従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
徳島インディゴソックス監督
島田直也さん
島田監督は,1987年夏に準優勝を果たし甲子園のアイドルとなった。翌年にプロ入り後,通算419試合に登板,1997年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得し,1998年には横浜38年ぶりの優勝に貢献,1999年にはオールスター出場など華々しい成績を残した。引退後は日本ハムの打撃投手,北信越BCリーグ・信濃グランセローズの投手コーチを経て,2011年に徳島インディゴソックス(以下「徳島IS」)の投手コーチに就任,2012年より監督として指揮を執る。2013年にはチームを年間総合優勝に導き,今年も前期優勝,後期も優勝争いを演じている。
今回は,徳島ISの球団代表を務める坂口裕昭弁護士(57期)にもお話しに加わっていただいた。
―昨年の年間総合優勝に続いて今年も前期優勝おめでとうございます。島田監督がチームを率いて行かれる上で,最も大切にされていることを教えてください。
島田監督 選手とのコミュニケーションです。1から10まで教えるのではなく,時には突き放して選手に少し考える余地を残します。人間観察をして,コミュニケーションが必要だったり距離を置く必要があったりするのを見ています。
―選手としては1998年に横浜で優勝を経験されていますが,監督としての優勝は選手の時と感じ方が違いましたか。
島田監督 選手時代は,もちろん監督コーチのおかげというのもありましたが,自分たち選手のおかげだと思っていました。監督としての優勝は,選手が目標に向かってやってくれるのをサポートしたという感じで,自分が成し遂げたという気持ちはまったくないです。
横浜では急に強くなった結果,慢心してしまってすぐにダメになりましたから,その経験を伝えています。特に今年は昨年から先発3枚と4番打者が抜けたのですが,それでもまとまれば強くなれるということを学びました。
―NPB(日本野球機構。いわゆる「プロ野球」)では,若い選手を育てることと勝つことの両立が難しいと言われますが,独立リーグにおける選手の育成という点はどうお考えですか。
島田監督 独立リーグは難しくて,選手契約の期間が4月から9月の半年間しかない中で野球をゼロから教えなくてはいけません。しかも「もうNPBには行けないだろう」などと自分で決めつけて1年や2年で辞めてしまう人の集まりなので,半年間で何を教えるべきか悩みます。全部は教えられないのですが,選手は皆NPB入りを目指して一生懸命ですから,まず自分の長所を伸ばそうという方針で教えています。
―独立リーグの選手は,NPBの若手選手と比べて何が一番違うのでしょうか。
島田監督 実力的にはNPBの二軍選手と変わりません。ただ何かが足りない。それは,最後まで全力でやっていないとか,一歩目が遅いとか,本当に単純なことなんですが,それをNPB選手はみんなしっかりやっています。その違うところを私たちが本人に気付かせて,あとは選手自身が取り組むしかありません。いくら「やれ」と言われても,自分で気付いて取り組まない限り上には行けませんね。
―島田監督の現役時代は,決して体格にも恵まれていない中で非常に輝かしい成績を収めておられますが,成功した理由は何だったとお考えですか。
島田監督 「絶対誰にも負けたくない!」という「気持ち」です。先輩後輩問わず全員がライバルでしたし,同じチームの投手が試合で打たれたら内心は「自分のチャンスだ!」と喜んでいました。プロ野球選手なら絶対みんなそういう気持ちを持って練習して一流になっていくものだと思います。
―現役時代には年間60試合に登板されたこともある島田監督ですが,特に中継ぎ投手は登板過多で選手寿命を縮める選手が多いように思います。島田監督は,選手起用,とりわけ投手起用についてはどのような考えをお持ちでしょうか。
島田監督 そこは監督としては考えますね。無理をさせたくなるときもありますが,独立リーグで壊れたら選手の夢がなくなってしまいますので,潰れるならNPBに行ってから潰れて欲しいと思います。
―ご自身が選手だったときはどう思っていらしたのですか。
島田監督 成績が良かったときは楽しくて仕方がなくて毎日でも投げたかったです(笑)。
―徳島はアヤラ投手,入野投手,河本投手などを中心に投手力が抜群ですよね。投手を指導するときに最も意識していることはなんですか。
島田監督 まずチーム防御率の目標を具体的に示しながら,勝利という結果を求め,さらに試合の流れの中で一球の大事さを教えています。そして,投手には「打たれて良い」と教えています。打球が前に飛べば野手が守っていますし,いい当たりでも野手の正面に飛ぶ場合もあるからです。攻めていけば打ち損じもあります。「逃げて四球で走者をためて打たれるくらいなら最初から打たれなさい。打たれたら学んで覚えていきましょう。」という指導方針です。
僕も選手も野球が好きなので,とことん付き合ってやりたいと思います。
―独立リーグの場合,選手は収入面もNPBとは比べものにならないくらい厳しいと聞きますが,さらに引退後の生活ということを考えてもコーチや解説者への道も難しく一層厳しいのではないかと思います。
島田監督 確かに経済的には厳しい環境だと思います。プロとして給料を貰えるのが4月~9月だけですし,成績によって給料が上がることもありません。それに,実際,ここからNPBに行くのも険しい道です。ですから,選手が引退後に社会人として生きていけるようにということも考えながら指導しています。
―島田監督が投手コーチとして徳島ISに来られた2011年は,前年に球団オーナーが撤退し,「地域密着」が足りないとか収入が四国リーグの他球団の3分の1しかないなどと言われていた時期でしたが,監督は,チームの徳島での役割,野球界での役割というものをそれぞれどう位置付けていらっしゃいますか。
島田監督 社会人野球のチームが減って,野球をやりたくてもできない選手達がNPBを目指すための受け皿となっていることは間違いありません。しかし,独立リーグと言ってもプロですし,お客様からお金をもらっているわけですから,しっかり良いプレーをして勝つことも考えなくてはなりません。地域の人達とのふれあいも大切ですし,試合を見に来てくださるお客様には,約3時間の試合中,最後まで集中して全力を尽くしている姿を見ていただきたいと思っています。そこは選手にも常に厳しく言っています。
―坂口代表は,その辺りを含めて,弁護士から徳島ISの球団代表に転身された想いを教えてください。
坂口代表 日本の将来を考えた時,地方都市の再生が大きなポイントになることは間違いありません。そのためには地域が一つにまとまることが大前提となります。その意味で地域のスポーツチームが果たしうる役割は大きいと考えています。「つながる。」という強固な球団理念の下,野球だけでなく,年間200回を超える地域貢献活動に力を入れているのもこのためです。もちろん,野球界の発展を考えてシステムの変革に一石を投じることができればという想いもありますが,それと同時に地域社会の未来を切り拓く覚悟で日々汗を流しています。
島田監督は,このあたりの事情も理解してくれていますので,とても有り難いですね。
―島田監督からご覧になった坂口代表はどんな印象ですか。
島田監督 まず,何より仕事をさせてもらえることに感謝しています。代表は野球に熱い方ですが,現場のことは全部私に任せてくれますので,本当にやりやすいですし,意気に感じています。
―坂口代表は,徳島ISの選手のことを「うちの子たち」と表現されますが,どのような想いを込めておられるのですか。
坂口代表 独立リーグは一言で言えば教育の場であり再チャレンジの場なんです。選手達には,徳島ISに入団した以上,単に自分の夢を追いかけるだけでなく,現実を知り,感謝の気持ちを醸成し,目の前の壁と真摯に向き合うことを学んでもらっています。この意味で,僕も責任を持って,徳島での親代わりのような存在になれるよう心がけています。
―将来,島田監督には,選手への愛情に溢れる指導者として,NPBのコーチや監督になっていただきたいと思っておりますが,監督ご自身もそのお気持ちはありますよね。
島田監督 はい。NPBユニフォームを着て選手を指導してみたいです。僕も選手と同じでNPBを目指しているんですよ。選手を育ててNPBに送り出したり,チームを優勝させたら,必ず誰かが見ていると思っています。今はそのためにこういうところで勉強させてもらっています。
― すごく良いお話しありがとうございました。