関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

女優・タレント
沢田亜矢子さん

とき
平成24年11月30日
ところ
新宿京王プラザホテル
インタビュアー
会報広報委員会委員長 岩田武司

 今回の「わたし」は,女優・タレントの沢田亜矢子さんです。
 沢田さんは,北海道北見市出身で1973年5月RCAビクターより「アザミの花」で歌手としてデビューしました。その後,女優としてもテレビドラマなどを中心に活動し,1979年からはワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会を5年半務め,一躍お茶の間の人気者となりました。1984年以降は,二時間ドラマや舞台,バラエティなどさらに活動の幅が広がりました。さらに,2007年からは歌手としての活動も再開し,最近ではシンガーソングライターとして活動中の一人娘・澤田かおりさんと,出身地の北海道北見市でチャリティコンサートを行うなど,ますます精力的にご活躍されています。

もともとデビューのきっかけは?

沢田さん 音大の声楽科に通っている頃,ホテルでピアノの弾き語りをしていまして,それでテレビ局の方などからお声をかけて頂いたんですよ。それはラッキーでした。

もともと芸能界に入ろうと思っていらしたんですか?

沢田さん 全然。もともとは学校の先生になろうと思って教職課程もとっていたんですよ。堅実でしたから(笑)。

でも,結局学校中退されてますよね(笑)。

沢田さん もう,堅実がやんなっちゃってね!

すぐに女優としてもデビューされて・・・。

沢田さん すぐに森光子さんと共演するドラマ(※1)に抜擢されたんですが,右も左もわからないし,演技も初めてで,スタッフも皆さんも私の台詞一言聞いたら「ひぇー」って(笑)。

森光子さんにはだいぶお世話になられたとか。

沢田さん そうなんです。ずっとくっついていましたね。私が余りに芝居がへたくそなんで1か月くらい口をきいてくれなかったこともありますが(笑)。でも,見捨てずにいて下さったしね。教えてもらうっていうよりも「芸を盗む」って感じかな。森さんも「こうするのよ」って教えてくれるわけじゃないし,必死になって教えてもらうようについていきましたね。デビューして5年くらいは下積みですね。それでルックルックこんにちはに抜擢されてから花開いた感じで,森さんもすごく喜んでくれて・・・。

沢田さんといえば「ルックルック」のイメージが強いですが,女性が一人でワイドショーの司会をするなんて当時としては珍しかったのではないですか?

沢田さん 女性の総合司会は初めてだって言われました。でも,番組のメインはそれぞれのレポーターの人達なので,私はみんなをうまく繋いでいればよかっただけなので,それほど大変じゃないんです。

このころは仕事を司会業に集中させていたんですか。

沢田さん いやいや,いろんなことやりましたよ。今まで売れなかった分元を取ってやろうと寝ないでがんばりました(笑)。写真撮影を夜中の3時から入れたり,もう「うひーっ」て感じで。でも,事務所が本当によいところで「亜矢子ちゃん,今のうちよ。貯金するのは」って言ってくれて貯金口座を作ってもらって。それで普段の生活は慎ましやかに,贅沢はしないようにしてね。余ったお金は全部貯金につぎ込んでくれてね。一挙にあの5年半で家を建てました(笑)。

おお!(笑)。沢田さんが司会を担当された79年から84年といえば,ロス疑惑やロッキード事件,日航機の羽田沖墜落事故など大きな事件がたくさんありましたね。一番印象に残っているのはなんですか?

沢田さん いろいろありますけど,私が無遅刻無欠勤だったことですね(笑)髪もぼさぼさで直前にスタジオに駆け込んだり,大変なこともありました。

ルックルックを降板したのも突然でした。

沢田さん ちょっとわがままを言わせて頂いて,女の幸せも追求してみたいなと。小銭もたまったしね。今思えば「若気の行ったり来たり」なんですけどね。そのころは待ったなしだなと思いましたね。

それで渡米して娘のかおりさんをご出産されました。帰国後はまた二時間ドラマなどを中心に女優業で活躍されました。

沢田さん そうね。おかげさまで子どもがいることがわかってからも,逆にいろいろと仕事を頂きまして。子どもも私もなんとか飢え死にせずにね。これも使って下さる方がいらっしゃったからかなあとつくづく思いますね。

ところで,お誕生日が1月1日の午前0時なんですね。

沢田さん そうなんですよ。生まれた時間までは,そのときの記憶がないのでわからないんですが(笑)。

以前お書きになっていたブログ(※2)にそう書いてありましたよ(笑)。面白いブログでしたのに,なんだか突然ぷっつりと終わってしまいました。

沢田さん 更新が大変だし,一人暮らしですので「今地方に来ています。」なんて書くと,家を空けているというのがバレバレになってしまうんですよ。

そういえば有名人のブログを見て不在を確かめる空き巣もいるとか。

沢田さん 怖いですよね。ブログを止めたのは,ネタ切れもありますが,タレントが個人情報をあんまり出し過ぎてもねえと思ったのもあります。そうじゃなくても私の場合は,これまで私生活丸見えみたいなところがあったので(笑)。これからは「隠す」っていうことが私の価値になるかな,原節子さんのミステリアスさみたいなものを狙っていこうかな,と(笑)。

その路線は,既にスタートが遅い感じがします(笑)。

沢田さん ちょっとね,遅いですけどね(笑)。でも,陰々滅々の生活をすることで熟成する仕事もあるんですよね。歌とか芝居とか,誰も見ていないところで,芸を磨くというかね。ブログでタレントが今日は台本何頁まで読みましたって書いていたりするけど,プロがそれを売り物にしてどうするんだよ!ってね。今日どんな芝居を見ましたと書くのもね,私にとっては芝居も自分の仕事の大切な情報源なので,それを見せてどうするんだ!っていう気持ちもあります。

芸能人の方のブログでの情報発信が当たり前になっていますよね。でも,病気になったりすると,日本中から心配の声が届いたりして励ましてもらえますよ。

沢田さん それは嬉しいけど,私の場合インターネットじゃないんですよね。何処の誰だか分かんない人と話すんじゃなくて,リアルな人と会いたい。facebookも何が面白いんだか分かんない。今まで音沙汰なかった人と連絡が取れるって言うけど,消息不明だった人と連絡が取れないというのは,それは「運命(さだめ)」なんですよ。事件だったら別ですけど,消息不明な人と会えないのは,本人がそこまで会いたくないのと,そういうご縁がないの。

ところで沢田さんと言えば,芸能史に残るといわれた離婚裁判(※3)のお話を伺わなければなりません。最近も大物芸能人の離婚が話題になりましたが,そういうニュースで必ず沢田さんのお名前も出てきます。

沢田さん そうなの?でも,私が離婚裁判を引き延ばしたんじゃないのよ。相手方が最高裁まで粘っただけ。

司法制度のユーザーとして何か問題を感じましたか?

沢田さん やっぱり時間がかかりすぎることですね。何年もかかるのはね。刑事裁判でもね。えん罪だったらどうするんだよってね。代用監獄に閉じ込めてね。

代用監獄問題もご存じですか?詳しいですね。

沢田さん だって,私も数えたら裁判7回くらいやってますもん。離婚の問題以外に週刊誌の名誉毀損の裁判とかね。法廷には何度か行っていますよ。もちろん証言も。

同じ弁護士が代理人についているんですか。

沢田さん その都度違う先生に依頼していますので,弁護士さんにもいろんな方がいるんだなあって。私の代理人になって下さった方は皆さん有能でとても良い方でしたね。
 さっさと手を打って和解した方がいいのか,白黒はっきりつけた方がいいのか迷うこともありましたけど,理不尽なことが嫌いな性格なので,やっぱりはっきりさせましょうとね。正義は絶対勝つと思っているんですよ。

僕もそう信じています!ところで,裁判官はどうでしたか?

沢田さん 弁護士さんは選べるけど,裁判官は選べないから,ちょっとこの人はどうなんだろうという経験も結構ありました。裁判官が替わって裁判の流れがガラリと変わるのもびっくりしましたね。
 離婚の問題一つにしても,今ではセクハラやDVという言葉もあって,女性の地位も少しは向上しましたけど,当時はまだまだでね。裁判官にDVで受けた怪我の写真を見せても「このくらいは我慢しなきゃ」とか言われて,「このくらいじゃないんだよ,痛いんだよ!」ってね。人権感覚どうなのかな?って。裁判官のような特権階級の方から最初になんとかした方がいいんじゃないですかね。その発言はセクハラではないですか,って今なら言えるんですけどね。

女性の地位としてみたら日本はまだまだだと思います。

沢田さん ほんと,この国は「ちょんまげ」だな,まだ封建時代だなと思うことがありますね。人権意識に目覚めていない国なんですね。
 子育てについてもね,私はアメリカで出産しましたが,アメリカは,お父さんがお産婆さんの役をするし,子供は二人で育てるもんだというのが当たり前の国。

日本ではようやくイクメンという言葉が出てきましたが・・・

沢田さん イクメンって言葉ができるだけいいですよね。私も以前ブログで応援しますって書きました。これからも子育てにがんばっている人を応援していきたいですね。

お子さんの出産のお話がでましたが,娘のかおりさんはシンガーソングライターとしてご活躍されています。最近では母娘共演でコンサートをされておられますね。

沢田さん 子どもはすごくいやがっていますけどね。でも,コンサートのときに娘が「祖父母が亡くなって家族が二人だけになってしまって寂しがっている母親が喜ぶ顔を見たいからやってるんです。」って言ってくれてね。お客さんもおおー!って拍手喝采(笑)。

いい話です(笑)。

沢田さん 母親としてすごく幸せだと思います。

これからも充実した活動を期待しています。ありがとうございました。

※1 NET(現テレビ朝日)系列で1973年から放映されたドラマ「じゃがいも」

※2 2010年4月まで「沢田亜矢子の毎日がニャンチエイジング」というブログを書いておられました。

※3 1997年から4年に及ぶ元マネージャーの夫との離婚裁判がワイドショーなどを賑わせました。

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