従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
漫画家
ちば てつやさん
今月号の「関弁連がゆく」は,漫画家のちばてつや先生です。
ちば先生は,たくさんの作品をお出しになっていますが,やはり代表作と言えば,ボクシング漫画の金字塔である「あしたのジョー」です。今回のインタビューでは様々なお話をお聞きしましたが,「あしたのジョー」については,特に詳しくお話を伺ってまいりました。
― 子供のころはどういう生活でしたか。
ちばさん 幼少時代は満州にいたんですけど,冬は零下20~30℃になるんですよ。春も夏も秋も短くて冬が長いというところなので,幼児期の僕はほとんど家の中で本を読んだり,絵を描いたりといった生活でしたね。
― 幼少期にも漫画はありましたか。
ちばさん ありました。「のらくろ」とか「冒険ダン吉」とか「フクちゃん」とか。でも,母親が大変な漫画嫌いだったので,満州のうちには無かったんです。日本へ帰ってしばらくしてからですね,漫画というものを知ったのは。
― 漫画家になろうと思ったきっかけを教えてください。
ちばさん 高校生のときに,近所の出版社が漫画を募集していて,そこに原稿を持っていったら,お金をもらえたんです。その瞬間に,漫画家になろうと決めました。実はその前にいろいろアルバイトしたんですけど,私は何をやらせても駄目人間だったんです。転んで品物を壊しちゃったり,地図を持たされたのに方向音痴だから違う家に届け物をしちゃったり。「てっちゃんはもう来なくていい」ってあちこちで言われて。私自身も辛かったけど,親も随分心配したでしょうね。でも,そのてつやが,親に隠れて描いていた漫画でお金をもらってきたということで,親も驚いてましたね。
― そのときの原稿料は覚えていらっしゃいますか。
ちばさん 単行本一冊分,128ページ描いて1万2351円でした。当時の大卒の初任給ぐらいですかね。一番上にアルミの一円玉がキラキラ光って乗ってたんですけど,その一円玉はその年発行のもの。お祝いという意味だったんでしょうね。
― その漫画を描き上げるのは大変でしたか。
ちばさん 寝る時間を詰めて,1日20時間ぐらいやってたかな。それぐらい集中して,漫画家になるために頑張った時間が,合計1万時間くらいだったでしょうか。
― 司法試験合格のための勉強時間も1万時間と言われることがありますので,プロになるための時間というのはどの業界でも同じなのかもしれません。でも,寝ないで作業というのは大変ですね。
ちばさん プロになっても,漫画を描いているときはぐっすりは寝られてないですね。遅い遅いって言われるから。それで,一度,病気になりました。寝るときに背中を虫が這ってる感じがするんです。でも,その頃,発刊されたばかりの少年マガジンで「ちかいの魔球」という野球漫画を描くことになって,私も野球を始めて汗をかくようになったら,背中の虫が消えたんです。その時すぐ手塚治虫さんや松本零士さんに電話して,「運動しなきゃ病気になる,みんな運動しよう!」と伝えました(笑)。漫画家の運動会もやりましたよ。赤塚不二夫さん達とパン食い競争とか。我々漫画家は,アイデアが出なかったり,締切に追われたり,冷や汗を結構かくんですよ。だけど体を動かすと,熱い汗が出て,そしたらまた元気を取り戻して作品を描けるんですよ。
― 運動が漫画の内容にも影響しましたか。
ちばさん 自分で汗をかく快感を覚えたものだから,私のキャラクターはみんな汗かいてますよ。まあ自分がモデルになってるかな。「ダメな奴が一生懸命頑張って,ナンバーワンにはなれないんだけど,それがそいつの精一杯なんだよ。だけどその精一杯頑張っている姿がかっこいいじゃないか」っていう漫画をずっと描いている気がしますね。
― 1位にはなれないという世界観なんですね。
ちばさん もちろん世の中で,1位になれる人もいるんですけど,ほとんどの人はなれないじゃないですか。でも好きな道を一生懸命やっていれば,一番じゃないけども,ある程度,人様の役に立てる様になるし,形にもなってくる,と。
― 漫画をうまく描くうえで一番大事な事は何ですか。
ちばさん みんな大事ですね,ストーリーもキャラクターも。でも実はコマ割りがとても重要で,一番難しくて一番時間がかかるんですよ。自分の頭の中を分かりやすく面白く読ませるためのもので,言わば演出ということです。
― キャラクター作りも大変そうですが。
ちばさん 長編漫画の場合は,特にキャラクターも重要です。自分が描きたいキャラクターを思いつくことができると,勝手にキャラクターが動いていく。例えば,「将棋の桂馬はこう動く。だけど,こいつは飛車なんだ」とか。そういうのが自然と分かってくるんですね。
― ちば先生はたくさんの漫画を描かれていますけど,自分の作品で一番お好きな漫画ってありますか。
ちばさん 作品は全て自分が作った子どもだから,この子どもが一番かわいいって言うと,他がぐれちゃうので,ちょっと言えないですね(笑)。出来の良い,悪いはありますが(笑)。
― 今振り返って,描き直したいというものはありますか。
ちばさん それは全部ですよ。一回描いたものは,単行本にするとき,区切りを決めるためにもう一度読むんですけど,どのページを見ても「ここはこういう風にすればよかった」っていうのが必ず出てくるので。でも,完璧にこだわりすぎてしまって,描けなくなっちゃう人がいるんですよね。私の場合も,いつも締切がギリギリになり,100%で出したいんだけど,大体70%か,下手すると60%とか。
― ちば先生のような長いご経歴でもそうなんですね。それでは,先生の代表作の一つである「あしたのジョー」についてお聞きしたいんですが,「あしたのジョー」はどういう風にスタートされたんですか。
ちばさん 当時,ボクシング漫画を描こうと思って,編集さんに資料集めをお願いしてたんです。「ハリスの旋風」という作品を描いていて,その中にボクシングの場面がでてきて,ボクシングの取材をしていたら,「この世界描きたいな」と思いまして。そしたらたまたまなんだけど,担当の方からだったか,「梶原さんが今ボクシングの作品描きたいそうで,梶原さんの原作でやりませんか」って言われたんですね。だけど,私はもう準備してたし,キャラクターも決まってたからお断りしたんです。そしたら,「何か参考になる話を聞けるかもしれない。ちょっと会うだけでも・・・」とやたらと言ってきて,いざ梶原さんにお会いしてみたら,向こうはすっかりその気で「よろしく」と手を握ってこられて,「え?」って(笑)。まあでも,これも縁かな,運かなということで始めたんです。当時は契約なんか全然結んでないし,何度も編集さんを交えて,私の家や梶原さんの家で,「こんなキャラクターどうですか」,「背景はどうですかね」と少しずつ決めていきました。
― 梶原さんとは,そのような進め方だったんですね。
ちばさん 原作者との作業のやり方には色々な方法があるんです。完全にストーリーやキャラクターもできた本があってそれを漫画にするのと,私が梶原さんと打ち合わせをしながら二人で作っていったみたいな方法,あるいはシナリオみたいな形でくるのと。最近はコマまで割って,あとはもう絵を描くだけっていうのもあります。こうなると,原作って言っていいのか,シナリオなのか,脚本なのか,原案なのか。そういうようなことで今ちょっと難しい問題がありますね。
― ちば先生と梶原先生とで意見が割れたことはありましたか。
ちばさん 割れるって事はない。いや,あったかな(笑)。梶原さんが感動する人間像と,私が好きな人間像とが少し違うんですよね。梶原さんは大人で,裏の社会もいろいろ詳しいし,格闘技の世界にも詳しい人で,私はどちらかというと天真爛漫な子どもが一生懸命頑張るっていうものを描きたいタイプなんで。最初は,私なりに脚色しながら作ったり,エピソードを入れたり,順序を逆にしたりしたら,すごく怒られましたよ。「俺の原作使ってないじゃないか」と。ただ,しょっちゅう話をしながら作っていったものだから,そのうち,「彼はこういうことを言いたいんだろうな」っていうのが読めるようになって,梶原さんも「俺の言おうとしてることを漫画で分かりやすく表現するためにこうしてくれたんだな」と分かってくれて,それからはうまくいくようになりました。
― 「あしたのジョー」と言えば,最後のシーンで,主人公の矢吹丈がホセとのボクシングの試合の後,リング上の椅子に座って目をつぶっているという有名なシーンがありますけど,矢吹丈は亡くなったんでしょうか。
ちばさん 私は正直な話,死んだとか,まだ生きてるとか考えて描いた記憶はないんですね,あの絵を描いたときには。矢吹丈がその時に持っていたエネルギーをすべて出し切って何も残っていない。炭に例えると,真っ黒な炭が真っ赤に燃えて,最後に真っ白い灰だけが少し残ったっていう。それを死んだっていう人もいるし,生きてると思っている人もいるんですけど。私は描いてるときはセミの抜け殻みたいに残った,そのイメージを描いただけなんですよね。だから「私もよく分かりません」って答えてたんです。そしたら,先日,どこかのテレビ番組で警視庁の検死官の方があの最後のシーンを見て「あ,この人まだ生きてます」って言ってくれたの。何故なら,死んだ人は座った状態では膝と肘で自分の体を支えられないそうなんです。バランスを崩してしまう,と。それに矢吹は微笑んでいるんだけど,それは顔の筋肉がまだ生きてるからだ,と。私はすごく嬉しかったです(笑)。「ああ良かったな」と思いました。描いてるときは生死のことは考えてなかった。
― あのシーンは何枚も描きましたか。
ちばさん いえ,一枚だけです。時間が無くて,締め切りはとっくに過ぎて,もう間に合わないんじゃないかっていうぐらい遅れてたのに,ラストが思い浮かばなくて。
― どうやって思いついたんですか。
ちばさん あのシーンのヒントを言ってくれたのは,その時の担当編集さんなんです。漫画の別のシーンで,丈が「真っ白に燃え尽きたい」とつぶやいているところがあるんですが,その回を持ってきて,「このエピソードのあたりに『あしたのジョー』の核があるんじゃないか・・・?」って言ってくれて。それであの最後のシーンが浮かんだんで,それから一気に描きました。締め切りを二日ぐらい過ぎていて,地方では発売が間に合わなかったと思います。
― あのシーンは,ちば先生の渾身の最後の一枚なんですね。
ちばさん 私だけじゃなくて,梶原さんから脚本のエネルギーをもらったのと,担当さんが「ここ読んだら」って言ってくれなかったら出てこなかったので,皆の総合力です。あと,あの作品は5年ぐらい続けた話だけど,最後まで読んでくれた読者への想いでしょうかね。「このラストだったら読者は納得してくれるかな」っていう。
― 女の子とのデートの時に,矢吹丈が「燃え尽きたい」と言っていたシーンを覚えています。
ちばさん そう,そこですよ。「矢吹君はそういう生き方して楽しいの?」って言われて,「俺は毎日をブスブスくすぶり続けるような人生は送りたくない」と。矢吹丈は,その前に力石(* 矢吹丈のライバル選手)が死んだり,色々背負っているものがあったから。「白い灰だけ残るような,短くていいからそういう生き方をしたい」と言ったのを描いてたんだけど,私はその回の話は忘れてたんですよね。
― それを担当の方から言われて,最後のシーンにつながったんですね。
ちばさん もう一回見てみてください。小さなコマなんですけど。
― 是非,見てみます。最後になりますが,今,ちば先生が大学で漫画の授業を担当されているのは,若い方の育成に力を入れてらっしゃるからなんでしょうか。
ちばさん 育成なんておこがましいですけど。私は漫画しかないってことで漫画の世界でずっとやってきましたけど,最近は時代が大きく変わって色んな権利の問題や契約書を取り交わすということが沢山出てきました。でも,漫画家は漫画を描くだけで精一杯だし,細かい書類を読むことが苦手なんですよ。これからの若い漫画家たちに,契約のことなどに神経を使わなくて済む,のびのびと頑張りがいがある世界を残してやりたいと思いますね。我々先輩たちが,後輩たちの為に豊かな土壌を残していかないと。「先輩たちがこういう条件でやってきたんだからお前も」っていうことになってしまうのはすごく嫌なので,我々先達たちが力を合わせてどこかで頑張らないと。
― プロ野球選手も,最近ではエージェントが付いて年俸も決めて,プレーに専念できるような環境になっています。漫画家さんにも,例えば弁護士がついて,契約関係等をチェックさせていただいて,作品に集中していただけるようなお手伝いができればと思います。本日はありがとうございました。