたころでしたが,他に日本選手はいましたでしょうか。 |
天田さん |
2000年前後というと,佐竹さんはもうだいぶ落ちてきた頃で,後に続く武蔵も怪我したりして,ちょうどおいしいタイミングでしたね。2004年には日本予選で優勝して本戦にコマを進めました。 |
○ 「ジャパンの特攻隊長」と言われていた頃ですね。対戦選手を見ると,レイ・セフォーとか,マイク・ベルナルドなど本当の第一線級の選手と戦っています。あんな猛獣みたいな選手によく立ち向かっていけますね。 |
天田さん |
いやいや,同じ人間ですから。みなさんが思っているような怪物じゃないですよ。そりゃ,いいのを貰ったら倒れますが,日本人は適応力が高いですから,相手の力をうまく逃がしながら戦えます。もっとも,ホーストやアーツは頭がいいので,なかなか難しいですが。 |
○ だけど,その後,K―1もパッとしませんね。 |
天田さん |
石井館長が脱税で捕まっちゃいましたからね。そのあとは,プロレスみたいなモンスター路線になってしまって,結局ファン離れを招いてしまいました。残念ですが,今年の年末に格闘イベントが開催されるかも分かりません。格闘技の本場はヨーロッパに移ってしまいましたね。 |
○ 天田さんは現在はフリーのキックボクサーということになっているのですか。 |
天田さん |
そうですね。決まった所属団体はありません。ですので,逆にどの団体の選手とも自由に試合ができるわけで,年5〜6試合は行っています。普通は2〜3試合ではないでしょうか。 |
○ でも年5〜6試合だと,ファイトマネーだけで生活するというのは難しいのではないでしょうか。 |
天田さん |
それはそうです。選手はみな兼業ですよ。それにファイトマネーも半分はチケットですから,それを自分で売るんです。私の場合には応援してくれる方が多いので,さばけていますが,苦労している選手も多いです。 |
○ そうすると普段の生活は,トレーニングの合間に仕事ですか。 |
天田さん |
そうですね。朝トレーニングして,昼間働いて,夜またトレーニングです。私の場合は所属のジムがないので,「今日はどこに誰がいるよ」という情報を貰ったら,携帯で連絡取り合って,相手のいるジムまで出かけて一緒に練習することが多いです。ヘビー級は選手が少ないので,動ける方が出向いて練習するんです。相手が試合前なら,練習後にミットもってあげたりしてね。お互い様ですね。 |
○ なんかサークル活動みたいですね。 |
天田さん |
いや,本当にそのとおりですよ。楽しくやっています。楽しくないと続きませんしね。2007年に東京に来てからそうやって人脈が広がって,ずいぶん練習しやすくなりました。東京に来てからは,まだ1回しか負けていないはずです。 |
○ 対戦相手や,条件,ウェイトなんかは,事務所がマネジメントしてくれるのですか。 |
天田さん |
ですから所属団体がないので,自分でやるんです。この携帯で(笑)。 |
○ ええ? 自分でやるんですか。 |
天田さん |
そう,だから私にとってこの携帯はすごく大事なんですよ(笑)。もちろん,向こうの団体から声をかけてくれる場合も多いのですが,自分で交渉して,条件を決めて,出向いて契約するんです。 |
○ 現在ヘビー級チャンピオンになっている名古屋のHEATもそうですか。 |
天田さん |
そうです,このときは,出場予定だった富平選手が怪我で出られなくなって,急に私に連絡があって,かわりに出たらチャンピオンになれたんです。ラッキーでした。でも今年3月に復帰した富平選手と対戦して勝ちましたよ。 |
○ HEATとしては,さぞ富平選手を推したかったんでしょうねえ。 |
天田さん |
ははは,まあ,勝負の世界ですからね。仕方ないですね。 |
○ 今年で38におなりですが,今後,一線を引いた後のことはお考えでしょうか。後進の育成とか。 |
天田さん |
いや,まだスタミナは伸びていますし,パワーもスピードも衰えているとは考えていません。あと5年くらいはできるのではないでしょうか。子供にも,まだまだカッコいいところを見せてやりたいですね。 |
○ 現役のチャンピオンですものね。将来のことはまだ考える時期ではないんですね。12月のHEATのタイトルマッチも頑張ってください。期待しております。本日はありがとうございました。 |