従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
シドニーオリンピック女子マラソンゴールドメダリスト
高橋尚子さん
今回の「わたし」は,2000年のシドニーオリンピック女子マラソンのゴールドメダリスト,高橋尚子さんです。現在は,マラソン解説者やスポーツキャスターとしてご活躍されています。
高橋さんの学生時代,そしてオリンピックへ出場,シドニーオリンピックでのメダル獲得のお話,アマチュアランナーへのアドバイス等を伺っております。現在マラソンをされている方のみならず,これからマラソンを始めようと思っている方も必見です。
―高橋さんは,幼少の頃からずっと陸上競技をやっていらっしゃったのですか。
高橋さん 小学校のころは,スポーツはしていませんでした。せいぜい校内のマラソン大会で優勝するくらいのレベルで,小山の大将な状態でした。中学校で陸上部に仮入部したとき,スパイクやスタート用の鉄砲なんかがとても新鮮で,かっこいいと思って陸上競技をやり始めました。走る競技は基本的にシューズさえあれば何とかなるので,家に帰って母親に「陸上部に入ったよ。道具代があまりかからないから親孝行でしょ。」って言ったのを覚えています(笑)。
―当時から長距離の選手だったんでしょうか。
高橋さん 最初は,800メートルです。中学2年生のときに,県の陸上大会で優勝して,県の合宿に呼ばれたんですね。県の選抜の練習では長い距離をガンガンやっていて,こんなすごい人たちと一緒に出来ないと思って,中学3年生のときは,怖くなって200メートルに転向したくらいです(笑)。
―高校生のときには陸上で全国レベルの活躍をされていたんですか。
高橋さん 高校2年生の時に,初めて全国大会,それも個人ではなく,都道府県対抗女子駅伝に出ることができました。中学生から実業団までの選手が襷(*たすき)を繋ぐという駅伝レースです。私は2区を走らせてもらいましたが,47人中45番でした。後ろから3番目で,もう恥ずかしくて。
―それは,体調が悪かったとか,怪我をされていたとか。
高橋さん いやいや,もう全力ですよ(笑)。私は800メートルの選手でしたので,始めの1キロで10人抜かして,最後の3キロで20人に抜かれるっていうパターン(笑)。ちなみに,その大会は8回出たんですが,毎年少しずつ順位を上げて,8年目にエース区間のアンカーでようやく区間賞を獲れました。
―長い道のりでしたね。
高橋さん 徐々に徐々に,ほんとに夢をひとつずつクリアしていくというタイプの選手でしたね。今,全国を回って中学生向けのランニングクリニックをさせてもらっているのですが,私の中学時代よりも素質がある子が沢山いるんですよ。やり方次第ではみんなが世界一になる可能性があるって思いますね。
―プロのランナーを目指されたのはいつ頃からですか。
高橋さん 大学4年生の時に8社の実業団からお誘いいただいたんですが,教育実習に行くまでは,ずっと学校の先生になるつもりでした。でも,教育実習をした後,自分の陸上選手としての可能性にも賭けてみたいという思いが沸々と出てきたんです。それで,お世話になった高校の先生に電話をして,「しばらくは学校の先生にならずに,もう少し陸上の可能性に賭けてみます。近くの実業団に行きます。」とお話をしたんです。そしたら,「もうあと2,3年陸上をしたいという程度の覚悟なら,そんなのは時間の無駄だ。例えば,日本一,世界一になりたいとかっていう目標を持ってやらなければ意味がない。例えば,リクルートの小出監督に見てもらうとか。」と言われたんです。その当時のリクルートと言えば,有森裕子さんとか有名な選手がたくさんいるところでしたので,「無理です,無理です。」と言って電話を切ったんですが,どうしてもそれが気になって。それで,小出監督のチームの門をたたくことにしたんですが,実業団のことが頭にあると甘えが出るので,まずは,お誘いいただいていた実業団全チームにお断りさせてもらいました。それから,知人を介して小出監督にアポイントメントを取りました。
―小出監督にお会いになっていかがでしたか。
高橋さん 朝ごはんのときのお時間をいただけたので,監督の真向かいに座ったら,監督の最初の一言が「うちは大学生採らないからごめんね。」でした。「えー,どうしよう。私,就職浪人だ。」と思いました(笑)。それで,実費を負担するので合宿に参加させてもらえないかと懇願して了承してもらいまして,その合宿の約10日間,全力で死に物狂いでこんなにも自分の力って出るのかなって思うくらい頑張ったら,監督から「正社員では,大学生は採れないけど,契約社員でも良ければいいぞ。」と言ってもらいました。これまで,エスカレーター式で高校,大学と進んできましたが,ここで初めて自分でドアを開けた感じがありましたね。
―1995年にリクルート社に入社されて,その時から目標はオリンピックだったんですか。
高橋さん まったくそんなことないです。私が入社した当時のリクルートは,有森裕子さんとか日本代表のエースばっかりなんですよ。そんな中で,私は小心者で,いつもおろおろしてて,ドキドキしてて,心配症で,という感じがずっと続いていました。入社の始めのころは,800mと1500mをやっていました。まさか,自分がマラソンをやるとは思わなかったですね。
―後のオリンピックで金メダルをお取りになるのが2000年ですが,その5年前にはまだフルマラソンを走ってなかったのですか。
高橋さん フルマラソンどころか20キロも走ったことないです。その頃は,1万mくらいまでいければいいかなと思っていました。私自身は,オリンピックに出る選手は,小さい頃から英才教育を受けてきた人っていうイメージがあったんですけど,私はそういう選手ではなかったんです。1996年に有森さんがアトランタオリンピックのマラソンで銅メダルを獲ったときも,まだ私自身は,マラソンを始めてもいませんでした。でも,小出監督は,私に会うと,1年間365日,「おまえはすごいぞ,おまえはオリンピックに行くぞ。」と必ず言うんですよ。そうすると,そのうち「私も行けるかもしれない。」って思えてくるんですよ,これが(笑)。
―それで,4年後のシドニーで金メダルですか。
高橋さん そうですね。当時の私の自慢は,有森さんの隣の部屋に住んでるということでした。でも,同じチームにいて,同じ空気,同じ練習,同じ食べ物で,私ももしかしたら可能性があるのかもしれないなと漠然と思うようになりました。
―マラソンに向けての練習は,どのくらいの距離を走るんですか。
高橋さん 強くなるにしたがって練習内容も変わって進化していきますが,1999年,2000年頃,自分の練習が確立してきた時期は,平均で1日40キロ走っていました。週に1回は1日70~80キロ。その頃には,私自身も自分のことが分かり,小出監督も私のことが分かり,お互いが意見を出し合いながらメニューを確立していきました。ちなみに,最近の選手にインタビューすると,試合までに40キロの練習は1回か2回だと言ってました。私の場合は12~15回くらい(笑)。
―今日は走りたくないっていう日はあるんですか。
高橋さん もちろんありますよ。あ,走りたくないというか,今日は走れないのではないかなと思う日があるということです。体がだるい,重い,と。あるとき,2日連続で40キロ走って,次の日は軽めのジョギングをやって,その次の日に集合したら,「高橋,今日40キロやるぞ。」って言われたときがあったんです。4日で40キロを3回走るって言われて,「監督ボケちゃったかなー,わかってんのかなー,おかしいなー。」と(笑)。さすがに体が重いから,「出来ないと思います。」って言おうとしたときに,監督に,「今日の練習出来たら,おまえすぐ世界一だなー。階段2,3段飛ばしだぞ。」って言われて,「うーん」って(笑)。そう言われると,今日は無理って思ってたのに,「いや,やらせて下さい。」って(笑)。当時のうちの練習は,月火水の練習がきつく,木曜日が楽,金土とまたきつくて,日曜日が休み。水曜日が一番体が重いので,力を抜きたくなるんですけど,水曜日の練習は月火をこなさないと出来ないわけです。今日のこの力をつけるためには,一週間待たなきゃならない。今日頑張れたら来週はちょっとは楽になっているはずですので,逆に,抜かずにやろうと考えていました。
―その辛い状況の中で,なかなかそんな風に持って行けないですよ。
高橋さん こちらから見ると断崖絶壁だけど,反対側から見るとなだらかな坂だということがありますよね。そういうイメージです。例えば,陸上をしていると,怪我をして走れない時が一番悲しい。でも,部屋でしゅんとしているよりは,「今日は,神様がくれたプレゼントだ。遊んでしまおう。」と考えストレス発散してしまう。「今日遊んだ分は明日頑張るぞ。」と思えて,気持ちも楽になります。悪いことでも良い方に考えられると,すごくポジティブな感じで生活出来るようになります。
―そういうポジティブな考え方は,子どもの頃からお持ちだったんですか。
高橋さん 色々な見方をできるようになったのは,1998年のアジア大会くらいからでしょうか。そのときのアジア大会は,気温が35度くらいのすごく暑い所だったんです。大会の2か月くらい前から,周りの人や報道陣から「暑いよ,暑いよ,どうするの?!」って言われ続けていました。最初は,不安になってどうしようかと悩みました。でも,はっと思いついたんですが,今悩んでいても当日どうなるかわかんないよねって。雨かもしれないし,涼しいかもしれない。先のことで悩んでいるよりかは,今その悩んでいる時間で腹筋50回やった方が絶対力になるなって。
―でも,結局,その大会の気象条件はすごく悪かったですよね(笑)。にもかかわらず,アジア記録で優勝されました。
高橋さん はい(笑)。日本記録,アジア記録でした。気温は35度くらいで,ほんと暑かったです(笑)。
―テレビで応援してましたが,陽炎の立つ中を走っていらっしゃったのが印象的でした。
高橋さん もう,途中30キロまではすごくハイペースで,監督からは,「落とせ,早すぎるぞ。」と言われてたんです。でもスピードに乗っちゃって,自分でもスピードを落とせなくて,「無理です,無理です。」って(笑)。
―スピードを落とせないってことがあるんですね(笑)。
高橋さん 気持ちも体も乗ってしまって,ペースを落とすことが出来ないんですね。でも,「落とせ。」って言ってた監督が,35キロ地点で,「これは世界記録のペースだから頑張れ!」と言った瞬間に,それまでは「スピード落とさなきゃ。」と気持ちが楽だったのが,カクンと力が入らなくなってしまいました。
―監督にがんばれと言われなかったら,もっといい記録が出てたかもしれませんね(笑)。
高橋さん いやいや,それはもういっぱいいっぱいだったんで,そんなことはないですけど(笑)。
―必死で走ってらっしゃるのに,監督の声って聞こえるものなんですね。
高橋さん はい,マラソンはトラック競技や10キロと違って,30キロ地点くらいまでは8割くらいの力で走ってるので,監督や応援の声も聞こえています。選手同士でも話そうと思えば話せるくらいです。世界記録を出した2001年のベルリンマラソンのときも,レース中に周りの選手と話してましたし。
―そうなんですね。ちなみに,フルマラソンを走っている間,何を考えてるんですか。
高橋さん その質問がこれまでのインタビューで一番多いです(笑) 。あんまり,これを考えるっていうのはないんですよ。例えば,今日は帽子を買いにデパートに行くって考えたとき,家を出たときから,「帽子,帽子」って考えてる人はあんまりいないですよね。「今日は天気良いな。」とか,「犬が散歩してるな。」とか色々なことを考えますよね。それと同じです。フルマラソンって長いから暇なんですよ。
―そんな平和な感じなんですか。
高橋さん 平和な感じですよ(笑)。スタートしてすぐは位置取りとかがありますが,ある程度2,3キロ走ってからは,結構周りも見てます。「この応援の方2回目だな。」とか,「小出監督が木に登ってるな。」とか(笑)。先ほどの例に戻りますが,デパートに着いたら,何階のどこに帽子売り場があるか見ますよね。それがマラソンの30キロ地点ぐらいです。そのくらいになると,誰が残っているのか,その相手がどういう選手なのか,汗のかき方,足音,息使いがどうなのかを見ますね。
―いよいよ駆け引きが始まるんですね。
高橋さん 例えば,周りの選手がスピードのある選手だったら,最後のトラック勝負にはしたくないな,ロングスパートが必要だなと考えます。たくさん汗をかいていたり,呼吸使いが荒くなっている選手がいると,結構疲労が来てるんだな,と。足音も音が大きいということは,下に打ちつける力が大きくなって,推進力が失われてきているということですから,少し疲れているんだなと。みなさんが,帽子をどっちにしようかなと見ている時が,デットヒートですよ。そして,帽子を買いにレジに持っていった時が,ゴール。そういう感じです。
―高橋選手が特別そうだってことはないですか。実は他の選手は,ずっと死に物狂いとか(笑)。
高橋さん もちろん,全然違うという人もいます。私は,意外といろんなものを見ていますが,目の前の事しか見てないという選手もいます。他にも,私は,直線はぼーっと走れるので割と好きですが,直線は負担になる,カーブがあった方がいいと言う選手もいたり。あとは,気象条件にも個々の好みの差がありますね。
―一般的には,どのくらいの気温がいいんですか。
高橋さん 13~15度の気温が一番タイムが出ます。ちょっと肌寒いくらいですが,走ってるとあったかくなってきますので。今回のロンドンオリンピックの女子マラソンは14度でしたから,気象条件は最高でしたね。雨が降ると体の芯が冷えることがありますが,夏の雨は冷えないですし,雨が降ると呼吸が楽になるので,すごくいいコンディションだったのかなと思います。
―ロンドンオリンピックのコースは,だいぶ細くて,くねくねと曲がっていましたが,ああいったコースは走りにくいんですか。
高橋さん あのコースは,スピードがある選手でもスピードが出しにくいし,接触があったりして位置取りが難しいですね。でも,だからこそ,作戦を立ててコースの特性を上手く使ってレースをすれば,自分の味方につけられるコースでもあります。
―ロンドンのコースは周回コースでしたが,その点はいかがですか。
高橋さん それも個々の好き嫌いがありますよね。私は若干苦手,あまり好きではない方でしたけど。
―今,ロンドンオリンピックの話が出ましたが,それでは,これから2000年のシドニーオリンピックのお話についてお聞きします。走る前にメダル獲得の自信はありましたか。
高橋さん 走る前に聞かれていたとしたら,「自信はありません。自分の走りをするだけです。」と答えていたと思います。というのも,私自身は万全の準備だとしても,他の選手の調子が分かりませんので,順位の予想は難しいんですね。ただ,ここで一つエピソードをご紹介しますと,オリンピックには,たくさんのスポンサーに付いていただいていますので,日本代表のウェアを場面場面で使い分けないといけなくて,その詳細が説明された冊子をいただくんですね。練習のジャージはどこどこのメーカー,試合前はどこどこのメーカー,表彰台はどこどこのメーカーという具合です。マラソンの場合,スタート地点とゴール地点が違うので,表彰台用のウェアをゴール地点に持っていっておく必要があるんです。それでレース前日の夜に,小出監督に「表彰台の服ってどんな服でしたっけ?」って聞いたら,監督に「おまえすごいな。走る前から表彰台のこと考えてて。」って言われて,全然自分では意識してなかったけど,「あっ!本当だ!」って(笑)。
―オリンピックでは,緊張されましたか。
高橋さん 全然緊張しなかったです。1997年に5000メートルで世界選手権に出たときはすごく緊張しましたけど,1998年のアジア大会のときに,事前に色々と考えても仕方が無いというのを学んだので,色々考えるくらいなら腹筋でもしとこうって感じですよ(笑)。
―(笑)。先ほども腹筋のお話が出ましたが,マラソンに腹筋って必要なんですか。
高橋さん 体幹トレーニングは重要ですので,腹筋,背筋はとても大切です。イメージとしては,腰が土台となって,その上に上半身という花瓶が乗っている感じです。土台が斜めになっていたら,花瓶が安定しませんよね。だから,体幹をしっかり鍛えて,上半身がぐらぐらしないようにするんです。私は,腹筋は1日2000回やっていました。
―えっ?!2000回ですか?!それはすごいですね。
高橋さん 背筋は1日200回くらいやっていました。お腹の周りをドラム缶だとしますと,前の部分だけ鍛えて鉄のようになっていても,他の部分が紙で出来たドラム缶だとバランスが悪いですよね。だから,前面の腹筋だけでなく,横の腹筋も,背筋も,お腹の周りを全体的に強化していかないといけないんです。あと,意外かもしれませんが,腕立て伏せもしっかりやると全然違いますよ。
―マラソンに腕立て伏せが必要なんですか。
高橋さん 足が4回動くってことは,腕が4回動くわけです。足が4回で腕が2回って人はいないんですよ。ですから,足を鍛える分,腕もちゃんと鍛えておかないとだめなんです。30キロを超えると足が出なくなることがあると思うんですが,足が動かなくなってくると,皆さん,「足動けー,足動けー。」って動かない足にムチを打つんです。でも,足が動かなくなったときは,腕を早く大きく動かせば足が絶対出てくる。出てこないはずが無いんです。私は,腕立て伏せも毎日60~100回くらいはやってました。
―そうやってトレーニングを積まれて,失礼ですが,オリンピックに出る時は体脂肪率ってどのくらいなんですか?
高橋さん 毎日測っていたわけではないですけど,MRIを測った時に言われた数値は4%でした。MRIを測ってくださった先生に,「男子でもそんな人はいないよ。」って言われました。
―オリンピックのレースについてお聞きします。シモン選手と並走されていたときにサングラスを投げ捨ててスパートされるシーンが有名ですが,あれは最初から決めてたんですか。
高橋さん 決めてないです。サングラスをそろそろ外したいなと思ったんですけど,割と高いサングラスだったので,捨てるのはもったいないから小出監督に渡そうと(笑)。それで,30キロ地点にいるはずの小出監督を探したけど,なぜかいなかったんです。どうしようと周りをきょろきょろ見ていたら,34キロ地点で父親を見つけたんですね。「ラッキー,父親にこのサングラスを受け取ってもらおう。」と思って一歩前に出てサングラスを投げたんです。真横をシモンさんが走っていたので,シモンさんに当たらないようにと。そしたら,サングラスがバイクのカメラマンに当たって跳ね返ってきたんです。「えー!!」って驚いて,「うわ,やばい,届かなかった。」って見た瞬間に,シモンさんがちょっと遅れているのが視界に入って,「あっ!いまだ!」と思ってスパートしたんです。もともとは35キロの給水をとった後にスパートしようと思っていたんですけど。
―急遽,スパートを前倒しにされたんですね。
高橋さん スパートのタイミングは意外に難しいんです。スパートをかけると2倍の負担になって自分に返ってきます。すごく労力を使うんですね。マラソン中は,楽になったりきつくなったり,波があります。相手が楽な時にスパートをしても,振り切れない。ちょっとした相手の歪みの部分を察知してスパートかけるんです。瞬時に弾丸のようにいかないと。
―お父さんがいいところにいたってことで(笑)。
高橋さん そうですね(笑)。あの時のスパートは,自然にかけられたので,その分負担も少なくて,すごく楽なスパートでした。
―楽なスパートってあるんですね。ゴール後に「楽しい42キロでした。」っておっしゃってましたね(笑)。
高橋さん 走るの大好きなので(笑)。
―オリンピックで金メダルを獲られて,良かったことはなんですか。
高橋さん 金メダルを獲って良かったことは,やはり多くの人に応援をしてもらったことです。あとは,監督,仲間,スタッフの方々に,金メダルという1つの形を残せたことが嬉しいです。マラソンは個人競技で孤独と言われることがありますが,決してそうではありません。監督,トレーナー,料理をしてくれる方,そういった周りのスタッフ達が,レースまでに私の体作りを一生懸命やってくれます。レースのスタートというのは,そういうスタッフにとってのゴールラインです。ようやく襷をもらった私が,レースで自分の役割を果たすことによって,みんなのやってきたことも形に出来るのかなと。私にとってのマラソンは,駅伝のアンカーみたいなイメージです。私が世界一になるっていうことは,スタッフみんなも世界一ということになります。いろんな人の力があってのメダルなのかなと。
―逆に,金メダルを獲って悪かったことってありましたか。
高橋さん 悪かったというわけではないですけど,表彰,凱旋,テレビ,雑誌等からお声がけいただいて忙しくなって,陸上を離れなくてはならない時間が多くなったので,早く練習に戻りたいという思いはありましたね。ただ,その時監督に言われたのは,「野球やサッカーのプロは,それなりの生活がちゃんとあって,その道を子供たちに見せているから,子供たちが目指したいと思う。陸上も,上に立った人が新しく開拓していって,子供たちが将来陸上選手になりたいと思わないと,これから伸びていかない。お前にはその使命があるんだ。」と言われて,なるほどと納得しました。今では,そういう道を選ばせてもらったことはすごく良かったなと思っています。
―ちなみに,今でもトレーニングはしていらっしゃるんですか。
高橋さん はい,していますよ。今年の7月8月はロンドンオリンピックもあって月間走行距離がゼロに近かったんですけど,その反動もあって,8月30日くらいからは1日15~25キロくらいは走っています。
―どういった所を走られているんですか。
高橋さん その時たまたまお休みをいただきましたので,アメリカのボルダーに滞在して走っていました。オフの時はそこに行くことが多いです。遊びに行っても,毎日2時間のジョギングを連日やりますので,ほぼ合宿状態です(笑)。
―これからも現役のアスリートをずっと続けられるんですね。
高橋さん 現役っていう速さじゃないです。超遅い(笑)。
―最近は,弁護士でもランニングをする方がとても増えています。先ほどの体幹のお話はとても参考になったんですが,アマチュアランナーにアドバイスをいただけますか。そもそも素人が42.195キロを走るって可能なんですか。
高橋さん もちろん可能です。最近多いのが,60歳の定年を機に走り始める方です。時間に余裕もできて,自分の健康管理に目を向けられるようになって,走り始める方が多いんです。定年後の方でもフルマラソンを完走できるわけですから,誰でもできると思います。
―マラソンは生涯に渡って楽しめるんですね。
高橋さん 走ることって,スポーツっていう括りだけでなく,ダイエットや健康,そして肉体的・精神的成長も得られるものなんです。いろんな場所に行くことも出来ますし,新たな仲間が出来る楽しさもあります。それに,マラソンって一人でも靴さえあれば出来るんです。場所も人も選びません。また,サッカーやバレー等は勝ち負けがありますが,マラソンは一部のトップ選手を除いて,完走したら全員が勝者なんですよ。ですから,みんなが新しい自分を発見したり,こんなにも頑張れる自分を知る事が出来たり,また,マラソンを経験することで,その後の生活にもすごく刺激を与えられると思います。
―それでは,レベル別にトレーニングの方法を教えてください。まず,松竹梅の梅の下のクラスのほんとにほとんど走ったことのない人,完全な初心者の方は,どのくらいの距離から走り始めたらよいでしょうか。
高橋さん まず,最初は,完全なウォーキングから始めるのもいいと思います 。疲れるとフォームってバラバラになって崩れてきますが,ウォーキングでしっかりとしたフォームを身につけてからマラソンを始めると,立て直していくことが出来るんです。腕を振る,目線を少し下にする,腰の位置をしっかりするっていうことを頭の中に入れて走っていくと,走り始めたときも楽に走っていけると思います。そして,少しずつ走り始めるときは,15分走って,15分歩いてと,走りと歩きを組み合わせて,体をなるべく長く動かすことを目標にしてください。皆さん,マラソンって聞くと,学生時代の持久走を思い出すんですよね。走らなければいけない,頑張らなくてはいけない,はあはあ言わなくてはいけない・・・。でも,まずはそういう気持ちを全部忘れてください。今のマラソンは違います。花が咲いていたら立ち止まってもいいんです。きつくなったら歩いてもいいんです。
―歩いていいんですね。
高橋さん いいんです。「走らなければならない」を,「走ってもいい」に変えてもらえれば,ハードルが低くなった分軽く走れます。走りながらお話が出来るくらいが一番リラックスしていて力も入らない,気持ちよく走れるペースなんです。あとは,始めからフルマラソンって思わなくても,5キロ,10キロ,ハーフマラソンと,段階を踏んでいくのが理想ですね。
―私でも走れる気がしてきました(笑)。
高橋さん あと一つ重要なのは,準備体操,整理体操をしっかりやっていただくことです。健康や楽しみのためにマラソンをやり始めたのに,怪我をしたり体調を崩してしまう方も本当に多いですから。それに,準備体操や整理体操は,怪我の防止だけでなく,筋肉をしっかり伸ばすことでパフォーマンスの向上にも役立ちます。例えば,ホノルルマラソンに行くと,次の日足を引きずっている方がいらっしゃいますので,誰がマラソンに出た人かすぐ分かります(笑)。マラソンは,走り終わった後の筋肉痛や足の痛みも含めてマラソンです。そこのケアをしっかり行うところまで頭の中に入れてください。
―なるほど。わかりました。次に,中堅ランナー向け,例えばサブ4(*フルマラソンを4時間以内で完走すること)を目指している人へのアドバイスをいただけますか。
高橋さん 中堅ランナーの方々は,キレイなフォームを意識して下さい。先ほど体幹のお話をさせていただきましたが,それに加えて,目線が重要です。まっすぐ前よりちょっと下です。きつくなってくるとどうしても顎が上がってくる人が多いんです。人間の頭は,実はとても重いですから,顎が上がって目線が上に行くと,どうしても体が後ろに傾きます。傾くと足を上げてもなかなか前に進めません。顎を締めてちょっと前に出すと,体って前に倒れるので,足が簡単に前に出てきます。なので,辛くなったときほど,目線を下げて,顎を締めて,頭をちょっと前に出してください。上り坂でも,人間の心理として頂上を見たくなりますが,そうなると目線が上がって,顎が上がってしまいます。一番苦しい上り坂で,一番苦しい体勢をしているのはもったいないです。そういうときほど顎をしめて,しっかり腕を振っていけば,そこで5人抜けます。
―なるほど。アドバイスありがとうございました。それでは最後に弁護士のイメージについて・・・
高橋さん 上級ランナー向けのアドバイスはよろしいですか(笑)。
―あ,それも是非お願いします(笑)。
高橋さん では簡単に(笑)。よく「30キロの壁」って言いますよね。足が動かなくなるのが30キロの壁ってことなんですけど,そこはさっき言ったように腕の振りを意識してください。私は,30キロの壁に加えて,10キロの魔物もいると思っています。10キロくらい走ると体が温まってきて,「あれ?!今日,行けるな!調子がいいぞ!」と思うことがあります。でも,その気持ちに乗って走っていくと,今度は20キロくらいで「あれ?!おかしいぞ。」と。そう思った時には,ペースがスパーンと落ちるんです。10キロの時の誘惑に負けず,騙されず,20キロ地点までは我慢すること。20キロまではいかに自分の気持ちを落ち着かせるかが大切です。10キロの魔物には気をつけてください。
―なるほど,ありがとうございました。それでは最後の質問ですが,弁護士のイメージというといかがでしょうか。
高橋さん 弁護士といえば,皆が憧れる職業であり,かっこいい,正義というイメージが強いです。例えば,大人の世界だけでなく,子どもたちの中でもいざこざがある中で,みんなを平和にしてくれるという。いろんな人が幸せに楽しく生活出来るように,身を呈して一生懸命頑張っていただいているお仕事だなと。自分のことじゃなくて,人のことでこれだけ一生懸命される職業で,その上時間も関係なしで,一日中,また長い時間頑張られている職業だと思います。ただ,身体が資本ですので,マラソンで健康になっていただいて(笑),体を壊さずに,みなさん,頑張って頂きたいと思います。
―本日はありがとうございました。