従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
女子プロレスラー
長与 千種さん
今回は女子プロレス界のカリスマ長与千種さんです。長与さんはライオネス飛鳥さんと共にクラッシュギャルズとして女子プロレス界を席巻し,一度は引退して芸能界で活躍されてからプロレス界に復活,女子プロ団体GAEA JAPAN(ガイアジャパン)を旗揚げして10年で再度引退,それから女子プロ団体Marvelous(マーベラス)を立ち上げて後進の育成に励んでおられます。
プロレスを「痛みを伴う芸術」と評する長与さんのプロレス愛をお楽しみください。
― プロレスラーを目指したきっかけは何でしたか。
長与さん
元々はお医者さんを目指していましたが,家庭の事情もあって,医師になるには莫大なお金がかかるということだったので心が折れましたね。それでたまたま当時あったアイドル雑誌の女子プロレスラー募集広告を見て。月給10万円貰えると書いてあったのですが,当時1980年くらいで中学生でしたが,それくらいのお金を見たことがなかったので,それぐらいあったら自分でも生活できるんじゃないかなと思いまして。
その当時,ピンクレディーさんとか宝塚歌劇団さんとかビューティーペアさんとか女性が活躍していました。歌は上手じゃないと自分では思っていたし,歌劇団とかはすごい衣装を着ていて,当時衣装は自前だと思っていたのでそれも持ってないから無理だと思って。でもプロレスの衣装は当時水着みたいだったので,それなら自分で持ってると思い,また空手をやっていて武道を心得てましたし,東京にも行けるしということで,甘い考えもいいところなんですけど,オーディションを受けたんですよね。それで受かって,プロテストも合格してデビューするという算段だったんですが,実際入ったらもう2,3日で辞めようと思いました。
― 辞めようと思ったのは練習がきつかったからですか。
長与さん
きつかったですね。あとは田舎から上京して右も左もわからず,道も広いし車の量も多いし,長崎県の片田舎から来た自分にはカルチャーショックでした。言葉も長崎弁はイントネーションが語尾下がりになったりするので標準語にも慣れなくて。
練習はブリッジ(自分の体を首と背筋と足で支える)とか受け身とかのトレーニング方法がきつくて,体が一瞬で悲鳴を上げましたね。それまで自分の体を打ち付けるということは経験なかったですし,ブリッジとかもやったことがなかったので,やっていけるという自信が削がれましたね。
― デビュー当初はどのような状況でしたか。
長与さん
1回の大会で6試合くらいしかやらないので,1回に14~18人しか出られない。でも控えている選手はその倍以上いて,1つの試合に入り込むのも至難の業でした。吹けば飛ぶような新人レスラーがそこに入り込める余地もなく,入り込めたとしても第1試合目とかで,次も入り込めるかといったらその確約もなかったです。だから人と全く違うアプローチをしないと1試合をなかなか取れなかったですよね。チャンスは巡ってくるんじゃなくて自分で作るしかなかった。
1年経ったら収入は1試合いくら,になります。要するに試合に入らないと収入ゼロ。1年経つと寮から出されて自活しないといけないのですが,家賃さえ払うことができなかったので,先輩にお世話になったりとか,先輩がたまってる家賃を肩代わりしてくれたこともありました。食べるのにも苦労しました。
クラッシュギャルズは19歳のときに組み始めたので,それまでの4年間は全く鳴かず飛ばず。その4年間はある意味今思えばすごいよかったなと思ったりもするのですが,当時は地獄でしかなかったです。
― そういった下積時代を経てからのクラッシュギャルズ結成のきっかけとなったライオネス飛鳥さんとの1983年の試合ですね。
長与さん 相方は身体能力にも体にもすごく恵まれていて,技術もすごく高い人だったので,やることなすこと卒なく何でもできて,だから味がないと言われていた。優等生の中の落ちこぼれみたいな。自分は雑草の落ちこぼれみたいな感じだったので,そこでそういう二人に試合をやらせるというときに,立ちあがれなくなるまでやりたいというお互いの意志が強かったので,そうやった試合がたまたま受けちゃったんですよね。殴る,蹴る,きめる,全部が当時の女子プロ界になかったことだったので。そのときの試合のダメージって半端なかったですけど。
― ダメージが強いということはその後何年もそのスタイルでやるのは辛くないですか。
長与さん
今度は体を作り直すんですよね。受け身,スパーリング(模擬戦),グランド技などよりも,いかに体を鍛えるかということにフォーカスが向くんです。この技に対してはこの体の作り上げが必要とか。長距離選手と短距離選手のトレーニングや筋肉の付き方って違いますよね。それと同じくらいの肉体改造ですよね。
体を鍛えると与えられるダメージを体で十分に逃がすことができるようになる。練習の方法もいっぱい考えましたね。様々な格闘技の練習法を取り入れました。
― かの有名な1985年8月28日に行われたダンプ松本さんとの髪切りデスマッチ(注:負けた方が髪を切る試合)ですが,やらせではなく本当に憎しみ合っていたとお聞きしました。どうやってそのような心境に追い込まれていったのでしょうか。
長与さん 当時の全日本女子プロレス(以下「全女」。)という会社はマインドコントロールがとても上手だったと思います。青コーナーの人に対しては,「赤コーナーがこういう状況らしいぞ,こう言ってたぞ。どうするんだ。」と言って,赤コーナーの人に対しては違うことを言って。憎しみ合うシチュエーションを作るのがとても上手い人達でした。
― 今のプロレスではそういうことはあるのでしょうか。
長与さん 平成の後半くらいからパワハラとかモラハラとか言われるようになって,時代も変わってきてるので,今は一切そういうことを言ってはいけない。余計なことを言ったとなるとすぐに問題になってしまう。だからいま化け物がなかなか育たないんですよね。
― ダンプさんとの仲は今はいかがですか。
長与さん 自分達が40台半ばを過ぎてから,お互い称え合うことができるようになりましたね。そこではっきりしたことがあって,やっぱ全女はコントロールするのうまかったね,という話になりましたね。 ヒール(憎まれ役)はとことん憎まれなきゃいけない。そのためには自分を一つのキャラとして育てるために悪役を演じなきゃいけない。それに対して善玉は,どれだけ嫌なことがあってもどんな状況でもニコニコしないといけない,清廉潔白でないといけないという役割があって,お互い苦しみを背負ってたね,という話をしていました。
― 今はマーベラスで選手の育成をされていますが,代表の地位は彩羽匠(いろはたくみ)さんに譲られていますね。彩羽選手の魅力について教えてください。
長与さん
彼女のいいところはとてもハイブリッドなところです。例えばレコードはしなやかで柔らかい音が出るのに対して,CDは機械的だけどすごい合理的な音が出る。これって時代ですよね。職人さん達が技術を持ってやってた昭和の時代と,コンピューターで緻密に無駄なくデジタルでできる平成のいいところを両方持ってます。それをできるっていうのはめちゃくちゃ強い。
またナンバーワンを目指すなと常に言ってます。一番なんてつまんないことしてるんじゃないよ,と。誰かのオンリーワンになった方がその人の中ではナンバーワンなので,根こそぎ心を持っていけ,と言ってますね。
彩羽さん(左)と長与さん(右)
― 今の若い子たちと長与さんの世代の方々の当時の様子との共通点はありますか。
長与さん 時間と若さですね。昔はジムなんてハイソな方が会員制で入るところというイメージでしたが,今はお手軽に行けるじゃないですか。そういう時代だからこそプロレスだけすればいいのではない,ということで,理学療法士のもとでストレッチとか,ヨガとかピラティスとか,皆自分で考えていろんなことをやっています。
― 先輩後輩の上下関係は今と昔で違いはありますか。
長与さん
昔が100だったら今は50くらいじゃないですか。それも時代ですね。その50では何が大事かというと,プロレスを生涯ずっとやっていくわけではない人が多数だと思うので,いずれ社会に出ていくときのために,挨拶することをすごく厳しくしてますね。
あとは,携帯一つで何でも調べられる便利な世の中になったので,残りの50はなくなったんじゃなくて,むしろ必要なくなったということじゃないですかね。
― あえて一人だけ尊敬する人を挙げるとすると誰ですか。
長与さん 親ですね。父が元々競艇の第一期生で競艇初開催の日からレーサーとして走っていたのですが,すごい厳しかったです。褒めることはしてくれなかったですが,一番の理解者であって,なおかつ一番の応援者でした。
― プロレスの魅力を人に説明するとしたら。
長与さん
プロレスは社会の縮図だと思っています。プロレスには良い人もいれば悪い人もいて,それを裁くレフェリーがいる。社会でも良い人もいれば悪い人もいて,それを裁く裁判官や警察がいる。人となりがとてもはっきりする。
もう一つは,人がもがいててっぺんを目指している姿ってプライスレスで心が打たれる。ぜひ見てほしいと思います。プロレスって台本があるんでしょとか色んなことを言われるのですが,リアルに勝る筋書きはない。プロレスは格闘技というよりも多少なりとも痛みを伴う芸術だと思っています。その芸術の作品である選手達はリアルです。リアルに勝る説得力や感動はないです。
― 男子プロレスと女子プロレスの違いはあるのでしょうか。
長与さん
筋肉としなやかさでしょうか。半端ない筋肉の鎧をまとってる方もいらっしゃいますが,それは男性ホルモンのなせる業だと思っています。女性にはしなやかな筋肉の身体美がある。
あとは華の違いです。女性がスポットライトを浴びると3割どころか5割,10割増しで輝いて見えるんですね。輝いて見えるのはその資質を持ってるから。宝塚さんがよくスパンコールの衣装ですごい艶やかにスポットライトを浴びているじゃないですか。自分たちはほぼほぼ素肌に近いので,見えないスパンコールを背負ってるつもりでいます。心の中ではめちゃくちゃ輝いてますよ。
― プロレスをするにあたってこれだけは絶対守りたいという信念などはありますか。
長与さん
嘘をつかないことです。正直であること。選手に対しても,お客様に対しても。嫌なものは嫌,無理なものは無理,やれることはやる。自分が人間くさくいたいだけです。
長与あいつバカなほど正直だよ,あいつ何言い出すかわかんないけど言ってること全部正直だからと言われても全然かまわない。それで結構嫌がられるときもありますけどね。
― コロナ禍でプロレス界も色々と大変であったと思います。今後コロナと共存していく社会でのお考えはありますか。
長与さん 今はネット社会なので,無観客でも試合ができるようになりました。配信でもいろんな人がパソコンやスマホから会場で暴れる選手を見ているのがわかる。時代が本当に変わっていってると思う。これはもう逆手に取るしかないな,発想の転換だなと。ただ,それでも私はライブをやめない。プロレスだけじゃなくていろんな競技や歌でもライブ観戦が一番楽しい。
― 弁護士のイメージは。未だに敷居が高いと言われることがありますが。
長与さん 自分がお世話になってる先生はギターをされています。全然敷居が高いことはなくて,自分から裸になって懐に入り込んでいくと親身になってやってくださる方もいっぱいいらっしゃいます。自分たちが知らない言葉とかを代弁してくださる方達だと思います。
― 本日はどうもありがとうございました。