第2 |
その概略を記すと, |
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1 |
初めに, 河川を中心とする自然環境・生態系に及ぼすダムの影響を検証した。 そこでの結論は, ダムは自然環境・生態系に対しては, 有害無益な存在であるという他になかった。 |
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2 |
しかし, 自然環境・生態系に対して有害無益な存在であったとしても, ヒトにとって有益な存在であれば,
自然環境・生態系を犠牲にしてでもダムを建設すべきとの考え方もあり得る (勿論関弁連はそのような見解には拠らないが)。
そこで, ヒトにとってのダムの必要性・有益性について, 利水及び治水の両側面から詳細に検討した。
結論的には, 利水面の必要性は, 水需要の予測と実績値の比較や, 人口の増減や産業構造の変化に鑑み,
客観的にみて (仮に安全度を加味したとしても) 喧伝されているような利水ダム建設の必要性は認められないということであった。
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3 |
治水面の必要性に関しては, 利水面に比べて単純に割り切ることはできなかった。
洪水による水害の発生は可及的に避けるべきである, という点では共通するからである。
ただ, 我々は洪水と水害とは明確に峻別すべしとの観点から, 治水政策をダムに総て収斂する現行の河川政策は誤っていると考えた。
たしかにダムには一定の治水効果は認められる。 しかし, 実際の降雨状況に対しては計算通りの対応が不可能である。 また, 流水を速やかに海に流下させるために, 堤防を嵩上げし, 上流のダム群で流水を調整するとして, ダムに治水の方法を収斂することは却って危険な場合がある。 我々は, 流域全体の水管理政策の中で, 洪水は自然現象として稀にはありうるものとし, その際に水害が生じないような施策を取るべきと考えた。 そこでは, ダムは治水のための唯一無二の存在ではなく, 単に道具の一つに過ぎない。 しかも, ダムにより河道が段々畑のようになっているわが国の現状では, これ以上の治水目的ダムを建設する必要性は, 余程の事情がない限りは認められないという結論となった。 |
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4 |
このように, 自然環境・生態系に関しては有害無益で, かつ, ヒトにとっての必要性が乏しくとも, 全国各地でダム建設が現在進行形で行われている。 それは公共事業としてのダム建設事業が, ある一定の集団に現世的利益を産み出すからである。 そこで, 我々は, 公共事業としてのダム問題がなぜ生じているのか, 政治経済の実態と法制度の問題点を呈示することとした。 また, 環境の世紀と言われる21世紀の価値観から, その時代にふさわしい公共事業のありかた, 計画策定のありかたを措定した。 そこから帰納的に, 今までのハコ物重視の公共事業のあり方には問題があると考え, 更に新しい公共事業のあり方として 『緑のダム論』 や 『ダム撤去論』 という新メニューについても検証を加えた。
さらに, 『真に民主的な手続に則った河川管理はどうあるべきか』 を行政型ADRともいえる
『梶山試案』 を呈示して法改正の方向性を示した。 |
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5 |
今般, 司法制度改革推進本部行政訴訟検討会において40年ぶりの行政事件訴訟法の抜本的改正問題が議論されている。
ダムを巡る実体法を整備し, 民主的行政手続を策定することが新しい河川管理を実現するにはまず必要なことであるが,
厳格な訴訟要件のもとにダムを巡る司法救済を封じてきた行訴法が改正されれば,
環境を保全するための行政訴訟により, ダム問題に司法のメスを入れることも可能となる。
そこで, 我々は, 行政事件訴訟法の抜本的改正の議論を踏まえつつ, 現行行訴法の抱える厳格な処分性概念,
厳格な原告適格, 証拠の偏在, 執行不停止原則等の問題点に関して, 市民にとって使いやすい訴訟制度の構築提言を第四部第6章で行っている。
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