従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
キャスター
田丸美寿々さん
今回の「わたし」は,キャスターの田丸美寿々さんです。田丸さんは,広島県生れ,5才のときご家族と共に渡米されました。アメリカでは,シスコの急坂をローラースケートで疾走し,「ローラースケートのジュディ」と異名をとるお転婆娘だったそうです。10歳のとき,お父さんがNHKに就職されたのを機に帰国し所沢市に住み,県立川越女子高校を経て東京外語大学英文米語学科に入学されました。大学では商社のOLに内定していましたが,たまたま学内の掲示板に「フジテレビアナウンサー募集」の求人票が貼られており,持ち前の好奇心から親に内緒で受験したところ,アナウンサーになってしまったということです。その後のご活躍は皆さんご存知のとおりです。現在はTBS「報道特集」を担当されていますが,かつての「お転婆ジュディ」のおもかげはどこへやら,落ち着いた円熟味あふれるキャスターぶりでご活躍中です。
―田丸さんといえば女性キャスターの草分けですよね。フジテレビの夕方のニュースをご担当されていたのを覚えていますが,最初からキャスター志望だったのですか。
田丸さん いえ,たまたまなんです。私は1975年入社ですが,最初はアナウンサーの業務をやっていました。当時まだ女性アナウンサーは,「ワンちゃんが五つ子を産みました」みたいな,業界で言う「暇ネタ」とか「ヤワネタ」を担当したり,あと天気予報をお伝えしたりしてましたね。
―ええっ,田丸さんが「お天気お姉さん」だった頃があるんですか?
田丸さん そうです。3年半くらい,ずっと「明日は晴れるでしょう」とかやってましたよ(笑)。それが,79年になって,フジが報道をちょっと強化するということになって,「3時のあなた」で人気だった逸見政孝さんと,私をコンビにしたら面白いのではないかということで,「FNNニュースレポート」が始まったのです。
―前例がなかったわけですから最初はいろいろご苦労されたのではないですか。
田丸さん そもそも当時はまだ女性キャスターそのものがなかったですから,もう若さに任せてガムシャラにやってました(笑)。毎日取材に行って,ニュースを編集して,体はきつかったのですが,充実した楽しい毎日でしたね。
―83年にフジテレビを退社されて,アメリカに留学されていますね。会社をやめて日本を離れることに迷いはなかったのですか。
田丸さん それは多くの方から言われました。でも,自分が報道している社会問題や国際情勢についてじっくり腰をすえて勉強したかったのです。だから「今行っておかないときっと後悔する。アメリカから帰ってきてテレビの仕事がなくなってもそれは仕方ないや。」と開き直って,プリンストン大学大学院の研究員になったのです。
―それはどのようなコースなのでしょうか。
田丸さん 一旦社会に出た人達が,自分の好きなテーマで1年間大学施設を使用して研究するというコースです。私は,国際関係論を専攻しました。当時私は32歳だったのですが,実際に行って見ると一番若いくらいなので驚いてしまいましたね。各国の官僚の方々も多くいて,そういう中枢にいる人達が,日本という国をどのように見ているのか感じることができて,本当に勉強になりました。
―帰国後はテレビ朝日で「ザ・スクープ」などでキャスターを担当されましたね。
田丸さん 有り難いことですが,またお声をかけて頂けたのです。でも,この留学を通してテレビの世界を客観的に落ち着いて見られるようになりました。余裕が出たというか,言葉の数や時間の長短とは関係なく,視聴者の方が正確にイメージできる形でニュースを伝えられるようになったのではないかと思います。
―94年からは,TBSで「報道特集」を担当されていますが,一定周期で専属を変えられるのはどのようなお考えからでしょうか。
田丸さん やはり,同じ所で同じ仲間と仕事をしていると段々慣れてきてしまうのです。決して手を抜くというわけではないですが,緊張感がなくなって,ある意味マンネリ化してしまうのでしょうね。私の場合には,8年周期で各局で仕事をさせていただいています。
―え?では報道特集は94年からだからあと1年ではないですか。
田丸さん いえいえ,「報道特集」はもう20年以上も続いている硬派の報道番組ですから,私なんかまだまだ料治直矢さんや堀宏さんに比べればヒヨッコです(笑)。ですから今はこの番組作成に謙虚な気持ちで取組んでいますし,将来的には私のキャスターのとして集大成にしていきたいと思っています。
―現在興味をお持ちの分野はなんですか。
田丸さん いまは,やはり報道被害のテーマでしょうか。確かに,取材を受ける側にも人権はあり,守られるべき権利もあるわけですが,それを法的な規制によって実現するのはどうでしょうか。日弁連もここのところ,報道側に厳しい見方をするようになってきていますし,報道に関わる者として,やはり気になりますね。
それから,最近いろいろ論議されている司法改革についても興味がありますよ。細かい部分は,これからきちんと勉強しなければならないのですが,もっと法曹が私たちに身近になって欲しいというのはずっと思ってました。
―その意味で,田丸さんにとって法曹一元や増員論は歓迎なのでしょうか
田丸さん そうですね,そうなれば法曹の方々がより身近になると思います。私は仕事上,弁護士さんや検察官,裁判官にお会いしたりすることもあるのですが,皆さん普通の人というかオッチョコチョイで人間味あふれた方々ですよ。そういう親近性をもっと発信して欲しいと思います。例えば,「この前飲み屋で一杯やったら隣が弁護士だったけど面白いやつだったぜ」とか,もっと市民に根付いた法曹が増えてくると良いですね。だって,裁判官が公に「私は阪神ファンだ!」とか「野鳥の会に入ってます」とか言えなかったりするなんて,ちょっと行きすぎだと思いますよ。
―ほんとですか?それはちょっと聞いたことないですけど(笑)。確かに,人間に関わる人間くさい仕事という部分がキャスターにしても弁護士にしても楽しい部分ではありますね。
田丸さん そうです,ニュースなども複雑な問題に見えても,結局は人の気持ちで動いている部分が多いのであって,実は何も難しいものではないのです。私は人間というものが好きですし,観察するのがとても楽しいのですね。だから四半世紀にもわたってキャスターと言う仕事を続けれてこれたのだと思っています。もちろん,その反面で人を疑う事も忘れてはいけませんし,またキャスターの使命として常に一歩引いて,視聴者に客観的な判断材料を提供するという気持ちも忘れてはならないのですが。
―これからも,お体にお気をつけて頑張って下さい。本日はお忙しい中有難うございました。