従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
音楽家・エッセイスト
森ミドリさん
今回の「わたし」は音楽家でエッセイストの森ミドリさんです。森さんは2歳でヴァイオリン,5歳でピアノを始め,東京藝術大学音楽科作曲科に進学され,大学院在学中からテレビやラジオに出演され,NHKテレビ「趣味の園芸」の音楽及びキャスター,「N響アワー」の司会などを担当されました。現在は,合唱曲や歌曲を中心とした作曲活動のほか,執筆や様々な企画によるチェレスタやピアノによるトークコンサートを全国で開催されています。
―音楽を始めたきっかけを教えてください。
森さん 両親は音楽家ではなかったのですが,よく家にいらしていた父の知人が,「ミドリちゃんにヴァイオリンを習わせませんか?」と言われたことから,両親が「習わせてみよう」となり,2歳の誕生日から習い始めました。でも,少し幼すぎたのか,私は逃げ回っていたそうです(笑)。その後,幼稚園に行くようになり,休み時間に皆が外で遊んでいるときに,先生の目を盗んでピアノの鍵盤を鳴らしては逃げていく私の姿を見ていらした先生が,私の家まで訪ねてこられて「ミドリちゃんはピアノが好きなのでは?」と両親に示唆してくださったおかげで,ピアノを習うようになりました。
―ヴァイオリンはあまり好きではなかったのですか。
森さん ええ,やらされているという感じでしたね。でも,ヴァイオリンから始めたことで,絶対音感は身に付いたようです。ピアノは鍵盤なので,一定の音階となりますが,ヴァイオリンは自分で音階を作らなければなりません。当然,自分の耳で聞いて調整することになりますので,自然に絶対音感になるのだと思います。私は,お子さんに絶対音感を,とお思いであれば,ヴァイオリンから始めることを勧めています。必ず絶対音感がつくというわけではないのですが,可能性は大きいはずですよ。
―絶対音感があることにより,不便なところもあるのですか。
森さん もちろん。ありがたいこともたくさんありますが,必ずしもあった方がいいというわけではないですね。すべての音を音階として拾ってしまうので,集中しなければならない時に音が聴こえてくると集中できなくなってしまいますし。藝大を受験したときには,上の階で弾いている入試のピアノの音が漏れてきて,必死で耳を塞いでいました(笑)。
―子供のころから始めないと絶対音感は身につかないものなのですか。
森さん 7歳くらいまでと言われていますね。子供が小さい頃から,それこそ胎教から,良質の音楽を聴かせることが大事だと思います。でも,いかんせん2歳では早すぎる(笑)。視力もまだ正常値ではありませんしね。本人が希望するなら良いのですが,そうでないなら5歳くらいからにした方がよいと思います。それまでは先ず,環境づくりですね。
―ご両親が音楽家ではないという環境で2歳からヴァイオリンを始めるというのは,当時では珍しいのではないでしょうか。
森さん 大学の授業で,音楽家の8割は,両親のいずれかが音楽家の家系だと習いました。やはり小さいころから音楽に接している環境が必要なのでしょうね。私の場合,父は詩吟で母親が叙情歌。私の源流は,クラシックではなく美空ひばりさんです。クラシックも勿論素晴らしいですが,色々なジャンルに接し,良さを認めることで,自分の可能性が広がると思います。同じように,人と接するときにも,その人に対する様々な評価などは気にせず,自分が接した感覚を大切にするようにしています。
―ピアノを続け,東京藝術大学に進学されるわけですが,ほかの道は考えなかったのですか。
森さん はい。全く考えなかったですね。当たり前のことのように音楽の道を進んでいました。大学在学中にテレビの仕事を始めましたが,結局音楽の道に戻りました。テレビの仕事をしている時も,音楽に関わる仕事しかしていません。ドラマやニュース番組の仕事が来てもほとんどお断りしていました。音楽以外の仕事はしないように,私の中のもう1人のミドリさんがブレーキをかけていたのでしょうね。今考えると,かなり真面目ね(笑)。
―テレビの仕事を始められたきっかけを教えてください。
森さん 朝,下宿先で新聞を見ていたときに,ロンパールームのお姉さんを募集していて,その条件が,音楽が少しできること,英語が少しできること,子供が好きなこととなっていて,興味が湧き応募しましたら,最後の3人に残りまして・・・。結局は別の人に決まりましたが,他の子供番組を担当しないかと声がかかり,テレビの仕事を始めることになったのです。学生の時は朝が早く,ゆっくり新聞を読んだりできなかったのですが,その日は朝,時間があってじっくり新聞を見ることができたので,本当に偶然ですが,その時の光景は今でもよく覚えています。
―現在は,チェレスタ*のソロ演奏に力を入れていらっしゃいますが,どのようにしてチェレスタのソロ演奏を始められたのですか。
森さん 10年ほど前から始めたのですが,これという大きなきっかけはなかったのです。昔のエッセイでチェレスタに触れていたり,交響曲にチェレスタを入れたりしていますので,無意識に自分の中の引出しにしまわれていて,ある時,静かに引出しの鍵が開けられたということかもしれません。おそらく小さいころにチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「金平糖の踊り」(注:チェレスタが初めて使用された曲)を聴いて,自分の中の引出しに入れたのでしょう,そう思えてなりません。
―引出しの鍵が開いたきっかけはなんだったのでしょう。
森さん 最近は,世の中に音があふれています。携帯電話の着信音でも何十もの和音となっていますし,お店に入っても,ほとんどが必要以上の音量で音楽がかかっています。会議中に大音量で携帯電話が鳴っても気にしないですしね。このような音の氾濫はいけない。もっと単純な音でいいのではないかと思っていたところで,単音でメロディだけを奏でる音楽を聴き,これだと思いました。そこで,ちゃんとした楽器で引き算された音楽を奏でようと思い,何がいいかなと考えていた時に,ふとチェレスタを思い出しました。そのタイミングで引出しが開いたのだと思います。
―小さいころの経験は重要ですね。
森さん もちろんです。両親は,私が小さいころから,バレエの公演やピアノのコンサートに連れて行ってくれたり,子供には早いのではないかという経験をさせてくれました。コンサートで寝ていたこともありますが(笑),それでもそのコンサートに行ったことはよく覚えています。日本では「この子にはまだ理解できない」と親が決めつけてしまうところがあり,動物園に連れて行くのも子供が興味を示し始める2歳くらいからですが,外国では,1歳になる前から動物園に連れていくそうです。子供は分からないなりに,その経験を覚えていて,引出しにしまっているのです。子供の吸収力は素晴らしいので,少し背伸びをするくらいの経験もさせた方がいいと考えています。子供らしいものも必要ですが,少し難しいものを聞かせても子供はちゃんと覚えているものなんですよ。
―よく小さいお子さん向けのチェレスタのコンサートをされるということですが,それも引出しを作ってもらうためでしょうか。
森さん クラシックのコンサートは5歳以下の子供の入場が制限されていることがほとんどです。確かに子供は泣いたりしますが,大人でもおしゃべりしている人はいますし,3歳くらいでもちゃんと聴いている子供もいます。本来は年齢で制限すべきではないのです。また,子供は高い音が好きで,大人では聞き取れない高音を聴き取れます。しかも,打楽器のような音が好きなので,チェレスタこそ子供に聞いてもらうのに適した楽器なのです。これまでも何回か0歳から5歳までのコンサートをしてきました。泣いたり走ったりしている子もいますが,じっと聴き入ってくれる子もいます。また,泣いたり走ったりしていても,それは音楽に対しての自己表現ということもあるのですから。
―森さんは作曲されますが,作詩と作曲はどちらが先なのでしょうか。
森さん 私は,日本語を大切にしたいので,できる限り日本語のイントネーションから外れないように作曲するようにしています。もちろん,まず「詩」ありき。森さんの作曲したものはすっと耳に入ってくるわね,といわれたら本望ですね。ウィーン少年合唱団が今年のツアーのアンコールに合唱組曲「津和野」の中の「津和野の風」を歌ってくださったのは,そういう理由もあったようで,嬉しく思っています。
―「津和野」はどのようなきっかけで作曲されたのでしょうか。
森さん 「津和野」は偶然に偶然が重なってできました。私は,自治省(現総務省)のふるさと懇談会委員をしていて,地域の様々な活動を審査していたのですが,その表彰式で偶然近くにいらした津和野の近くにお住まいの方とお話ししていたら,「来月に今回の表彰の祝賀会があるので,ぜひコンサートに来てください。」と誘っていただき,伺うことになりました。津和野に着いて祝賀会まで10分か15分ほど時間が空いたので,「昨年安野光雅美術館が開館したので,ご覧になりますか。」と声をかけていただいて,安野光雅美術館に伺ったところ,安野先生がいろは48文字で作られた詩があり,あまりにも素晴らしい詩だったので,メモに取り,会場へ向かう車の中で曲をつけ,コンサートで歌いました。48文字の短い詩のため皆さんが「もう終わり?」とおっしゃるので,それなら安野先生に続きを頼んでみましょうということになりまして。町長さんを経由して依頼したところ,安野先生が素晴らしい詩を送って下さったので,すぐに曲をつけましたら,今度はある合唱団の方から組曲にしてほしいといわれ,再度安野先生にお願いし,7曲からなる合唱組曲「津和野」が完成しました。
―偶然に偶然が重なってできたのですね。それにしても,最初の48文字の部分は,車の中で,ほんの短い時間で楽器もなく作られたのですね。
森さん そうですね。私は,作曲のとき楽器は使いません。曲は作るというよりは,生まれ出るもの。それが自然の形だと思っているんですよ。
―ところで,音楽業界では著作権関係のトラブルがあるかと思います。ご経験はありますか。
森さん 言っていいのかしら?1回ありましたね。友人の作詞家に私の詩を真似られたことがありました。本人に問いただしてもかたくなに認めませんでしたが,流れもタイトルも同じなので私の作詩から取ったことが一目瞭然。友人の弁護士に相談してみましたが,「大人の対応をしよう。枯渇したプロの作詞家に真似られるなら本望だと思えばいい。」と言われ,心の引出しにしまい込みました。あ,これは別の引出しですよ(笑)。
―弁護士の知り合いがいらっしゃるんですね。弁護士についてはどのような印象をお持ちですか。
森さん まさに手弁当で様々な活動をしていらっしゃる方を知っていますが,困っている方のために親身になってくれる,真摯で信頼できる存在ですね。
―ところで,こちらの事務所のバルコニーにはたくさん鳥が来るんですね。
森さん 雀は多い時で40羽ほど。烏は南北から2家族が遊びに来ます。そうそう,あそこにある大きなビルの23階の文字盤のところには,10月くらいになるとハヤブサが来るんですよ。名前はファルちゃん。ファルコンのファルちゃんです。その姿が見えると,音楽どころではなく,もう釘付け(笑)。感動ものです。
―私も猛禽類が好きなので,機会があれば是非見たいですね(笑)。本日はありがとうございました。
後日談ですが,インタビューをして3日後の朝,ハヤブサが昨年よりも1週間早く北海道から戻ってきたと,弾むような声で森さんから連絡が入りました。
* 注:チェレスタは,鍵盤でハンマーを操作し金属製の音板をたたいて音を出す楽器。見た目はオルガンのような鍵盤楽器で,仕組みはピアノ,音はオルゴールに近く,究極の癒しの楽器ともいわれている。