従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
千葉ジェッツふなばし
富樫 勇樹さん
今月号の「関弁連がゆく」は,国内プロバスケットボール「Bリーグ」の「千葉ジェッツふなばし」に所属する富樫勇樹さんです。
富樫選手は,身長の高さが有利とされるバスケットボールの中では身長167cmと小柄ながら,Bリーグの最優秀選手賞を含む各タイトルを受賞されたり,複数年に渡って日本代表としてもプレイされたりと,日本バスケ界で大活躍されている選手です。
本日は,翌日のサンロッカーズ渋谷戦の試合に向けてチーム練習を終えたアリーナ内で,富樫選手のご経歴やバスケットボールの魅力など,様々なことを伺ってまいりました(インタビュー中もドリブルやバスケットシューズの音がアリーナに内に響き渡っており,大変臨場感があるインタビューとなりました。)。
― バスケットボールを始められたきっかけから教えてください。
富樫さん 父親がバスケットボールのコーチをやっていましたので,その父の影響で小学校1年生の時にミニバスケットボール(*小学生を対象としたバスケットボール)を始めました。
― 小学校1年生だと,まだ体も小さいし力も無いと思うんですが,富樫選手ともなればリングにボールは届いたんですか。
富樫さん いえいえ,全然届かないですよ(笑)。上級生のAチーム(*1軍,レギュラーのチーム)とは別のメニューで,基礎的なピボット(*バスケットボールのステップ)をやったり,ドリブルをやったりという感じで,最初はお遊びでやっていただけですね。
― その頃,NBA(*アメリカのバスケットボールのプロリーグ)をご覧になったりとか,スラムダンク(*バスケットボールの漫画)を読まれたりはしてましたか。
富樫さん その頃は全然ないですね。単にバスケが楽しくてやっていただけでした。
― いつ頃から真剣に取り組まれるようになったんですか。
富樫さん 小学校4年生の時にAチームに入れたんですけど,うちのチームは毎年全国を目指すような強豪校でしたので,そこからバスケは楽しいというだけじゃなくて,楽しさに加えてしっかりとした意識を持ってやるものという風に変わっていきました。
― それで中学生になられて,バスケの全国大会で優勝されましたが,その頃からプロを意識されていましたか。
富樫さん その頃は,まだbjリーグ(*当時の国内バスケットボールリーグの1つ)ができたばっかりというくらいの時期でしたし,プロになりたいとかプロを目指すとかまで考えていたわけじゃないと思いますね。ただ,その頃,例えば医師だったり教員だったり,そういう他の仕事を目指しているということもなかったので,ずっとバスケを続けていこうとは思ってました。
― 高校からはアメリカに留学されました。
富樫さん 日本国内で行きたい高校が決まらなかった時にアメリカの話が出て,行ってみようかなと思い立ったという感じでしたので,ほとんど準備もしていない状態で行きましたね。
― 言葉や習慣の違いでご苦労されたのではないですか。
富樫さん 苦労したと言えばそうですけど,まあ,最初から苦労するものというつもりで行ってますので,別に想像どおりという感じでしたね(笑)。言葉も喋れないよねという体で行ってますので,心が折れることもなく。
― 中学,高校の時は,ポジションはどこでしたか。
富樫さん ずっとガードです。
― 日本とアメリカのバスケの違いはいかがでしたか。
富樫さん よく聞かれるんですが,もう本当に全てが違いますね。環境,スピード,フィジカル,どれもアメリカの方が上です。
― 富樫さんのプレイはアメリカの高校でも通用しましたか。
富樫さん 通用しないと思って行きましたけど,思ったよりは,という感じです。ただ,やれてるなという感覚というより,1年目からAチームでやらせてもらえて,ああ,Aチームでやらせてもらえるんだな,という感じでした。
― 失礼ながら富樫選手はバスケ選手として身長が大きい方ではないと思いますが,アメリカではそのフィジカルの差をどうやって克服されたんですか。
富樫さん 克服という意味では,残念ながら,自分はできるんだということを向こうのコーチ陣に証明できなかったから,高校卒業後は日本に戻ってきたというところがありますね。結局,アメリカのディビジョン1(*いわゆる一部リーグ)に所属している大学には行けませんでしたし,アメリカでやっていけるというのをあまり見せられなかったんじゃないかなと思います。
― アメリカの高校で3年間バスケをされて,高校卒業後,日本でプロ入りされたわけですが,アメリカの高校と日本のプロを比べていかがでしたか。
富樫さん アメリカの高校の方がレベルが高いというわけでもないですけど,やっぱりNBAにより近いのは向こうの高校の方かなとは思いますね。特に自分がいた環境では,ハイレベルな強豪校と対戦することも多かったので。
©CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:JunjiHara
― 日本で2年間プロでやった後,アメリカのNBAに挑戦なさいました。
富樫さん やるなら若いうちにと思っていましたし,もう一回アメリカでやりたいと思って行きました。正直,その年にNBAに行けるとは思っていませんでしたけど,あっちに行くことで成長できるんじゃないかという気持ちで行きました。
― それで,いったんはNBAのチーム「ダラス・マーベリックス」と契約なさいましたが,マーベリックス傘下のテキサスのチーム等でプレイされた後,また約1年後に日本に戻られて,現在の千葉ジェッツに所属なさいました。先程,チーム練習を拝見させていただきまして,色々な戦術を練習されていましたが,対戦相手によって戦術は変えるんでしょうか。
富樫さん オフェンスの戦術を大きく変えるということはないですが,ディフェンスは相手チームのオフェンスに合わせて変えますね。
― オフェンスパターンの数はどれくらいあるんですか。
富樫さん ちょっとそれは分からないですけど(笑),細かいのも入れたら一杯あります。
― 練習では,チーム内の決まりごとの指示が色々ありましたが,試合中の動きに自由度はないんでしょうか。
富樫さん いえいえ,自由度はありますよ。もちろん決められたことはやりますけど,相手の動きが完全にこちらの想定通りということはほとんどないですから,相手の動きに合わせて一瞬で状況を判断してプレイしています。
― 普段,富樫さんはシュート練習はどれくらいなさるんですか。
富樫さん チーム練習の前に30分やって,あとは日によって,疲労度や試合のスケジュールなどを考えて,チーム練習後にもやるかどうかですね。
― シュートの調子は何によって決まりますか。
富樫さん 色んな要素がありますね。シュートセレクションだったり,相手のディフェンスの良し悪しだったり。もちろん気持ちの面もありますしね。
― 富樫選手は,千葉ジェッツではクラッチシュート(*試合終盤の大事な局面でのシュート)を打つことも多いと思いますが,その時の心理状況はいかがですか。緊張されたりしますか。
富樫さん いえ,緊張とかはないです。チームから託されているわけですから,思いっきり打とうという感じでやっていますね。
©CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:JunjiHara
― 今のBリーグの盛り上がりについてはいかがですか。
富樫さん それはもう,数年前に比べたらレベルが違うというか,桁違いだと感じています。
― まだBリーグを見てない方にバスケットボールの魅力を伝えるとしたら何でしょうか。
富樫さん スピードだと思いますね。日本だと,野球,サッカーが二大人気スポーツですが,それと比べて,バスケは展開の早さ。点もたくさん入りますしね。昨年は,バスケのワールドカップもありましたし,今年は東京でオリンピックもありますし,これからまたどんどんバスケが盛り上がってくれれば良いなと思います。
― 富樫選手は,この2月からはオリンピックに向けた日本代表合宿に参加されると聞いていますが,オリンピックでのバスケの目標はいかがですか。
富樫さん まずは,現実的には予選リーグ突破が目標です。そのためには予選で2勝,3勝しないといけないですから,今の日本のチームにとっては難しいとは思いますが,そこをうまくやっていければと思っています。
― 話は変わりますが,昨日,NBA界のレジェンドの一人「コービー・ブライアント」元選手が事故で亡くなるというショッキングなニュースがありました。
富樫さん 昨日の朝起きてそのニュースを知ったんですが,あれくらいのスーパースターが,引退してわずか数年後にまさか事故で亡くなるとは信じられない・・・。長いこと彼のプレーを見ていましたし,特別に好きな選手というわけではなかったんですが,それなのに,本当に悲しく,とにかく信じられないという思いです。
― ちなみにNBAで一番好きな選手と言いますと。
富樫さん (即答で)アレン・アイバーソンです。
― 富樫選手のドリブルはアイバーソン由来だったんですね。最後に,弁護士会のインタビューということで,弁護士のイメージについてはいかがですか。
富樫さん 月並みな感想で申し訳ないですが,やっぱり頭が良いというイメージはありますね(笑)。自分の周りには弁護士の方はいなくて,未知の領域という感じです。
― 契約交渉のエージェントとして弁護士を付けている選手というのはいないですか。
富樫さん もちろんエージェントはいますけど,弁護士のエージェントは日本ではあんまりいないと思いますね。アメリカでは,高校生のバスケ選手でも弁護士を付けている選手はいましたね。1〜2年後には数億円,数十億円も稼ぐ選手が一杯いるので。
― 日本でもスポーツ代理人がもっと活発になるよう頑張りたいと思います。本日はありがとうございました。今後のご活躍も楽しみにしております。