関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

プロボクサー
西澤ヨシノリさん

とき
平成23年5月26日
ところ
少年野球指導教室 中野塾
インタビュアー
会報広報委員会副委員長 西岡 毅

 今回の「わたし」は,プロボクサーの西澤ヨシノリ選手です。
 就職した会社を1年で辞めてボクシングの世界へ飛び込み,それから45歳の現在に至るまで,現役のプロボクサーとしてご活躍中です。45歳という年齢ながらエネルギーあふれるお話ぶりで,夢と目標を持って日々鍛錬に励まれるお姿は,まさに,「中年の星」と呼ぶにふさわしい方でした。

ボクシングとの出会いから教えて下さい。

西澤さん もともと,「タイガーマスク」,「あしたのジョー」といった格闘技アニメを見るのが好きだったんですが,小学1年生の時,テレビ番組でボクシングのヘビー級世界チャンピオンであるモハメド・アリ選手を見たんです。「世界最強の男」として紹介されていた彼の姿に,非常に憧れました。これがボクシングに興味を持った最初のきっかけです。
 ちなみに,私の場合はいわゆるやんちゃな子供だったということはなく,道を外れたような時期は一切ありませんでした。あくまで,スポーツとしてのボクシングに心惹かれたわけです。

子供のころからボクシング一筋だったんでしょうか。

西澤さん いえ,社会人1年目までは野球一筋です(笑)。
 強くなるために体を鍛えたいと思っていたものの,近所にボクシングジムがなかったため,学校の野球部に入って,必死に野球の練習に打ち込みました。中学時代はレギュラーになれませんでしたが,高校では,レギュラーになるという目標に向かって,チーム練習後に10kmの走り込みをするなど懸命に努力しました。その結果,高校1年の秋にセンターのレギュラーに,高校2年の春には4番バッターになることができました。甲子園の常連の中京高校との練習試合で,中京高校のエース野中投手に対し予告ホームランをし,実際にホームランを放ったのは良い思い出です。
 野球をとおして,目標を決めてそれに向かって努力邁進するということを覚えたんです。このときの経験が,後の私のボクシング人生にも大きな影響を与えていると思います。

実際にボクシングを始められたのはいつからですか。

西澤さん 高校卒業の時点でもボクシングへの憧れがありましたが,18歳からボクシングを始めるのは遅いだろうと考え,結局,いったんは野球部がある地元の優良企業へ就職したんです。
 ただ,将来ずっとサラリーマンでいることには不安を感じていました。自分の人生,これでいいのか,と。そして,あるときふと思い立って,泊まりがけで,東京へボクシングの試合を観に行ったんです。1985年4月4日のことでしたが,「15試合連続KO勝利」の日本新記録がかかった浜田剛史選手の対戦を生で観戦して,非常に感激しました。パンチがあたったときのグローブの音が非常にリアルに響いていたことを覚えています。
 その翌日,浜田選手が所属する帝拳ボクシングジムを見学したんですが,たまたま,彼のファイトマネーが入った分厚い封筒を目撃してしまったんです。ボクシングはすごいな,と。
 その後でヨネクラジムも見学したんですが,私は体も大きかったですし,真剣に練習を見ていたこともあって,米倉会長から,「君は必ず強くなる。その目が良い。」なんて言われて有頂天になりました。後になって,このセリフは,会長の常套句と知るわけですが(笑)。
 地元へ戻って2週間経ったころ,米倉会長から電話をいただいてジムへ勧誘され,思わず,「入ります。」と即答してしまいました。結局,すぐに会社を辞める手続をして,上京しました。1985年の5月19日のことです。浜田剛史選手の試合を見てから1か月ちょっとの間の話です。

ボクサーとして試合に臨むお気持ちは,野球の場合と比べていかがでしたか。

西澤さん やっぱりボクシングというのは殴り合いのスポーツですので,緊張もちょっと違ったものになります。ただ,いくら殴り合いの相手といっても,相手に対して怒りや憎しみというものはないんですよ。若いときには憎しみがあった試合もありましたけど(笑)。
 ボクシングというスポーツは,冷静でないとやっていけないスポーツですから。

対戦相手を怖いと思うことはあるのでしょうか。

西澤さん 実を言うと,若いときは時々ありました(笑)。ボディーに強いパンチが決まると,本当に苦しいですし,この選手は強すぎる,これは勝てない,と。もちろん,そんなこと一切顔には出さなかったですけど(笑)。
 でも,30歳を過ぎると,強い選手との対戦がむしろ楽しみに変わってきました。この強い相手をどうやって攻略しようか,どう崩していこうか,と。その駆け引きがボクシングの面白いところです。

ボクシングと言えば減量,というイメージがありますが。

西澤さん アジアの選手の間では,体重は落とす方がいいという意識が強いですね。最近は徐々に変わってきていますけど。
 欧米の選手はナチュラル・ウェイトが一番多いんです。減量せずに調整して,自然に落ち着いた体重のクラスでやるわけです。
 減量にも良いところはあります。減量をしていると,試合が近付くにつれ,精神的に集中力が増し,試合に臨むという緊張感が高まっていくんですね。でも,やっぱり落とし過ぎは良くないと思います。

西澤選手ご自身が減量でご苦労なさった経験はありますか。

西澤さん 以前は無茶な減量もやっていました。一番きつかったのは,1か月半で約16kg落としたときです。体重が88kgあったときに,ミドル級の72.5kgまで。あれは本当にきつかった。1日魚一切れしか食べずに,試合に向けた激しい練習をするわけです。練習の合間のインターバルでも,ふらふらしていました。
 こういうきつい減量のときは,試合の前の計量をパスしたら,それでもう終わったと一息ついてしまい,集中が切れてしまいます。そうなると,ベストの試合をすることが難しくなります。
 今は,私もナチュラル・ウェイトでやっていますから,集中力を維持したまま試合に臨むことができています。

特に記憶に残っている試合について教えてください。

西澤さん 私の対戦経歴は全57試合で,その全てを覚えていますが,その中でも,初めてのスーパーミドルクラス東洋チャンピオンがかかった,韓国人チャンピオンのチェ・ヨンソク選手との対戦は印象的ですね。私が33才のとき,1999年5月25日,後楽園ホールでの対戦です。
 私は,対戦決定前に,韓国でチェ選手の試合を観たんですが,正直言って,言葉を失いました。本当に強いし,大きい。私は182cmですが,彼は193cmもあります。
 チェ選手の側からオファーが来たときは,ちょっと迷いましたからすぐには返事しなかったんですけど(笑),腹を決めて,やるよ,と。
 この試合に向けては,100%の力では勝てない,120%の力が必要と考えて,しっかり体を作りました。

試合内容はどのようなものでしたか。

西澤さん 我々プロのボクサーは,1ラウンドでも拳を交えれば,パンチ,スピード,テクニック,距離感等のそれぞれのレベルがすぐに分かります。チェ選手とは,1ラウンドやってみて,距離感が違う,これは手強い,とすぐに実感しました。
 ただ,先ほども話しましたが,強い相手を攻略することがボクシングの醍醐味です。冷静に相手を見て,どうやったら倒せるかを考える。若い頃はそれができず,狭い視野で相手のことしか見えていませんでしたが,チェ選手との対戦のころには,冷静に試合中でも周りが見えるようになっていました。
 この試合では,日本プロボクシング協会現会長の大橋秀行さんという方が解説者だったんですが,試合中にもかかわらず,彼の解説の声がパーンと耳に飛び込んできたんですね。「西澤選手は,相手の左のパンチに右をかぶせたらいい。右クロスを狙うべきだ。」と。その解説の声を意識して,8ラウンドに私の右クロスが綺麗に決まり,ダウンを奪いました。
 ところが,ちょっと調子に乗り過ぎた。次の9ラウンド,相手が反撃に転じ,逆に私の方が相手の右ストレートで頭を打ち抜かれて,記憶が飛んでしまいました。パンチが効くと,視界が狭く小さくなるんです。試合中なのに,「ああ,目の前にチャンピオンがいるなあ。」なんてぼんやりと考えている状態です。
 9ラウンドが終わった後の休憩のときも,意識がはっきり戻っていませんでした。すると,トレーナーが大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえて,ハッと意識が回復,覚醒しました。今,試合中だ,と。
 続く10,11ラウンドはお互い牽制して,結局,最終12ラウンドまで戦って,判定勝ちをおさめることができました。このスーパーミドルというクラスでは,日本人初の東洋チャンピオンになったんです。

その後,数々のご活躍を経て,2007年1月30日,41歳のとき,東洋太平洋王座の防衛戦で負けたときには,日本ボクシングコミッションから引退勧告を受け,ライセンスを停止されてしまいました。

西澤さん あのときは,テレビ局も,NHK,民放各社,全社来ました。記者だけで30名くらいはいました。私は記者の方々に向かって言いました。「たしかに引退勧告は受けたけど,明日の新聞に「引退」とは書かないで下さい。自分は,海外で戦います。」と。
 一ヶ月後にはオーストラリアに渡り,現地のライセンスを取得して,プロボクサーとして試合を続けました。

西澤選手は,現在45歳で現役を続けていらっしゃいますが,体の衰えを感じるときはありますか。

西澤さん それは全くありません。体力が落ちたとは全然思ってないです。もし思ったら,そのときは,すぐに引退します。走るタイムも落ちてないですし,むしろメンタル面は成長しています。ボクシングはパワーだけのスポーツではなく,心技体の全てがそろう必要があります。若い頃は,これらをそろえることができないんです。仮に,今の自分が20歳のころの自分と対戦したら,左手一本で倒せると思います。

西澤選手が目指すボクシング・スタイルはどのようなものですか。

西澤さん まず,技術的なことについては,「S・T・D」が大切だと思っています。「スピード,タイミング,ディスタンス」という意味です。
 次いで,精神的なことで重要なのは,「集中力,注意力,冷静さ」だと思います。でも,固くなりすぎてもだめですから,「リラックス」という点も外せません。
 そして,今述べたことは,ボクシングだけではなく,他のお仕事の全てにも妥当するのではないかと考えています。サラリーマンの皆さんや,あるいは弁護士の皆さんにとっても重要な要素なのではないでしょうか。

西澤選手のこれからのご予定についてお聞かせ下さい。

西澤さん まずは,ボクシングで結果を出すことで,混迷している日本を元気にしていきたいと考えています。自分らの年代が夢をもって活発に活動できれば,子供も夢を持って頑張れると思うんです。中年が日本を元気にしなくてはいけない。そういう考えもあって,今,中年対象のボクシングジムをやっているわけです。
 また,最近は,講演活動にも力を入れています。これも日本を元気にするためにと思ってやっていることです。

引退した後のことはいかがですか。

西澤さん いつか引退するわけですけど,それで終わりじゃない。私は,生きているうちは,常にテーマ,夢を持って,挑戦を続けていくつもりです。後進指導にも挑戦したいですし,他にも,例えば,70歳になったらホノルル・マラソンを走っているかもしれない(笑)。
 私のテーマは「Never Say Can’t」で,「やればできる」という意味です。このことを自分自身で証明していくつもりです。

本日はありがとうございました。

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