従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
宮川大助・花子さん
夫婦漫才の第一人者として知られる宮川大助・花子さん。NHK大阪放送局で30年以上続く法律番組「バラエティー生活笑百科」にもレギュラー出演されています。平成29年秋には,ご夫婦で紫綬褒章を受賞されました。
そんなお二人に夫婦の仲の良さの秘訣や弁護士の印象などを伺いました。
― 昨年は,紫綬褒章の受賞おめでとうございます。受賞の際の率直な感想をお聞かせください。
宮川花子さん
(以下,花子さん)
まずは,「よく選んでくれはりましたなぁ!」と思いました。昨年はいろいろ夫の病気がいろいろありましたから。腰部脊柱管狭窄症,感染症,グラム陽性菌敗血症,それに伴う紫綬褒章(しょう)と・・・。イヤそこ笑うとこやで!
― テンポが早すぎてついていけませんでした(笑)
花子さん まあ,そんな病気もあった中での受賞ということで,より一層,素晴らしい一年になりました。私としては,夫に「漫才に誘ってくれてありがとう」という感謝の思いがいちばんにありましたね。
― 大助さんはいかがですか。
宮川大助さん
(以下,大助さん)
僕は花子の感想とはちょっと違っていて,受賞の知らせを聞いて最初の記者会見のとき,頭に思い浮かんでいたのは,お袋と,小学校5,6年生のときに担任だった岡田恵子先生の二人の顔でした。
― 岡田先生とはどんな方ですか。
大助さん 僕が小学校5年生のときに担任になってくれたのが,岡田先生でした。実は,僕は子供の頃わんぱく坊主で,僕のいるクラスは誰も担任をしたがらなかったらしいんですよ。でも,岡田先生が転任してきて担任になってくれて,2年間面倒を見てくれました。若いふくよかな女性の先生なんですが,僕が何かいたずらをしても,冗談を言いながらぎゅっと僕を抱きしめてくれて,卒業するまで僕のことを怒ったことがなかったんですよ。おかげで僕も期待に応えようと,勉強を頑張るようになって,成績もトップクラスに上がりました。
― 素晴らしい先生との出逢いがあったんですね。
大助さん 卒業式の日には,岡田先生に職員室に呼ばれて「あなたはこの2年間見違えるように頑張った。これからも,先生はあなたの人生をずっと見てるから応援します」というメッセージをくださいました。お袋と二人で校門を出るとき,お袋が土下座をして先生に「ありがとうございました」と言って,僕はそれを横で見ながら号泣していたのを今でも覚えてます。そのときの光景が記者会見の途中,ずっと頭を巡ってました。その後の受賞式の時は,女房のことしか思っていませんでしたけどね。ようここまで苦労をかけてきたなあ,嫁はんのおかげやなあと。僕の気持ちはそうでした。
花子さん 大助は鳥取の田舎で育って,むちゃくちゃ貧しかったから,故郷の先生にも見せてあげたかったという感覚はあるよね。
― 子供の頃はご苦労されたんですか。
大助さん 実家は貧乏で車も持ってなかったですから。高校を卒業して大阪で就職するとき単身でディーゼル車に乗って旅立った日を覚えてます。その前日に,父親から「すまん,これだけしかない。」と言われて500円札だけ渡されたんですよ。僕はこれを何百倍にして0をいっぱいつけて返すと言って鳥取の田舎から出てきました。親に少しでも楽をさせてやりたい一心です。
花子さん 大助の実家は8人兄弟ですからね。8人兄弟って可愛らしい顔思い浮かべてると思うけど,こんな顔が8人やからね。おしんはリアルなホームドラマですからね。今,新幹線でもグリーン車に乗せていただくようになって,夫がグリーン車の座席から富士山を眺めている顔を見ると,本当に良かったなあといつも思います。だからこそ夫は,小さなことにでも何でも感謝します。
― 漫才を始めたきっかけは何ですか。
大助さん 僕は,最初鳥取から大阪に出てきた後,就職して三菱電機の製作所でエンジニアになったんですよ。そこで,自分でもよく働いていた方だと思うんですけど,やっぱり世界は広くて,どうしても頭の良さでかなわんなと思うときがあって。そんなときにやすきよさん(※横山やすしさん・西川きよしさん)や中田カウス・ボタンさんの漫才を見て,自分も喋るだけやったらできるかなと思った。その頃は漫才ブームで西川きよしさんが豪邸を建てたって聞いてたから,自分も漫才で一攫千金して,親孝行しようと思いました。それでサラリーマンを辞めて漫才の世界に入りました。
― 親孝行したいというのがいちばんの思いだったんですね。
大助さん 嫁はんは全然違って,大阪の都会で育って,父親は産経新聞社の編集部のデスク。小学生の頃は,クリスマスイブに同級生と校庭で待ってたら,ヘリコプターからプレゼントを落とされるというような子供時代を過ごしましたから,家庭環境が全く違うんです。中学生のときから素人の演芸大会に出演して,高校時代には落語研究会を作って初代部長になって素人番組荒らしをして。卒業した時にはよしもとにスカウトされてましたから。結局,断って嫁はんは警察官になりましたけどね。
花子さん そんな育った環境の違いもあって,私は,これまでいろんな漫才の賞をもらったときも,自分が賞をとった気はしていなかったんですよ。「これは大助がとった賞や。大助も喜んではんな」と思ってた。でも実は,平成23年3月11日に芸術選奨文科大臣賞というのをいただきましてね。ご承知の通りその直後に東日本大震災があったのでほとんどニュースにはなってないんですけど。そのときの授賞式で言ったのは「この人はどこまで私のことを大きくしてくれるんだろう」ということでした。漫才で芸術賞をとれるとはそれまで思ってなかったんですよ。これまで漫才やお笑いの賞は,たくさんいただいてきました。漫才の大会はある意味レースですから目標を立てて賞を取りにいくんです。でも,芸術で賞をとれるとは思ってなくてびっくりしました。夫に感謝の気持ちがこみ上げてきましたね。
― 夫婦でお互いに感謝の気持ちを持ってらっしゃるんですね。
大助さん 嬉しかったのが,紫綬褒章は僕らは一つずつ,夫婦で合わせて二つもらってるんです。授賞式の日に,学術関係の受賞者の先生たちと一緒に文化庁で待たせてもらっていたんですけど,皆さん大体奥さんと一緒に来てたんです。そうしたら,東大の研究者の先生に「大助さんはいいですねー」って言われたんですよ。先生が何が言いたかったかというと,自分がこの賞をとれたのは女房のおかげだと。でも賞としてもらったのは一つだけなんです。だから,大助さんは自分と奥さんの分を二つもらっていいですねと。それを聞いたときには特に嬉しかったですね。
― 昔からご夫婦で支え合って来られたんですか。
大助さん 昔は,お互いにああして欲しい,こうして欲しいのぶつかり合いでした。ところが,嫁はんが33歳のとき大きな病気をしてしまったのがきっかけですね。ちょうどテレビの仕事が忙しくなってきたときで過密なスケジュールを組んでたのもあるけど,僕がそれ以上に嫁はんにスパルタで稽古をさせすぎたんです。それがストレスで自律神経失調症になって入院して,その直後に胃がんも発覚しました。それまでは僕は「テレビに出たい」とか「もっといい仕事がしたい」という気持ちが強くて,前のことしか見えてませんでした。本当は家族がいちばんだという価値観を持っていたのに,仕事のことが優先してしまってたんですね。その嫁はんが病気になったとき「しまった!」と気付きましたね。好きで一緒になった夫婦なんやから,その気持ちをいちばん大事にしようと改めて思うようになりました。
― 賞を受賞して気持ちの面で変わったことはありましたか。
花子さん 私は,これまではちょっとしんどかったら休もうという気持ちがあったんですけど,賞をとった後は気持ちが変わりましたね。受賞後の初めての舞台のとき,私はマラソンで腰を痛めてしまって坐骨神経痛になってたんですよ。もう座ることも立つこともできないから,ずっとストレッチャーで横になってたんですね。その前のテレビの収録のときも,本番直前まで楽屋でずっと横になってるような状態だった。そんな状態なのに,マネージャーから「明日劇場です。春休み3回公演」と言われて…いやいやいや,立てへんもん,無理やと思ったけど,結局なんとか杖をつきながら3回公演出ましたね。ここまでみんなが応援してくれるんやから,やらなあかんなって。これは紫綬褒章をもらってから思うようになりました。
大助さん その4月の舞台のとき嫁はんは,満身創痍で立ってられないから,前日の稽古まで床で転がりながらみんなの稽古をじっと見ていて,ぶっつけ本番で出たんですよ。登場のときに階段を降りるんですけど,それも一人では降りられへんから僕が嫁はんの手をとって後ろで必死で支えてました。お客さんは仲ええなーと思ったやろと思うけど,舞台裏で控えてたスタッフは全員その姿を見て泣いてました。
― そんな状態で舞台に立たれていたとは知りませんでした。
花子さん そのときのマネージャーは新人だったんですけど,最終日に「ありがとう,よう立たせてくれたね」と言いましたね。痛みより笑いをとらせてくれてありがとうって。あなたは私を舞台に立たせてくれた。これからも自信を持って,タレントさんを育てていってねと。
― マネージャーの方の存在感も大きいんですね。
大助さん マネージャーは全員二人三脚という感覚でやってます。仕事を入れるのも断るのも全部マネージャーですから,影の功労者ですね。マネージャーに対する感謝の気持ちを忘れたときは,この仕事辞めようと思ってます。
― 仕事と家庭生活を両立させるコツは何でしょうか。
花子さん 今の世の中,女性はみんなもう両立できてると思います。昔は,女なのにどうだと言われたこともあったけど,今はそういう時代と違います。もう夫が家庭内も支えてくれることが当たり前のことだと思ってやっていくことが大事やと思いますね。夫がご飯1回作ってくれただけで「ありがとう」って世の中の女性は言うやないですか。でもご飯って,1日3回×7日で週に21回作らないとあかんからね。そのうち1回やっただけで「ありがとう」とか,そんなん,あかんあかん!
― 確かにそうですね。
花子さん 旦那は大人やからどうでもいい(笑)。でも子供は大事やから,例えば子供にエプロンを持たさなあかんときでも100円均一で買ってきたエプロンに,アップリケつけるとか一手間かけてあげたらええんやないですか。
大助さん うちは週5日お手伝いさんを頼んでるんですけど,お手伝いさんがやってる仕事をもし嫁はんが全部やったら,外で仕事するのは無理やと思いますね。嫁はんの仕事がパートだろうがどんな仕事だろうが一緒やと思います。嫁はんに全部任せて男だけ仕事に専念しようというのは,もう無理やと思います。僕も昔から料理してます。
― 今後,こんな漫才をしていきたいという目標はありますか。
大助さん 僕は,爺さん婆さんになったときに夫婦が仲良い姿を見せてあげることが,子供や孫にとって一番の教育になると思うんですよ。漫才でそういう姿を見せてあげることができたらいいなと思いますね。あとはこの先,病気をしたり体も思うように動かなくなっていったりする中で,病院に行って医者に聞いたりした話を,漫才の中に入れて面白おかしく伝えて,将来に明るいメッセージが伝えられたらええですね。
― お二人は,NHKの「バラエティ生活笑百科」にレギュラー出演されていますが,弁護士のイメージや弁護士に期待することなどがあれば教えてください。
花子さん 弁護士の先生は,私にとっては心の支えやと思っています。世の中には道理が通らないことがいっぱいあります。そこでいろいろ悩むより,弁護士さんに早く相談してしまった方が楽になれると思います。弁護士さんはいわば「心の保険」ですね。
― 「心の保険」とは素敵な言葉ですね。
花子さん 私は,基本的には法律よりも道徳が大事だと思うんです。私が仲の良い弁護士の先生に相談すると「花子さんはどう思う?」と聞いてくれます。法律でどうにもならなくても,まずは「道徳的なところでどう思う?どうしたい?」って聞いてくれるのは嬉しいですね。
大助さん 僕は弁護士は「絆」だと思っています。外国の映画なんかを見ていると,結婚した瞬間から慰謝料のお金を貯め始めるとかありますよね。でも日本はたぶんそこまでいっていなくて,まずは夫婦の絆を大事にする。いろんな考え方もあると思いますけど,夫婦の絆を大事にする日本の法律の夫婦観というのは,私は世界に誇れると思いますね。
― お二人の絆の強さが大変よく伝わってきました。本日は貴重なお話をありがとうございました。