関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

認定NPO法人TSUBASA 代表
松本 壯志さん

とき
2022年4月27日
ところ
TSUBASA とり村
インタビュアー
会報広報委員会委員 青木敦子

今号の「関弁連がゆく」は、「認定NPO法人TSUBASA」(以下「TSUBASA」といいます。)の代表理事の松本壯志さんです。松本さんは、2000年にTSUBASAを設立し、飼い鳥を中心に愛鳥全般が直面している様々な問題に注力してきました。苦しんでいる鳥たちを救うべく設立されたTSUBASAと、活動の一つである「愛護教育の啓発」について、TSUBASAの保護施設「とり村」にてお話を伺いました。(TSUBASA HP https://www.tsubasa.ne.jp/

TSUBASAとはどのような団体ですか。

松本さん まず、TSUBASA(読み方:ツバサ)とは「The Society for Unity with Birds - Adoption and Sanctuary in Asia」(=鳥と調和のとれる社会 - アジアの里親とサンクチュアリ)の略です。
様々な理由から飼い主さんと一緒に暮らすことができなくなったインコ・オウム・フィンチを保護し、新たな里親さんを探す活動を行っています。
飼い主さんと愛鳥さんが終生、幸せに健康に暮らしてもらうために、飼い鳥の適正な飼養に関する情報の提供、学びの場を日本全国で展開しています。

TSUBASAはどのような経緯で設立されたのですか。

松本さん 一番初めは、半導体を扱う株式会社ロムテックの部門の一つとして、1997年にCAP!(Companion Animal Park!)というペットショップを池袋で設立したところから始まります。かつては生体販売を行っていましたが、その当時から鳥を保護してほしいという相談が多くありました。その流れでCAP!の中から2000年3月にTSUBASAが設立され、今年で23年目になります。
2010年に社団法人となり、TSUBASAは2011年にロムテックから独立して2012年にNPO法人、2014年に認定NPO法人になりました。
TSUBASAの設立とほぼ同時に2000年末より、CAP!は生体販売を廃止しました。

TSUBASA部門ができたきっかけを教えてください。

松本さん CAP!で鳥を扱うようになってから、鳥の保護に関する相談がとても増えたからです。
CAP!では当初、犬猫の販売をしていました。
もともと私は、動物園の飼育員や移動動物園にも関わっていたことがあったのですが、そのときから動物業界を変えたいとずっと思っていました。
そこで、ペットショップを通じてまずは犬猫の業界を変えたいと思い、繁殖もしたし、他のペットショップと違う取り組みもしました。
例えば、子犬、子猫にワクチン2回接種後でないと販売しません。またショップで3回以上面会してから1週間のホームステイを経ることを条件に販売するといったことです。
生後60日で1回目の注射を打って、90日で2回目の注射を打って、そのあと様子を見て健康診断ですから、実際に犬を販売するときは生後100日超えていたのですね。
今だったら先進的な取り組みと言ってもらえるかもしれませんが、当時は、そんな店で犬買わないですよ。みなさん子犬が欲しいから。
なのでいくら啓発活動をしていても効果がありませんでしたね。半年くらいで店がつぶれそうになり、店を畳もうと思って、僕が飼っている鳥たちを店に連れてきて遊んでいました。ちなみに鳥の種類は、ヨウム、コバタン、キバタン、キエリボウシインコ、 モモイロインコ、タイハクオウムです。犬猫はいない、いるのは鳥だけ。開店休業状態ですから外からは見えます。すると、中で鳥が放し飼いになっているし、僕と遊んでいるところが見えるものですから、なぜか週末になるとお客さんに中を見させてくれ、と言われました。中に入ってもらい、手に乗せたりするとみなさんに感動されました。さらに鳥の飼い方をお伝えすると、みなさんすごく喜ばれるのです。そのうちこの鳥を売ってくれませんか、と言われました。さすがに自分で飼っていた鳥たちなので、売ることはできない、とお答えしましたが、結局そこで鳥の輸入会社から鳥を仕入れるようになったんです。

そこから鳥を売るようになったと。

松本さん はい。オカメインコを中心に、ヨウムなども販売しようとして、仕入れるのですが、病気が多くてみんな育たないんです。自分が子供のころ飼っていた鳥はこんなに弱かったかな、と思いました。
ペットショップの人に相談すると、「3羽育てたら1羽育てばいいんだよ。そしたら元がとれるから」と言われたのがショックで・・・ペットショップなのになんでそんなことができるのかな、と。3羽仕入れたら、3羽育て上げて、健康な仔を鳥が好きな人に販売するのがプロでしょ、と思いました。数軒ほど他のショップに相談しても同じことを言われました。結局もともと育たないことが前提の商売なんだなと思いました。

それでどうしたんですか。

松本さん そこで八方ふさがりになったときに、たまたまアメリカの雑誌、「BIRD TALK」という今ではもう廃刊になっている月刊誌を手に入れました。それを見た瞬間に、「なんか違うな、アメリカは」と思いました。それで、アメリカに行き、実際に繁殖場を見学させてもらいました。アメリカ以外にもシンガポールやフィリピンの繁殖場にも、BIRD TALKの広告を見て、問い合わせて見学に行き、最終的にアメリカから鳥を輸入することになりました。

海外の繁殖場と日本の繁殖場にについて教えてください。

松本さん その後は雑誌やテレビにも取り上げられてCAP!が鳥専門ということで有名になっていたため、逆に業者のほうから鳥を買ってほしいと言われました。だから見学させてくださいと言って、見てきたことがあります。その前に僕はアメリカの繁殖場を見ていたので、そのあとに見た国内の繁殖場は、こんなにひどいところで繁殖しているんだ、と驚愕しました。

具体的な違いはなんですか。

松本さん まず、掃除ですね。掃除をしないから不衛生で、病気が蔓延してしまう。
もちろん、彼ら(繁殖業者)にも理由があるのです。
人が介在しない方が繁殖率が上がる、鳥は懐いていない方がいい、野生の世界を作りたい。だから人はなるべく近寄らないし、掃除もしない、という考えです。
日本の繁殖場のうち何軒かは、水が常に流れていました。それはいいのですが、餌も一週間分まとめて置かれていて、人が入らない所でした。野生の世界といっても本物ではありませんから、掃除を怠れば、当然鳥たちは病気になってしまいます。
他方、シンガポールで見学した繁殖場は、自動的に給餌されていました。
驚いたのは飲水はもちろんのこと、床を掃除するために1日2回自動的に水が流れて洗浄することでした。
シンガポールはその当時でもすごかったです。日本とは相当大きい差がありました。
あとは、コンゴウインコの巣箱がドラム缶でした。繁殖できるかもしれないけど可哀そうですよね。ドラム缶の中、夏場だと灼熱だと思います。アメリカでは見たことないです。
今は僕が繁殖場を見学させてくれ、と言っても絶対見学させてくれないです。アメリカでは、繁殖場を見学させてくれといったら、「welcome」です。しかも、BIRD TALKのうしろのほうに、繁殖場の広告がいっぱいあるんです。僕は鳥を、仕入れに行こうと思った時も繁殖場の広告をみて、場所とか、専門の鳥の種類とか、を見て訪ねました。繁殖場を見て、そのオーナーさんと話をして、あ、これだったらいいな、と思って鳥を仕入れていたのです。
日本の場合は、そもそもどこに繁殖場があるかわからないし、ペットショップが完全に隠れ蓑になっているのです。
海外のブリーダーから鳥を仕入れる過程の中で、ガブリエル財団を知りました。
ガブリエル財団とは、1995年にアメリカのコロラド州で設立された鳥のレスキュー団体です(http://thegabrielfoundation.org)。財団の目的は、インコやオウムたちを保護し、適切な里親のマッチングや教育・啓発活動を行うことで、飼い鳥の生活改善を目指すというものです。
2000年2月にアメリカのガブリエル財団主催のシンポジウムに行った際に、日本の業界との文化の差を感じました。こんなに違う、と。そこで、この情報を伝えるべき使命を感じました。鳥についての教育活動や啓発活動です。

ガブリエル財団主催のシンポジウムについて教えてください。

松本さん 4日間のシンポジウムは、ラスベガスのホテルで行われました。
ホテルの中にはカジノがあり、インパクトがあるシンポジウムでした。
初日はウェルカムパーティーで、世界中から集まった愛鳥家との懇談会です。
翌日からセミナーが開始され、世界中の鳥関係の著名人が講演をしていました。3日間連続です。終わった後レセプションでお疲れさま会をしました。
当時日本では鳥関係のセミナーすらなかったので、4日間連続はそれだけでもカルチャーショックでした。
しかも、世界中の鳥専門家がいる、見たこともない世界でした。
日本の鳥業界、鳥文化が遅れていることをまざまざと見せつけられた瞬間でした。
特に飼育、医療、食餌、野生動物の保護関係、鳥グッズ等が日本では遅れていると思いました。シンポジウムで感銘を受けて、その足でコロラド州アスペンというところにあるガブリエル財団の本拠地に移動しました。施設を見学させてもらって、ガブリエル財団の代表であるジュリー氏からいろいろな話を聞いて、日本にこういう団体を作ろうと思い、帰国後間もない2002年3月にTSUBASAを設立しました。

活動されてきて様々な苦労があったと思います。一番苦労されたことは何ですか。

松本さん あまり苦労したことはないです。みんなが頑張ってくれるので。その時は苦しくても終わった時は、あの時はたのしかったね、ってなるので。
本格的に活動をしようと思ったのは、僕が生体肝移植をしてからです。2004年の7月に手術しました。当時余命3カ月と言われていました。ただ、幸いにも、兄の肝臓を移植し、無事に社会復帰できました。それまでのTSUBASAはMTB(Meet The Bird=里親会)も啓発活動もやってないです。2000年の12月31日に生体販売中止して、あとは、もう残った鳥たちだけのお世話だけすればいいと考えていました。
自分もそこまで長く生きている自信が無かったですし。
社会復帰できたときに、当時、肝移植受けてもいつどうなるかわからない状況でした。僕の周りの人も何人か亡くなりました。自分もいつかそうなるかもしれない。
でも、その間だけでもいいので、残された子たち、せっかくいただいた命なので、それを還元できるとすれば、今僕ができるのはこれしかない、と。
そこから、本格的に、MTBと愛鳥塾を開催しました。
しかも全国に行くようになりました。
すると、不思議なことで、どんどん元気になりました。あれはびっくりしましたね。
やっぱり、みんなに喜んでいただいたり、地方ではよくここまでわざわざ来てくれたと、そういう歓迎を受けたこと自体が、自分にとっての励みになったんだと思います。
歳もとってきたし、病気も当然良くなることはないですけど、自分の活動範囲がこんなに広がったんだなと。本当にそう思いました。
病気をしたおかげで、逆にいろんなことに気づかされたし、自分がやらなくちゃいけないことが、そこで初めて気づかされました。あなたの生まれた使命はこれだよ、そんなに簡単に死なせないぞ、と。あの時は大変でしたけど、あれがあったから、今があるんだなとすごく感じています。大きな転機になりました。

TSUBASAでは毎年BLA(Bird Life Adviser)の資格試験が開催されていますが、BLAについて詳しく教えてください。

松本さん まず、BLA3級は多くの一般の愛鳥家さんに取ってほしい資格です。
なぜかというと、3級のコンセプトが、「鳥と私が幸せになる」というものだからです。まずは、自分の鳥さんとあなた自身が幸せになりましょうということです。
自分と鳥が幸せになれば、今後はそうでない人が周りにいたら、支援してほしい。それが2級のコンセプトの「鳥と私とあなたが幸せになる」。「あなた」のことを前提としているのです。
1級は「社会」が追加されます。多くの皆さんには2級まででいいのですが、鳥業界や法律を変えたりとか、そういう志が高い人に力を貸してほしい、社会のシステム作りに関するものになります。
また、私の講義では、産業動物や野生動物についても触れています。
例えばメジロの密猟や、鶏卵製造の際、効率的に卵をとるために、たくさんの雄のヒヨコが殺処分されていることも伝えています。なるべく平飼い卵を買って、と。

どうしてこのような資格を作ったのですか。

松本さん まず、現在の飼い鳥を取り巻く環境は、川の流れに例えると、上流、中流、下流に分かれます。言葉は悪いのですが、一般愛鳥家さんのところが下流です。
上流で鳥が産まれて、流通し下流に届く。
しかし、劣悪な繁殖環境、飼育環境によって病気になって命を落としたり、愛鳥家さんが迎えても、鳴き声や咬みつきなどの問題行動で手放されてしまう。
もちろん、いくら鳥を助けたとしても、中上流であるペットショップとか、ブリーダーを変えなければキリがありません。
ですが、いきなりそこを変えるのは難しい。だから、愛鳥家さんたちの意識から変えていこうと思ったのです。
消費者の意識が変われば、どの業界も変わらざるを得ないからです。
そこで、できるだけ多くの愛鳥家さんにたちに、鳥のすばらしさと同時に難しさを伝えていこうと思いました。
そのことを伝えていくための手段として、愛鳥塾のようなセミナーだけではなく、動物取扱業の資格になり得るBLAという民間資格を作ることにしました。

TSUBASAの活動の中に、レスキューがありますが、このようなレスキューが起こる背景について教えてください。

松本さん レスキューの背景として多いのは、高齢者が亡くなったり病気になった場合の引き取りです。亡くなる前に家族の方が最近は相談してくれます。TSUBASAの活動が知れ渡ってきたのかな、と実感しています。まだ氷山の一角で、たくさんの鳥飼いの方がいらっしゃるので、まずはTSUBASAの存在を知ってもらえたらと思います。

犬猫でも多頭飼育崩壊が問題となっていますが、TSUBASAの多頭飼育に関するレスキューについて教えてください。

松本さん 昨年は、103羽の文鳥レスキューに関わりました。
その飼い主さんも、4羽から飼い始めて20年間で103羽に増えてしまったケースです。20年前にお迎えした4羽があっという間に103羽になったようです。
その飼い主さんのところに巣箱などもたくさんあったので、繁殖をさせていたようです。
この文鳥のレスキューでも、飼い主はごく普通の飼い主さんで、今回のような事態は、何かの拍子で、誰しも陥る可能性があるのではないかと思いました。

「関弁連がゆく」は、法曹関係者が読みますが、立ち退きや刑事事件についてTSUBASAがかかわった件について教えてください。

松本さん 昨年は3件か4件、刑事事件に関して鳥の引き取り相談がありました。
例えば、DVで奥さんが出て行って鳥だけ残されたとか、もうすでに飼い主さんが捕まっていて、鳥を引き取ってほしいとか。
最近のケースでは、弁護士さんから「鳥の調子が悪い」という電話があって、飼い主さんはもう捕まっているのですが、鳥を見てほしいと言われ、見に行ったらもう死にかけていると。僕が弁護士さんと一緒に行ったときには、残念ですがすでに亡くなっていました。聞いてみると弁護士さんが鳥をみたのは前日だったそうです。そこには亡くなった鳥以外にセキセイインコが5羽いました。弁護士さんの事務所は現場から離れていたので、僕が現場に見に行ってお世話していました。そこには猫もいたので、一緒にお世話しました。弁護士さんのほうから「これから裁判になる」と告げられましたが、最終的には執行猶予がついて、飼い主さんは晴れて釈放され、お世話から解放された次第です。 弁護士さんの間でもそういうことが多いのではないかと思います。

家賃不払いなどでペットが残されてというケースもあるとうかがいました。

松本さん だいぶ昔に緊急で引き取ったこともありました。今後もあるかもしれませんね。
弁護士さんがらみが増えていることは間違いないですね。刑事事件関係が多いです。
昨年も多かったので、今後BLA2級以上の人たちが、一時預かりやお世話代行などができるようなことを検討していきたいと思っています。ネットワークを構築して、ゆくゆくは刑事事件や災害時などにも対応できるようにもしていきたいです。

今後、TSUBASAを通じてどのような活動をしたいと考えていますか。

松本さん 今は埼玉県新座市の「とり村」しか保護施設がないので、BCP(事業継続計画)の観点から西日本にも「とり村」のような拠点を作っていく必要性を感じています。
もし、ここで災害があったときに、鳥の行き場が無くなってしまうので。
それも今計画中です。

TSUBASAの最終目的を教えてください。

松本さん 施設にいる鳥をゼロにすることです。
つまり、*鳥の世界(鳥業界)を変えて、鳥を最後まで面倒見られる世の中にすること。
もちろん鳥の寿命は長いので、新しい飼い主さんへのバトンをつないでもらう。TSUBASAのような施設を1回中継するのではなくて、そうならない世界を築ければいいなと思っています。それと同時にこのTSUBASAという組織を永続させる。
だから相反する目標です。片方では、終わらせる、片方では永続させる。
この2つを僕らはいつも考えています。

*ここで言う「鳥の世界」とは、正確には「鳥業界」のことです。
そして、「鳥を最後まで面倒見られる世の中にすること」とは、寿命が長い鳥種がいますので、終生飼養というより「命のバトンのリレー」的な話になります。
ペットショップで飼った鳥が病気で、飼い主さんが治療のために経済的、時間の支出があったり、場合によってはその病気で亡くなったり、悲しい思いをする人が後を絶ちません。
鳥業界(ペットショップやブリーダー)で健康な鳥を供給できれば、このような悲劇は生まれないと思います。そう言う意味の「鳥の世界を変える」です。

ずばり鳥の魅力とは?

松本さん 永遠の2歳児です。人間の子供も2歳までの間に一生分の親孝行をするといいますがその可愛さが彼らには永遠にあります。同時に、パートナーであり、頭がいいから問題行動もあり、という難しさもある。だからこそやりがいと奥深さがある。
鳥の幸せのために、一生現役で頑張っていきたいと思います。

本日はどうもありがとうございました。

写真

多くのインコ・オウムの故郷、オーストラリアにて。松本さんとアカクロオウム。

PAGE TOP