従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
キヤノンイーグルス所属 ラグビー選手
田村 優さん
今回の「関弁連がゆく」は,日本中が熱狂した2019年のラグビーワールドカップ(以下「RWC」といいます。)でのご活躍が記憶に新しいラグビー選手の田村優さんです。
2019年RWCでは,スタンドオフ(※攻撃の組み立ての中心となるポジション)として背番号10番を背負い,司令塔として,また,プレースキッカーとして大活躍され,日本代表のベスト8入りに大きく貢献されました。また,所属されているジャパンラグビー・トップリーグのキヤノンイーグルスでは2020年からキャプテンに指名され,チームを牽引されています。ラン,パス,キック,判断力,すべての技術に秀でた名実ともに日本を代表するラグビー選手です。
今回のインタビューでは,RWCの話題を中心にお話を伺いました。
― 中学生まではサッカーをされていてJリーグのユースチームからも声がかかるほど有望なサッカー選手だったと伺っていますが,どうして高校からラグビーを始められたのでしょうか。
田村さん プロスポーツ選手になりたいという思いはあったのですが,サッカーだと上のカテゴリーに行った人で,大成した人が知り合いにいませんでした。もちろん父(※国学院久我山高校,帝京大学,トヨタ自動車でプレーされた元ラグビー選手で元豊田自動織機監督の田村誠さん)の影響もありましたし,ラグビーは子どものころからサッカーよりも見る機会が多かったので,ラグビーならいけるかなという気持ちで始めました。
― サッカーとラグビーは全く違うスポーツですし,入学された高校も国学院栃木という強豪校です。すぐにラグビーに順応できたのでしょうか。
田村さん ラグビーの試合はたくさん見ていましたので何とかなりました。あと今でこそ母校は強豪校ですが,私が入ったころは,部員の数もそれほど多くなくて,経験者も少なかったんです。私がその高校に入ったのは,父と監督が同級生という縁もありましたし,初心者を指導することに関して定評のある学校でしたので,入学させてもらいました。
― ラグビーのプレースタイルにサッカーをされていた影響というのはあるのでしょうか。
田村さん ボールの形は違いますが,感覚的なものはプラスになっていると思います。ルールは違いますが,同じ広さのグラウンドで,空いているスペースにボールを運んで得点するという感覚は同じですので,サッカーからいい影響をもらっていると思います。
― プレースキックの際,少し下がった後,静止するようなルーティンをされていますが,そのときどんなことを考えているのですか。
田村さん ボールの軌道をイメージしたり,最後まで雑にならないようにボールを「蹴り切る」ということ意識しています。自分自身に問いかけて,できるだけリラックスした状態で蹴るようにしています。
― スタンドオフは判断力がとても重要なポジションですが,試合中に想定外のことが起こってプレーの判断を迷われたりすることはあるのでしょうか。
田村さん 試合ごとに作戦があるので,基本的にはその枠組みの中で対処しますが,実際の試合ではその枠組みを大きく超えるシーンが多々あります。その場合は私自身の肌感覚のようなもので対応しますし,そんな時に舵を取ってチームを引っ張っていくのが私の仕事だと思っています。ただ,そこでチームメイトについてきてもらえるだけの信頼を普段から得ている必要があると思います。
― 明治大学を経てトップリーグのチームに入団し,日本代表に選出されるなど順調にキャリアを重ねられたように見えるのですが,これまでのラグビー人生で,挫折感を味わったご経験というのはおありですか。
田村さん 性格的にあまりないですね。もちろん失敗は今でも沢山ありますけど,乗り越えて成長できるチャンスでもありますので,失敗したときに落ち込んだり,一歩下がったりということは今までなかったです。
― RWCについてのお話を伺いますが,まず2015年RWCの「ブライトンの奇跡」と呼ばれる南アフリカ戦(※引き分けを挟んでRWC16連敗中だった日本代表が優勝候補の南アフリカ代表に34-32で勝利し,海外でも「RWC史上,比類のない試合」,「史上最大の番狂わせ」等と報じられた試合)に出場されたときのお話をお聞かせください。
田村さん 見ている人は誰も勝つとは思っていなかったと思いますが,控え選手やスタッフも含めて全員勝つと信じて望んだ試合でした。私は途中出場で,ベンチからスタートした試合だったのですが,チームの「勝つ」という熱意は感じていました。
― 実際に勝ったときのお気持ちはいかがでしたか。
田村さん もちろん勝って嬉しいという気持ちはあったのですが,日本代表の歴史を変えるような試合でしたので,例えられる言葉が上手く見つかりません。嬉しいというよりも,自分達のやってきたことが正しかった,信じてやってきたことが報われた,という気持ちのほうが大きいです。
― 2015年RWCはサブという形での参加だったと思いますが,自国開催の2019年RWCで,チームの中心として日本代表に選ばれたときのお気持ちはいかがでしたか。
田村さん もちろん選ばれて嬉しかったです。直前で外された選手もいる中で選ばれてホッとしたという気持ちもありました。
― 2019年RWCに向けてどのような準備をされたのでしょうか。
田村さん 2019年RWCに関しては,前の大会から準備が続いていて,8年間「ベスト8に入る」という目標でずっと練習を続けていました。ですので代表に選ばれてから特別に準備をするということはなかったです。
― 初戦のロシア戦では,日本代表の調子が良くなかったように思えたのですが,第二戦のアイルランド戦では,優勝候補を相手に完璧な内容で勝利されました。ロシア戦が終わってからアイルランド戦まで特別な準備はされたのでしょうか。
田村さん 特別な準備はしていません。みんなアイルランドと対戦できることを楽しみにしていましたし,勝てると思って1週間準備しました。初戦の試合内容自体はあまり良くなかったですけど,格下のロシアを相手にボーナスポイント(※勝敗とは別に「4トライ以上」または「7点差以内の負け」という条件で1点が加算されるポイントのこと。2015年RWCでは日本代表はボーナスポイントの差で決勝トーナメント進出を逃しており,決勝トーナメント進出を左右する重要なポイント)を取って勝たなければいけないという試合で,そのとおりの結果(※ 4トライを奪ってロシアに勝利)が出せたので,肩の荷が下りました。それで落ち着いてアイルランド戦に臨めたことが勝利に繋がったのだと思います。
― アイルランド戦で私が印象に残っているのは,終了間際に自陣からインターセプトして独走する福岡堅樹さんがトライ寸前でタックルされたのですが,田村さんが懸命にフォローしたおかげで,相手の反則につなげて勝利を決定づけた献身的なプレーなんです。そのプレーは覚えていらっしゃいますか。
田村さん ええ,ポジション的に私が堅樹や松島の外側にポジショニングすることになっていますが,堅樹がボールを取った時に私が一番距離が近かったので,彼はメチャクチャ足が速いんですけど頑張って追いかけました。
― あそこまで懸命に追いかけられたのはどうしてですか。
田村さん 堅樹は怪我明けで,アイルランドの選手も諦めずに2人追いかけていました。堅樹がタックルされても私がサポートしてトライしようと思っていましたので,何が起こってもいいように,しんどかったですけど頑張って追いかけました。
― 1次リーグの最終戦は決勝トーナメント進出をかけてスコットランドと闘うことになりましたが,台風19号の影響で試合自体中止になる可能性もあり,中止になるとその時点で決勝トーナメント進出が決まるという複雑な状況でした。どういうお気持ちで過ごされていましたか。
田村さん もちろん試合をする気でいました。スコットランドの人たちがメディアを通じて色々と言っていたのは知っていましたし,「試合すれば勝てるのに」とみんな思っていました。
― スコットランド戦をやるという決定がでたのはいつですか。
田村さん 試合当日の朝です。
― そんな直前に決まったんですか!試合ができることになったとはいえ,台風19号によって甚大な被害が出た中で試合を迎えることになりました。特別な思いというものはありましたか。
田村さん もちろんありました。RWCの日本開催にも色々な方が私たちの知らないところで準備してくれていたというのも分かっていましたし,大きな災害の後でも色々な方が準備してくれて,何とか試合ができる状況まで持って来てくれたことは理解していましたので,やるしかないと思っていました。私がこの位の思いがあったので他のみんなはもっと強い思いがあったと思います。
― スコットランド戦に勝って,前の大会から8年間ご準備された「ベスト8進出」という目標が達成できました。その時のお気持ちはいかがでしたか。
田村さん 2015年RWCで南アフリカに勝った時と同じで,日本代表の歴史を変えるような試合でしたので,言葉にはできない思いがありました。試合の後グラウンドをみんなで歩きましたけれども,お客さんは帰らないで私達を祝福してくれました。本当にいい景色を見させてもらったなと,キャプテン(※リーチ・マイケルさん)とも話していました。
― 決勝トーナメントでは優勝した南アフリカ代表に惜しくも敗れてベスト8で敗退となりましたが,1次リーグではアイルランド,スコットランドなどの強豪がいるリーグを4戦全勝で勝ち抜いています。このチームの結果についてはどのようにお考えでしょうか。
田村さん ベスト8まで行く準備はしていたんですけれども,正直最後は余力が全く残っていなかったので,そこは今後の課題だと思います。ただ,怖いくらいに自分たちがチームとしてどんどん強くなっていくという感覚があって,もし,優勝した南アフリカではなく他のチームが相手だったら勝っていたかもしれません。チームが物凄く成長していくのを実感しましたが,ああいう感覚は初めての経験です。
― 田村さんご自身は,51得点されて全体でも4位,1次リーグに限れば48得点で得点王になっておられます。このご自身の結果のついてはどのように思われますか。
田村さん 沢山ミスもしましたし,得点についてはもっと積み上げられたかなと思います。でも何よりもチームの目標は達成できたので,自分の仕事は出来たのかなと思います。
― 日本代表の試合には本当に感動しました。ありがとうございました。次に2019年RWC後のことについて伺いたいと思います。2020年に田村さんはキヤノンイーグルスでキャプテンに就任されていますし,日本代表も強豪国とのテストマッチがたくさん予定されていましたので,2020年は田村さんにとっても日本代表にとっても充実した年になるはずでした。しかし残念ながら新型コロナウイルスの影響でトップリーグの試合や日本代表のテストマッチが中止になっています。このような状況をどのようにお考えですか。
田村さん 試合ができない状況でしたので当然残念な面はありますが,良く言えば,プレッシャーのかかる状況でずっと試合ばかりしていた体をしっかり休めることができましたし,ラグビーに対する想いを再認識できる機会にもなりました。大変な状況ですけれども,私はポジティブに捉えています。
― 現時点でお答えにくいかもしれませんが,2023年RWC出場についてはどのようにお考えでしょうか。
田村さん 先の話ですので2023年RWCのことは全く自分でも見えていません。でも自分の成長を止めるつもりも全くありませんし,毎年成長していこうという思いはありますので,2023年を目標にするというよりは,個人としてもっと成長していきたいという思いは強くあります。
― 個人的には,弟の田村熙(ひかる)さん(※トップリーグのサントリーサンゴリアスに所属するラグビー選手)と一緒に日本代表に選ばれて,兄弟でプレーされているところを見たいと思っているのですが,そのあたりはいかがでしょうか。
田村さん 兄弟で代表に選ばれるということは滅多にないので,実現すれば嬉しいです。でももし私が2023年RWCを目指すことになったら,まず私が選んでもらえるだけのパフォーマンスをしなければなりませんし,代表を選ぶのはコーチですので,私が何か言える立場ではないと思います。
― 最後にご家族のことについて伺います。お父様の田村誠さんのインタビュー映像を拝見して素晴らしいお父様だと感じたのですが,ご両親からどのように教育を受けられたのでしょうか。
田村さん 私は長男なので両親には厳しく育てられたと思います。でも私は昔から自分がやりたいと思うことしかやりたくない性格でしたので,両親が望むような方向にはあまり進まなかったと思います。
― 田村さんの気持ちを尊重してくれるご両親だったのですか。
田村さん というより親に反対されても自分がやると決めたら勝手にやっていました(笑)。あまり親の言うことを聞くというタイプではないです。自分で決めたことを自由にやらせてもらったと思います。
― ご祖父様は,検察官を退官した後,弁護士をされていると伺ったんですが,どのような方ですか。
田村さん 性格は私に似ていると言われます。おじいちゃんには節目節目で色々な相談をしますし,色んなプラスになる意見を言ってくれます。今でも現役で弁護士として働いていますので尊敬しています。
―
そうなんですか。ご祖父様が同業の弁護士をされているということでとても親近感が湧きました。
本日はお忙しい中,色々なお話を聞かせていただいてありがとうございました。また,昨年のRWCでは素晴らしい試合を見せていただいて,とても幸せな時間を過ごすことができました。改めて感謝致します。今後のますますのご活躍を楽しみにしております。