従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
筑波スポーツ科学研究所副所長
三屋裕子さん
シリーズ10回目の「わたし」は,現在筑波スポーツ科学研究所を始めとしていろいろな分野で幅広く活躍されている三屋裕子さんです。
三屋さんは,ユニバシアード大会等の活躍により筑波大学在学中の昭和54年全日本入りし,さわやかな笑顔とシャープな攻撃で女子バレーボールブームの火付け役となり,翌年モスクワ五輪の代表に選考されます。しかし参加ボイコットにより涙を呑みますが,同59年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。その後,かねてからの希望であった教職の道に転職し,自身も筑波大学大学院で勉強を続けられ現在は,筑波スポーツ科学研究所副所長を務めるとともに,母校の非常勤講師,バレーボール普及のための教室や講演会の開催,テレビ・ラジオのCMやワイドショーにコメンテーターとしても出演し,現役時代そのままのさわやかさとバイタリティーで活躍中です。
当日も颯爽と登場し,さわやかな笑顔を絶やさず,さっぱりした中にも体育会系の乗りのあるお話で,話題はスポーツ論から弁護士観,さらには女性問題・DVまで及び予定の時間を大分オーバーしてしまいました。
―弁護士一般についてどのような印象ないし感じをお持ちですか。
三屋さん 私自身今までに弁護士さんに事件を依頼したことはありませんし,テレビにでるようになるまでは個人的に知り合いの弁護士さんもいませんでした。それまでは,映画やテレビからの堅い職業イメージをもっており,ある人から伺った「今の世の中,医者と弁護士と僧侶に知り合いがいたほうがいいが,世話にならぬほうがいい。」という言葉に納得していました。テレビで弁護士さんと共演したりしていろいろ話す機会に恵まれたわけですが,その第一印象は,弁護士さんも普通の人間なんだな,特別の人種ではないんだなということです(笑)。私たちもオリンピックのメダリストということで,何か特殊な人種のように思われているところがあるのですが……。
―テレビ出演や講演されるなかで,一般市民の方々が弁護士に対して抱いている意識や問題点を感じられたことはありますか。
三屋さん コメンテーターとして出演しているワイドショーの中に人生相談のようなコーナーがあるのですが,時々離婚の相談があります。自分は別れたいのだが相手が応じてくれないとか,理由もはっきりしないのに家から出て行けと迫られるという話を聞いていて,弁護士さんに相談すればよいのにと考えるときが多々あります。
そこで弁護士さんへの事件依頼をアドバイスしたところ,相談者から家の地方では離婚事件に弁護士さんを頼むなんてとんでもない,誰もそんなことしないと返答され,驚いた記憶があります。そのような意味で,弁護士さんはまだまだ一般市民からは遠い存在と思われており,いろいろな揉め事を気楽に相談できる相手になっていないと思います。
―三屋さんご自身としてはどうですか。
三屋さん 一言でいって,入ったことのない「高級寿司屋」に入ろうかな,どうしようかなという迷いに似たようなところがあります。そのココロは,入ってみたい(相談・依頼してみたい)が,料金がいくらかかるか分からず心配といったものです。私自身の弁護士業務や費用等についての理解不足もあるかとは思いますが,弁護士さんの側でも,もっと自分たちの仕事の具体的内容や,それに伴う費用・報酬等についての広報活動を積極的に行い,皆が気楽に弁護士さんに相談できる下地を造っていって欲しいと思います。
また個人的なことでいえば,出版や出演等いろいろな契約をする場合,予め弁護士さんにその内容について相談できたりしたら,安心して契約できていいなとおもうのですが,まだトラブルにもなっていない段階で相談してもいいのかしらといった紛争(?)の程度,費用の問題,さらには誰に相談したらいいのか分からないといったことがあるかと思います。そのようなことからも先程の話の延長として,それぞれの弁護士さんの得意分野などが私たちに分かるようなものがあると良いのではないかと思います。
―ところで最近,司法改革のひとつとして市民参加の裁判システムである陪審制が話題となっていますが,どのようにお考えですか。
三屋さん 司法制度の拡充や市民に身近な司法には賛成です。一般市民が陪審員として裁判に参加し,事実認定に関わることは,将来的には良いことだと思いますが,現在の段階ではまだ時期尚早ではないでしょうか。残念ながら市民一人ひとりの個としての確立が未成熟で,自分自身の頭で考えて自分の意見や考えを発表するということが訓練されていなかったり,苦手だったりする人が多い現状では,陪審員としての事実認定に際しても,どうしてもマスコミの論調や多数派の意見ないしその場の雰囲気に流されてしまうのではないかという危惧感があるからです。やはりその前提として,市民への啓蒙活動等が必要ではないかと思います。
―裁判にかかる時間の長さについては,どのようにお考えですか。
三屋さん 一般的にいって大分時間がかかっており,判決がなされる頃にはその事件が既に社会的に風化してしまっているという感じを受けます。ただ,最近のオウム関連の裁判については,比較的早く判決までいっているのではないかという印象を持っています。
―本日はお忙しい中,長時間どうもありがとうございました。