関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

棋士
羽生善治さん

とき
平成22年8月9日
ところ
将棋会館(渋谷区)
インタビュアー
会報広報委員会副委員長 中尾隆宏

 今回で「わたしと司法」は100回目を迎えることとなりました。これまでご登場頂きました方々とお支え頂きました関弁連管内弁護士会の先生方に改めて御礼申し上げます。記念すべき100回目の「わたし」は棋士の羽生善治名人です。想像を絶する頭脳戦を勝ち抜き将棋界の王者として君臨しておられる名人のオーラに圧倒されつつも,日々の苛酷な戦いを微塵も感じさせない明るく誠実なお人柄と虚飾のないお言葉の一つ一つに魅了されてしまいました。

以前にも東京弁護士会の会員誌(注:『LIBRA』2004年6月号)にご登場頂いたのですが,その時,勝ちを見つけた時に,鉱脈を発見するような感覚がある,というお話を伺い,大変面白いと思いました。もう少し詳しくお話しいただけますでしょうか。

羽生さん そうですね。対局の時にはいろいろな展開,シミュレーションを考えるのですが,その局面というのは自分にとって不利な局面が多いのですね。それをなんとか工夫して互角にしたり,優勢にもっていたりしようとするんです。鉱脈が見つかる,というのは,そのプロセスの中で勝ち筋を見つけた時,ゴールを見つけた時の心境なんです。

シミュレーションというお話しですが,プロの棋士の方の頭には,無数の対局が入っておられるとお聞きします。限られた時間内で無数のシミュレーションをすることが求められるわけですが,何か決まりのようなものがおありになるのですか。

羽生さん まず「読み」を入れるというのはあるんですが,違う角度から申しますと,「大局観」というのがあるんですね。これは方針とか方向性とか,戦略とか,そういうのを判断することです。待っていた方が良いとか,攻めの方が良いとか,そういうことです。その大局観をきっかけとして考えていくということがあります。「今は待っていた方がよい。」と判断したときには,「待ち」という中での候補だけを掘り下げていきます。ただ,そうは言っても結論が出ないということも非常に多くて,読みも,大局観も,直感も駆使して考えて,それでも分からない,ということも多いですね。そういうときは,踏ん切りをつけて一手を決めている,というのが実情ですね。

今の「大局観」というのは,「第一感」を大事にしておられるということでしょうか。以前,棋士の方から「第一感」を大切になさっているというお話しを伺ったのですが(注:2010年4月3日開催法律相談センター将棋フェスタ,『LIBRA』2010年7月号掲載)

羽生さん 第一感はいろいろな心配をしないで,真っさらな状態でどう思ったか,ということなので,信憑性が高いということだと思います。逆に,迷った末に最後に思いつく手というのもあるんですが,それが危ないということが多いんですよ。AとBという二つの選択肢で迷って,1時間,1時間半と考えた時に最後の5分くらいでCという選択肢もあるんじゃないか,と思いつくことがある。それが経験則上非常に危ないことが多いのですね。そういうときに原点に帰ってみる,ということがあります。

大変興味深いお話しですね。プロの棋士の方の勝負というのは本当に紙一重で,一手間違えたらもう負けてしまう。そんな微妙な勝負の中で,第一感が重要視されるというのは,ある意味矛盾した面も孕むような気がするのですが。

羽生さん もちろん第一感が全てではありません。そこから裏付けを取ったり,読みをいれていきます。但し,ぱっと見た直感というのが,いい加減なものか,というとそうではありません。自分自身が今まで習得し,経験し,学んできたことが瞬間的に現れている,ということだと思います。「ひらめき」ではないんです。「ひらめき」はなぜそうなったのか,という因果関係を説明できません。毎回そういうことをしているわけではないのですが,迷ったときに一番最初に思いついた手に帰るというのは,かなりポイントを突いたものではないか,と思っています。例えて申しますと,カメラで写真を撮るようなものです。最近のカメラはオートフォーカスでピントを合わせてくれますが,ここがポイントじゃないか,ここが鍵じゃないか,という点を瞬間的に絞っている,というのが直感です。それがど真ん中のストライクかどうかはわからないのですが,そこそこ良いところを突いているはずなので,そこを深く考えていく。しかし,それは自分の専門の分野だから言えることで,そうじゃない分野では直感というのは働かないです。

やはり日々の研鑽あっての直感ということですね。逆に,大変失礼な話題ですが,負けを覚悟された時にはどんな作業をされておられるのですか。

羽生さん ただ見込みなく延々と粘る,というのは相手の方にも失礼ですから,棋士同士の対局では,最後までやらないことがほとんどです。はっきりと勝負のついたところで投了します。あとは区切りの良いところで投了を考えます。その時にどうしてそうなってしまったか,というところを考えて,気持ちの整理はしています。

弁護士が相談を受ける時,ほとんど投了図になっていて負け,という状態で相談に来られる方がおられます。その時にご相談者には現実をお話ししますが,なかなか納得していただけないこともあります。納得とか,整理というのはどんなことに気がつけばできるのか,お考えをお聞かせいただけると有難いのですが。

羽生さん やはり負けてもいい加減にやっているわけではない。自分の読みどおりにならないとか,思い通りにならないというのは,偶然であったり予測不可能なことが入るわけですよね。そういうことは将棋に限らずどんなことでもあるわけで,自分の調子は良かったのだけれど相手に名局を指されてしまったということもあるわけです。それは考えておく。逆に自分の単純なミスが原因であることもある。そういう時,自分の事ではなくて他人事として,自分の将棋を単なる観戦者として横から見ると,あ,ここが悪かったんだ,と気がつくことがあります。そうやって敗因を分析することも大切ですね。

大変貴重なお話ですね。現在はどんどん新しい手も生み出される,変化のスピードが速い時代になっていると思うのですが,どのような対応をされておられるのですか。

羽生さん どれだけ勝ったかとか,タイトルを取ったかとか,そういう過去の実績は重要ではないと思っております。ここ1,2年間でどういうことを自分がやってきたかが大切です。もう一つは自分には何ができることで何ができないことかを考えることが必要だと思います。できることで変化できることがあればそれを追求します。速くてついていけないと感じることもありますが,それは誰も対応できない,という風に捉えるようにしています。それから,変化が速いといっても,やっぱり自分自身に合ったテンポとかリズム,それは生活そのものだったりするのですが,それに無理のないようにやる,というのも大事です。無理をすれば反動が来ます。棋士の世界は10代の方から70代の方までいらっしゃいます。仮にオリンピックを目指すアスリートの人達であれば,その瞬間に集中しなくてはならないので,無理をしなくてはいけないのでしょうが,棋士の世界では,どれだけ安定して,コンスタントにぶれないでやれるかが大切です。マラソン選手が参考になると思います。マラソン選手のすごいところは,速く走れるというのではなくて,同じラップを刻んで走れるというところにあるのだと思います。それと同じです。

どれだけ継続できるかが重要なのですね。

羽生さん そうです。それはとても難しいのです。決まったルーティンにはまると,それに埋没してしまうんですね。指すルールも対戦する人も変わらないとどうしても埋没してしまうんですけれど,工夫をしながら,発見をしながら続けていくことが棋士の場合は大切です。長くやっていると「これさえやっておけば平均点は取れる。」というやり方を自然にやっていることが多いのです。それを毎回毎回やっているとだんだん減速していくので,意識的に変化していくとか,リスクをとっていくということが必要です。これは難しいです。本当に微妙なさじ加減なので難しいです。

これから目指しておられるものは何ですか。

羽生さん 私は今年40歳になるのですが,40歳になった後どういうところが伸びるのかな,と考えると,おそらく感覚的なところだと思います。「これはこういうことだ。」というように大雑把につかむというのですかね。そういうところを短期的には目指したいと思います。長い目で見たときは,60歳になっても70歳になっても変わらず自分のスタイルを貫きたいと思います。

最後に弁護士に対する要望がありましたらお聞かせ下さい。

羽生さん 法律そのものは時代の変化にピッタリ合わせて変わるということはないと思います。しかし,現場にいる人はそれに合わせていかなくてはいけない。その運用,解釈のところに苦労が沢山あると思います。特に変わり目の時はですね。しかし,そこにやりがい,意義があると思うので,どうか頑張って下さい。

ご多忙の中,貴重なお話をどうも有り難うございました。

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