従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
能楽師
安田登さん
今回の「わたし」は能楽師,ロルファーの安田登さんです。安田さんは,下掛宝生流のワキ方として27歳のときに入門し,現在では東京を中心に舞台を務めるほか,年に数度の海外公演も行い能楽界の将来を担う中堅としてご活躍されています。また,国内外の学校や市民講座・学会などで能や能の身体技法をテーマにしたワークショップを開いたり,寺子屋という「論語」「平家物語」「古事記」などをテーマとした勉強会を主宰し,2011年には若者たちと実際に「おくのほそ道」を踏破したりするなど,その活動の範囲は極めて広く,著書も「身体感覚で『芭蕉』を読みなおす」「異界を旅する能ワキという存在」「身体能力を高める『和の所作』」「対談 前田英樹×安田登からだで作る<芸>の思想」など枚挙に暇がありません。
―最近の安田さんの怒濤のようなご活躍を拝見していると,いかにして「安田登」というものが完成したのかというプロセスに大変興味があります。能楽師として入門されるまではどのような人生を送ってこられたのですか。
安田さん 中学までは千葉県の銚子市の海辺にある田舎の学校に通っていました。そういうところに育ったので,本も読んだことがない小学校時代でした。今でもよく覚えていますが,初めて本を読んだときは本当にびっくりしました。小学校4,5年生のころだったのですが,それこそ「世界がひらく」感じでした。
―ちなみに,どんな本を読んだのですか。
安田さん 「古事記物語」と「雲の墓標」でした。
―小学生には難しいですね(笑)。その後は読書少年に?
安田さん いやそうならずに中学の後半からバンド少年になりました(笑)。
―大学は文学部で中国語を勉強されたと伺っていますが,そのきっかけは?
安田さん 高校2年くらいから家にも帰らず,麻雀とバンドに明け暮れる生活だったんです。あるとき麻雀というのはどうして1から9がセットになっているのかを考えて,最終的には甲骨文字から謎が解けたんですけれど,それでもっと甲骨文字を学んでみたいと思いました。
―音楽は止めてしまったのですか。
安田さん 実は,ナイトクラブでピアノを弾いて生活費を稼ぐようになり,仲間からは「文学部ピアノ科」と揶揄されました(笑)。親が会計士だったので,息子にも経済学部か商学部に行って会計士の資格をとってもらいたいと思っていたようで,好きな勉強をするのはいいけれど学費も生活費も自分で稼げと言われまして。
―大学を卒業してからは?
安田さん 漢語辞典で熟語の部分の執筆をしたり,教員をしたり・・・。
―能楽師に入門されたのはどういうきっかけですか。
安田さん 友達に誘われて能を観に行って,そこで鏑木岑男先生の謡を聴いて衝撃を受けたのです。それまではジャズに興味があって能には全く興味がなかったのですが,能のすばらしさに突然目覚めました。それで入門させて頂いたのです。
―能にはシテ方とワキ方がありますが,最初にどちらかに入門してしまうと一生相互乗り入れはできないと聞いています。ワキ方になられたのは?
安田さん それはもう単純な理由です。鏑木先生がワキ方だったからです。
―歌舞伎など日本の伝統芸能は世襲制のようなところが多いですが,能はそういうことはないですか。武家層に尊ばれた芸術として一見閉鎖的な世界にみえますが。
安田さん 思ったよりも外の世界の人が多いですね。それは,もしかしたら世阿弥の言葉「家,家にあらず,継ぐを以て家とす。」「心(しん)より心に伝はる花」が影響しているのかもしれません。前者は,「家はただ続くから家なのではない。継ぐべきものがあるから家なのだ。」という意味,後者は,申楽(さるがく,編者注:能のこと)は,「心から心へと伝えられていく,そういう花である」という意味です。
―「心(しん)」とは「こころ」のことですか。
安田さん 能の世界では少し違います。「こころ」というのは最も表層的なものなんですね。「こころ」の下に「思い」があり,さらにその下にあるのが「心(しん)」なんです。その部分で継いでいくものが「能」である,伝わるものは「心」であって,それは親子間のものではないし,ましてや芸の巧拙ではないと,世阿弥の言葉を捉えているわけです。誰も意識はしていないのですが,どこかにそういうところがある。
―能の物語は,ワキが旅の途中にあるところにさしかかり,この世の者ではないシテに出会うという話が多いですね。これは「夢幻能」と呼ばれるものですが,幽霊が主人公の芝居というのも世界的にみても珍しいですね。
安田さん そうです。しかも,シテは異界の存在だし,ワキもアノニマスな(編者注:匿名の)存在なのでどちらにも感情移入ができない(笑)。
―ある人が異界のものと出会うというストーリーは,古くは夏目漱石,最近では村上春樹など小説のモチーフとしても共通するものがありますね。
安田さん まさにそうですね。あと「おくの細道」も同じ。
―「おくの細道」に関する安田さんの著作(編者注:身体感覚で『芭蕉』を読みなおす)を読ませて頂きましたが,僕らが考えていたものとはだいぶ違いますね。
安田さん 身内の者に向けて書かれた書物なので記号的なものが多いのです。これを読み解くと全く違った風景が現れてきます。
―能に話を戻しますが,能の場合は異なる流派同士でも同じ舞台に立つのですね。
安田さん そうです。シテ方は5つ,ワキ方は3つの流派がありますが,それぞれ違う台本を使うんですよ。
―それで矛盾しませんか。
安田さん 基本はお互いの台本の通りにやりますが、どうしても合わないところだけワキ方がシテに合わせます。それも最小限ですね。
―能の舞台は大変な緊張感がありますが,決まった台本を使いながら,どうやってあの緊張感を出していくのでしょうか。
安田さん それはあまり稽古をしないからだと思います。リハーサルで本気でやってしまうと,本番で「おお,こうきたか!」というのがなくなってしまうんです。もちろん,シテ方はシテ方で,ワキ方はワキ方で,それぞれ自分で稽古はしていますが,合わせ稽古はあまりやらないので,本番にかける集中力が違ってくるのです。
―合わせ稽古は「ゲネプロ」だけみたいな感じでしょうか。
安田さん 少し違います。たとえば,普通の演目では,本番の二日前に「申し合わせ」という稽古をやるのですが,これには二つの特徴があって,一つは本人が出なくてもいいこと,もう一つは,全部はやらないこと。
―え?代役が稽古して本番は本人がやるのですか(笑)。
安田さん そうなんです。本人は代役から段取りを聞いておく。
―本番一発というのはある意味ジャズですね(笑)。ところで,能というと静かすぎて眠くなるという人も多いですが,舞台では,突然すごいスピードで動いたり,大きくジャンプしたりと意外と大きな動きもありますね。
安田さん そうですね。全く助走なくして大きな動きをするので,スポーツ選手や舞踊家が観てもその部分に一番驚くようです。実は,大きな動きよりも「そそ」と歩くような静かな動きの方がいろいろな筋肉を使って大変なところもあるんですよ。
―安田さんはどちらかというと細身だと思いますし,普段の会話ではそれほど大きな声が出ているわけではないのに,能の舞台ではものすごい大きな声も出ていますね。
安田さん 訓練の賜だと思います。でも,最初は間違った訓練をしていました。昔体操をやっていたので,がんばって腹筋を鍛えることが大きな声を出す近道かと思ってトレーニングしましたが,実は表層の筋肉,つまり腹直筋を鍛えるだけであまり意味がない。本当に大きな声を出すには,一番奥にある腹横筋を鍛える必要があるのです。そのためには,大きな声を何度も出すこと,すり足をしっかりとやることが大切です。
―能を観たことのない方に,能の魅力を伝えるとしたらどのように伝えますか。
安田さん 「気楽に観て下さい」と言いたいところですが,本当のことをいうと,能というものは,そうはいかない芸能だと思うのです。つまり,苦行に耐えて舞台に通い何度も観なければ分からない,楽しめないところがある。
―どういうことでしょうか。
安田さん ワーグナーのニーベルングの指環でも「示導動機(ライトモチーフ)」が分からないと本当には楽しめないところがありますし,それが期待されている作品ですよね。一つ例を挙げると,指環の一つである「ワルキューレ」の中で,父であるヴォータンは彼を裏切った娘のブリュンヒルデに対する怒りの歌を歌うシーンがあります。伴奏をよく聴くと控えめにコントラファゴットで「挫折の動機」が聞こえます。その仕掛けによって,私たちは当のヴォータンですら気づいていないかもしれない,彼の複雑な意識をそこに読み解くことができます。
それと似たようなところが能にもあって,この場合のモチーフにあたるのは「掛け詞」なんですね。たとえば,能の演目「藤戸」で,老女の思いを地謡が述べる部分。海辺の風景なのに,掛け詞によってもう一つ裏の「山の風景」が出ることがあるんです。海辺にいる老婆が悲しみを歌っても,掛詞でその心の中にある山の荒涼たる風景,幻のあばら屋が表現される。この荒野に見捨てられた一軒のあばら屋,それは老女の心の風景が実体化したものなのです。そこまで味わうとすごく能も楽しめるんですよね。残念ながらそこまで解説してある解説本はないのですが。
―それは是非安田先生が書いて下さい!(笑)ところで,先ほど筋肉のお話しが出ました。安田さんは,公認ロルファーとしてもご活躍ですが,ロルフィングというものはどういうものなのでしょうか。
安田さん アメリカ生まれの整体のようなものです。全10回のセッションで行うマッサージのようなもので,体中の筋肉に触れていって「ゆるめる」というものなのです。一度体調を損ねたときにロルフィングに助けられたことがあって,自分でも資格をとってみようという気になったのです。
―主宰されている「寺子屋」とはどのようなものですか。
安田さん 論語を一緒に学んでいこうという会です。最近では,論語以外にも数学をとりあげたりしています。常時30人くらいから100人くらいが参加してもらっています。僕が論語の一部について話して,その後皆さんで話し合っていただいて,また僕が少し話して,という感じ。いつも「結論を出すことを期待しないで下さい」と言っています(笑)。
―ゲームの攻略本やエイズ関連の本をお書きになったこともあるとか。
安田さん はい。エイズの本は2冊書きました。ゲームについては,プレイステーションのゲームのプロデュースに関わったり,3DCG(編者注:3次元コンピュータ・グラフィックス)の本を出版したこともあります。
―活動される領域が本当に幅広いですね!現在,興味を持たれていることは何ですか。
安田さん 論語はもちろんですが,古事記についても読み直しています。原典を読むといろいろと見えてくるものがあります。それから最近紀元前2000年ごろ前に死語となったシュメール語を勉強しているのですが,この言葉を能の謡のように発声して当時の神話をやったら面白いかなと思っています。
―それは誰も理解できない舞台かも・・・(笑)。今日はありがとうございました。