従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
明治大学法学部特任教授
ローレンス・レペタさん
今回の「わたし」は,いわゆるレペタ訴訟の原告であったローレンス・レペタ教授です。レペタ訴訟は,裁判所でメモを取る自由が保障されるかについて争われた大変著名な憲法訴訟ですので,皆様にもお馴染みのことと思います。
レペタ教授は,1951年アメリカ合衆国に生まれ,1979年にニューヨーク州で弁護士登録後,日本で弁護士業務を開始されました。その後も,数々の企業の役員や法科大学院の教授を務められる等,様々なご活躍をされておりますが,現在は,明治大学の特任教授のお立場です。
レペタ教授には,レペタ訴訟についてはもちろんのこと,アメリカと日本の法曹の相違点から日本国憲法の改正の問題点まで,お話を伺って参りました。
―レペタ先生は長く日本にいらっしゃいますが,ご出身はアメリカのどちらですか。
レペタ先生 私の生まれ,育ちは,ニューヨーク州のバッファローという町です。バッファローは,ナイアガラのそばにある町です。
―レペタ先生は1979年にニューヨーク州の弁護士になっていらっしゃいますが,弁護士になられたきっかけはどのようなものでしょうか。
レペタ先生 直接のきっかけというものはありません。ただ,アメリカ人なら誰でも知っていることですが,アメリカの社会の中では,弁護士は非常に重要な役割を果たしています。そのため,自分でもその重要な役割を担いたいと思ったというところでしょうか。
―レペタ先生が日本を選ばれたのはどのようなきっかけだったのでしょうか。
レペタ先生 私は,弁護士になる以前,ベトナム戦争の終わりが近付いた1972年に,海兵隊員として山口県岩国基地に4カ月ほど滞在しました。緑豊かな山々や瀬戸内海がとても美しかったんです。そのとき初めて日本へ来たわけですが,日本は長い歴史がある国で,文化もアメリカとは違います。日本を面白い国だと思いましたので,アメリカに帰ってから日本語の勉強を始めました。
―その後,アメリカでロースクールへ通われたのですか。
レペタ先生 はい,ワシントン大学のロースクールへ入学しました。ワシントン大学は日本との繋がりが強く,その当時,アメリカで日本法の勉強が出来る大学としては,トップでした。
―ロースクールを出て,弁護士資格を取られて,すぐに日本へいらっしゃったのですか。
レペタ先生 そうです。弁護士としての私の最初の仕事は,東京にある渉外事務所でした。弁護士のキャリアを日本でスタートさせたわけです。
―その渉外事務所で長くお仕事をされていたのですか。
レペタ先生 数年勤務した後,その仕事は辞めました。その後は,国際交流基金から学費を頂きながら,日本の法制度を研究していました。将来のキャリアとして大学の研究者を考えていましたので,東京にいるうちに日本の法律制度を知って,経験を積んでいくつもりでした。その過程で,研究課題と関連する裁判の傍聴等も行っていました。
―いわゆるレペタ訴訟の発端となった傍聴は,丁度その頃のお話ということですね。そもそも,レペタ先生は,どのような裁判を傍聴されていたのですか。
レペタ先生 私が傍聴していたのは,所得税法違反の刑事裁判です。1983年12月のことです。これがそのときの傍聴券です。
―メモを制止したのは裁判官ですか。
レペタ先生 いいえ,裁判官ではなく,廷吏でした。メモを取っていたら,廷吏が私のところへ来て,メモは取ってはいけないと言いました。非公開の手続なら分かりますが,公開の裁判なのに,メモを取ってはいけないという論理が分かりませんでした。今でも理由が分かりません。ただ,廷吏の指示に従わない場合には退廷させられてしまいますので,やむなくメモを取るのを中断しました。
―そのときはどういうお気持ちでしたか。
レペタ先生 あり得ないことだと感じました。民主主義社会では裁判所の役割が非常に大きく,私たちの権利は裁判所で保障されるわけです。そして,その裁判所の手続は,憲法82条によって公開が保障されています。それにも関わらず,メモをとってはいけないというのは許されないことだと思いました。傍聴時にメモを取ることは国民の知る権利の問題でもあります。その知る権利が侵害されたと思いました。
―レペタ先生は,後に,この件で国家賠償請求訴訟を提起されました。
レペタ先生 自由人権協会(JCLU)という憲法の基本的な権利を保護しようとしている団体があるのですが,その協会のメンバーに相談したところ,協会の会員弁護士5名が無料で代理人になってくれることになり,訴訟をすることになりました。
―国家賠償請求として提訴されましたが,訴額はいくらだったのでしょうか。
レペタ先生 はっきり覚えていません(笑)。10万円だったか,それとも100万円だったでしょうか。賠償請求は全くシンボリックなもので,私はお金には興味がありませんでした。弁護士と相談して,重要な憲法上の問題を裁判所で十分考慮してもらうには,損害賠償請求という訴訟類型が一番良いということでしたので,国家賠償請求という形になりました。
―訴訟の概略を教えていただけますか。
レペタ先生 東京地裁への提訴が1985年3月,約2年経った1987年2月に第一審の判決が出ましたが,残念ながら敗訴でした。その後控訴して,東京高裁でもその年の12月に敗訴判決が出されました。そして最高裁で判決が出たのが1989年3月8日のことです。
―最高裁では大法廷が開かれました。判決主文としては請求棄却でしたが,最高裁の判断を聞いたときのご感想はいかがでしたか。
レペタ先生 大勝利だと感じて非常に喜びました。担当弁護士も,専門家も,歴史的な判決だという反応でした。最高裁は,メモを取る自由の位置付けについて,「憲法21条1項の精神に照らし尊重に値し,故なく妨げられてはならない。」と判示しました。この部分が,まさにこの判決のコアです。その後,20数年経っていますが,日本全国の裁判所は,メモを取るのを自由にしているわけですから,私の訴訟提起の目的が達成されました。
―我々弁護士も,司法試験の際に必ず勉強する著名判例ですので,その最高裁の言い回しは自然に覚えています(笑)。その後も,レペタ先生は,様々な所でご活躍されていました。大宮法科大学院の教員を担当されたり,また,現在は,明治大学の特任教授のお立場でいらっしゃるんですね。
レペタ先生 大宮法科大学院では,4年間教員をしていました。今は,明治大学の法学部の学部生に英語でアメリカ法と国際法を教えています。授業中に学生がメモを取るのはもちろん自由です(笑)。
―レペタ先生は日本とアメリカのロースクールをご経験されていますが,両者は似ていると言えるでしょうか。
レペタ先生 私の知っている範囲で言いますと,似ていると言えると思います。大宮法科大学院では,実践的,実務的な講義が沢山ありましたが,これはアメリカのロースクールと同じです。
―最近,日本では法曹人口の問題が盛んに議論されています。アメリカでは日本より遥かに多くの弁護士が活躍されていますが,日本とアメリカではどのような違いがあるでしょうか。
レペタ先生 色々な違いがあるでしょうが,例えばアメリカの場合は,一定の重大な社会問題が関係する裁判では,原告が勝訴した場合に,被告が原告の代理人の報酬を払わなければいけません。職場で起こる人種や性別による差別がその例です。金銭的に余裕がない犠牲者たちは,この「Fee shifting statute」がなければ訴訟することすら難しいです。「Fee shifting statute」により,原告の代理人は完全な成功報酬で仕事をすることができ,勝訴した場合に被告の企業あるいは政府から支払いを受けることができます。こういう制度は,このような社会問題の解決に取り組む大きな力となります。情報自由法も「Fee shifting statute」のひとつです。ある有名な裁判では,サンフランシスコの記者が,情報自由法上の争いをFBIを相手に20年以上行いました。訴訟終了後に,担当弁護士は,60万ドル以上の弁護士報酬を得ました。裁判所の決定によって,国が税金から弁護士費用を払わなければならないわけです。
―日本では,弱者のための訴訟では手弁当で行われることも多いようですが,無償で行うのには限界がありますね。
レペタ先生 アメリカでも日本でも,弁護士一人一人が社会に対する義務として無償で活動することもあるでしょうが,それだけでは生活出来ないですね。
―ところで,最近の日本では憲法改正の議論が盛んです。レペタ先生は,先日,外国特派員協会で憲法改正についての記者会見をなさいましたが,昨今の憲法改正の動向についてはどのようにお考えですか。
レペタ先生 私は日本外国特派員協会で講演をするよう依頼を受けました。自民党が昨年提示した日本国憲法改正草案が,人権を脅かしかねないとして大いに恐れられているからです。外国の記者たちは,私や自由人権協会(JCLU)の同志に,自民党の憲法改正草案の重要性を問いました。自民党の憲法改正草案は非常に危険です。なぜなら,憲法改正草案には人権を制限する文言があるからです。また,国民に新たな義務を課しています。最終的には,政府の力を大幅に強め,みなさんの権利を制限する事になるのです。私が東京地裁でメモを取り始めてから約30年後,自民党憲法改正草案は2012年の4月に発表されました。ある意味では,今回の憲法改正草案はあの時と同じ事の繰り返しなのです。
―「同じ事」とはどういう意味ですか。
レペタ先生 最高裁の1989年の法廷メモ訴訟の判決までは,法廷で行われていることについて知る権利を裁判所が認めていなかったのです。私の訴訟代理人,法学者,そして多くの支援者たちの長年の努力が実り,厳しい戦いの末に,法廷でメモを取る行為は日本国憲法によって尊重されていると最高裁が認めるにいたりました。法廷メモ訴訟のときと同じように,自民党憲法改正草案は,政治の代表者が民主主義の最も重要な要素である国民の基本的人権の尊重を否定している事を示唆しています。これらの権利は,私たちが立ち上がることでしか守る事はできないのです。
―具体的に,自民党憲法改正草案で特に問題視している条文はありますか。
レペタ先生 たくさんあります!日本の弁護士は全員この改正草案をしっかり読むべきです。自民党憲法改正草案の全文は自民党のホームページに掲載されています(http://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html)。私が真に懸念している事は,憲法改正草案にはらむ自民党の考え方です。自民党の改正草案は,「普遍的な権利」の思想を否定しています。自民党のパンフレットでは,自民党の代表者は「人権規定も,我が国の歴史,文化,伝統を踏まえたものであることも必要」と説明しています。さらに,憲法改正草案は表現の自由等の基本的人権に対して新たな制約を課し,また国民に新たな義務を課しています。「普遍的な権利」は,1948年の「世界人権宣言」においても,その後にできたあらゆる人権条約においても,まさにその中核を為す重要なものなのです。日本が日本独自の権利を主張する自民党憲法改正草案を可決するという事は,「普遍的な権利」を根本的に否定し,アメリカをはじめとした世界の民主主義国家とは大きく異なる道を進む事になります。
―日本国民は憲法の正しいあり方を維持することが出来るでしょうか。
レペタ先生 維持できると期待しています。これは日本国民の力に依存していることです。日本人が今の自由憲法を守れるのか,まさに問われることになります。
―我々弁護士や弁護士会も,憲法改正について色々な意見表明をしていく必要があると思っています。
レペタ先生 頑張ってください。弁護士法第1条の弁護士の使命である自由と正義を守るため,弁護士が憲法を護らないといけないでしょうね。
―今日はありがとうございました。