従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
タレント
出川哲朗さん
今回の「わたし」は,タレントの出川哲朗さんです。「リアクション芸人」の第一人者として,男女問わず幅広い世代から大人気の出川さんですが,元々は役者志望だったそうです。
本日は,「世界の果てまでイッテQ!」の収録を終えたばかりの楽屋にお邪魔し,芸人となったきっかけや憧れの人物まで,様々なお話を伺ってきました。
―子どもの頃はどういうお子さんでしたか。
出川さん 小学校の頃は,特別目立ったり,自分からガンガン前に出るっていうタイプではなかったですね。でも,学校でブルース・リーのものまねをやったり,学校の出し物で,血のりの代わりにケチャップをお腹に付けて松田優作のものまねをして「なんじゃこりゃあ」ってやったりはしてました。
―当時から役者を目指していたんですか。
出川さん いえ,全く本気では考えていませんでした。小学校のとき,役者になりたいと言ったこともありましたが,卒業文集には,将来の夢はレーサーって書きましたね。
―本格的に芸能界を目指したのはいつ頃ですか。
出川さん 高校を出た後です。僕の実家は海苔屋(※横浜にある創業明治27年の老舗)で,高校の頃まではそこを兄貴と継ぐ予定でいたんですけど,僕が高校の頃,父が投資で失敗したんです。父は家にもあんまり帰ってこないような自由な人だったんですが,それで,家が傾いてしまって将来どうしようとなって。そのときちょうど,親戚が京都の有名料亭にコネがあったので,その料亭で一流料理人になって借金を返してやろうということで,京都に行くことになりました。でも,有名な料亭だから,いくらコネがあっても,行ってすぐに働くというのは難しいので,まずは月心寺っていう尼寺に住み込みで入って,修行をさせてもらうことになりました。
―結局,その料亭へは入られたんですか。
出川さん いや,しばらく尼寺で修行して,じゃあ料亭に行くかという話になったんですけど,半年くらい悩みました。その料亭へ入ってしまったら,もう人生後戻りはできない。もともと料理が好きなわけではなかったし,一度きりの人生だから自分が好きなことをやりたいなと思って考えました。当時,お休みの日は,もらった小遣いで1人で映画を観に行ったりしていたので,やっぱり自分は映画が好きなんだと思って。
―それで方向転換されたんですね。
出川さん 寺の庵主様に土下座をして謝りました。役者になりたいと。庵主様も,横浜に帰るんだったら良いよと言ってくれて,お酒を酌み交わして一度地元に帰ることになったんです。だけど,料理人になるって大見得を切って出てきたのに,何もない状態で地元には帰りたくない。それで,住むアパートもなかったし,とりあえずお金を貯めなければ何も出来ないので,まずは自衛隊を受けに行ったんですよ。それで試験受けたらかなり出来が良くて,「久しぶりの幹部生候補だ!」って大歓迎されたんですけど(笑)。
―自衛隊に入隊されたんですか。
出川さん それが,いったん横浜に帰ったときに「自衛隊に入ります」と親戚に言ったら,おじさんにポコーンとやられました。「かっこつけのために何を言っているんだ」って。それで目が覚めて,結局,自衛隊には行かずに,地元に帰って半年間お金を貯めて,演劇をやるために日本映画学校に入学しました。その学校でウッチャンナンチャンと出会ったんです。
―ウッチャンナンチャンは,やはり学校では存在感があったんですか。
出川さん チェン(※ウッチャン)は全然目立ってなかったですよ。ナンチャンは踊りやものまねで目立ってましたけど。でも,学校で漫才の授業っていうのがあったんですけど,ウッチャンナンチャンがコンビを組んで,それからチェンも脚光を浴びるようになりました。
―出川さん自身はどんな存在でしたか。
出川さん 僕は,クラスのリーダー的存在で,みんな引き連れてディスコに行ったりしていました。僕が「ビッグになるぞー!」って声かけたら,みんなが「おー!」って言って付いてきて。その「おー!」って言う側にウッチャンナンチャンがいたはずなのに,いつの間にか立場が…(笑)。
―学校にいる間に,劇団の旗揚げをなさったんですか。
出川さん 僕は,最初から劇団を作るつもりで学校に入ったので,学校に入ったらメンバーを探し始めました。チェンも,たまたま2人で帰ることがあって,そのとき,僕が劇団やらないかって声をかけました。
―もとからウッチャンを狙っていたとかではなく。
出川さん いやいや,チェンは目立ってなかったから(笑)。何で声かけたのかわかんないけど,エスカレーターの下で握手したのは覚えてます。もともと劇団のスターは,入江君って決めていました。ところが,卒業間近,入江君(※俳優の入江雅人さん)のアパートに行って劇団の話をしたら断られました。アパートから帰るときに雪が降っていたのが忘れられないです。劇団を作りたかったのにできないってことで,本当に落ち込みました。
―その後,俳優の道に進まれたんですか。
出川さん はい。僕はもともと役者になりたかったので,映画とかドラマとかのオーディションをたくさん受けました。幸いにも寅さんの山田洋次監督が呼んでくれたので,寅さんシリーズにも,チョイ役で出演させてもらいました。
―劇団の旗揚げもその頃ですか。
出川さん その頃,ウッチャンナンチャンと入江君の客演の演劇を観に行って,やっぱり自分たちでやろうと思い,1987年に「劇団SHA・LA・LA」を旗揚げしました。
―その頃のウッチャンナンチャンは売れっ子だったのですか。
出川さん ウッチャンナンチャンは,お笑いスター誕生で優勝したけれども,その後仕事の無い辛い時代でした。でも,ショートコントに変えてから,どっかんどっかんウケてました。僕はそのコントを見て,彼らはスターになるなと確信しました。
―出川さんのバラエティデビューのきっかけは何ですか。
出川さん テレビの人が,ウッチャンナンチャンのやってる劇団ってどんなんだろうって言って舞台を観にきてくれるようになったんです。それで,劇団が面白いとなって,僕自身もバラエティに呼ばれるようになりました。
―その頃はどのように身を立てようと思っていたのですか。
出川さん もともとは役者志望でしたけど,見た目もこんなだから(笑),俳優としてすんなり売れるとは思っていませんでした。だからまずは,言い方は悪いですが,バラエティで名前を売って,その後に役者をやろうと思っていました。でも,すぐにとんでもないことだって気付きました。
芸人の皆さんは頭もいいし,お笑いのことを本当に真剣に考えていて。名前を売ろうとかそんな軽い気持ちでお笑いをやっても続く訳がないと思いました。それで変なプライドを捨てて,どんな仕事でもやろうと思うようになりました。そう切り替えた瞬間,好転して,仕事が上手くいくようになりました。
―芸人としての転機というといかがでしょうか。
出川さん もともと僕はジェットコースターが大嫌いだったんですけど,あるときウッチャンナンチャンとプライベートで遊園地に行ってジェットコースターに乗ったことがあり,そのときも僕は怖くて「もう降りる!降りる!」って叫んでたら,ウッチャンナンチャンが面白いって言い出して。それで番組の罰ゲームでジェットコースターに乗せられるようになって,それがすごい受けて。それがリアクション芸の始まりです。そこからはいろんな番組でプロレスラーにぐるぐる回されたり,ライオンと戦ってみたり…。
―プライベートでジェットコースターに乗らなければこうならなかったのですね。
出川さん こうなってなかったでしょうね。ちょうど気持ちを切り替えたときでした。芸人さんかっこいいなと思って,尊敬するようになってから,仕事をたくさんいただけるようになりました。
―ご活躍の後,ご本人を目の前に失礼ですが,雑誌などで「嫌いな男ランキング」等で名前を見かけるようになりましたが,それについてはご不満でしたか。
出川さん いちばん最初にランキングに載ったときは,嬉しかったです。ランキングに名前が出ること自体,世間に認知されたということなので。それまで片岡鶴太郎さんとかルー大柴さんとかのビッグネームが載ってたランキングでしたので。ただ,これがずっと続くと,さすがに芸人としては嬉しいけど,家族とか,当時付き合ってた彼女には申し訳ないなという気持ちになりましたね。
―家族の反応はいかがでしたか。
出川さん マスコミが家族にも取材に行ったんですけど,うちのおばあちゃんは「そんなこと言う女はこっちからお断りよ」って毅然と対応してくれて。可愛いおばあちゃんなんですよ。母も,「どんなジャンルだろうが日本一になるのは素晴らしい」と言ってくれて,すごく楽になりました。それまでは,葛藤を繰り返したりしたこともあったんですが,家族がそう言ってくれたことで助けられました。
―これからもこのキャラクターのままいかれるのですか。
出川さん この先もたぶん変わらないですね。自分は,視聴者の人にこびを売るつもりはないので,お尻出したり泥だらけになったりして,リアクション芸は,続けていきたいですね。
―子どもたちにも大人気ですよね。
出川さん 日テレの「イッテQ」やNHKの子ども番組に出るようになって変わりました。このあいだのアンケートで「友達にしたい芸能人」で,ふなっしーと嵐を押さえて1位になったんです。本当にありがたいことです。20年経ってあからさまに周りの評価が変わってるのが分かります。自分は変わっていないのに,周りの評価が変わっているのは面白いと思いますね。この前,プライベートで郵便局に行ったら,小さい子が一人で僕のところに寄って来て,「危ないけどがんばってね」って。感激ですよ。そんなこと言われたら,熊とでもサメとでも戦えますね。もともと子どもが大好きなので,嬉しいです。
―プライベートで仲が良いのは誰ですか。
出川さん キャイ〜ンの2人,岡村隆史,ダチョウ倶楽部の竜兵さんとリーダー,松村くん,飯尾くんとかです。
―皆さんとはどんな話をされるんですか。
出川さん みんな真面目だから,やっぱり仕事の話になりますね。若い頃はナンパか仕事かっていう感じだったんですけど(笑),今はナンパとかもないから,収録の反省とかがほとんどです。
―若手で一押しの芸人さんはいますか。
出川さん R-1グランプリで優勝したピン芸人のやまもとまさみ。あと,イワイガワの岩井ジョニ男。本当に面白いですよ。
―仲間うちでの評価と,世間での評価はずれるものですか。
出川さん 世間の方がちょっと遅れるけど,いつかは追いつきます。若手には,「売れなくてもやめるな,面白い奴は絶対に売れるから」とよく言っています。本当に面白い人はいずれ出てきます。事務所の押しとか言われるけど関係ないです。そこがこのお笑いの世界の素晴らしいところです。
―目標にしている人はいますか。
出川さん 今はデヴィ夫人かも(笑)。あの人は今74歳なんだけど,空中ブランコやったり,バンジージャンプやったり超人ですよ。デヴィ夫人を見てると,僕も74歳までリアクション芸人いけるのかなと思っちゃう。周りにパワーを与える人ですね。
―弁護士のイメージというとどうですか。
出川さん 最近,バラエティにもいっぱい弁護士さんが出てきて,だいぶイメージが変わりましたね。それまで弁護士っていうと,堅物で話も通じず,笑いもしない,変なことを言ったら汚いものを見るような目で見られるんじゃないか,っていうイメージでしたけど(笑)。
―そんなことは全くないです(笑)。
出川さん 普段,弁護士さんと接することなんてないですからね。でも,最近バラエティで観たり番組でご一緒するようになって,弁護士さんって真面目だけどこんなに面白いんだという印象に変わりました。ですから,弁護士の皆さんはテレビに出ている弁護士さんに感謝した方がいいかもしれないですよ。それがいいことなのかどうかは分からないけど(笑)。
―最後に,出川さんが,若々しさを保っている秘訣を教えてください。
出川さん 特に意識はしていないけど,心はいつも若手のつもりでやっています。
それと,常に前を向いている事ですかね。
―本日は,どうもありがとうございました。