関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

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信州大学学術研究院教育学系教授、スピードスケートコーチ
結城 匡啓さん

とき
2023年1月16日
ところ
信州大学教育学部キャンパス構内
インタビュアー
会報広報委員会副委員長 山浦能央

今回の「関弁連がゆく」は、信州大学教授でスピードスケートコーチの結城匡啓さんです。結城さんは筑波大学大学院時代にスケート選手としてご活躍される一方、自らの体を使ってスケートの運動メカニズムを研究され、その研究理論を用いた滑りでワールドカップ3位に入賞されたご経験があります。バイオメカニクス(※人間の運動を力学の研究手法を利用して研究する学問分野)により運動メカニズムを徹底的に解析され、その緻密な分析から「氷上の理論家」として知られています。またコーチとしても数々の選手をご指導され、1998年長野五輪男子500m金メダリストの清水宏保さん、2018年平昌五輪女子500m金メダリストの小平奈緒さんという男女500mの金メダリストのコーチも務められました。特に小平さんは結城さんの指導に憧れて信州大学に進学され引退までの18年に亘って結城さんに師事されています。日々究極の滑りを探求され、スポーツバイオメカニクスの権威であり、日本を代表するコーチでもある結城さんにスケートに関する様々なお話を伺いました。

結城先生はスケート選手としても凄い成績を残されているんですが、やはり小さい頃から熱中されていたんですか。

結城さん 実は小さいころから熱心にやっていたという訳ではないんです。北海道網走の出身で元々はスケートが盛んな所だったんですが、子供のころは少し下火になっていたのでむしろ野球少年でしたね。

どういうきっかけでスケートを始められたのですか。

結城さん 網走でもう一度スケートを盛んにしようという動きがあったんですが、私は運動では目立っていましたので小学5年の頃に地元の方から声をかけていただいたのがきっかけですね。でもスキーの方が楽しくて、スポーツの中でスケートが一番苦手なイメージがあってコンプレックスを感じていたんです。でもコンプレックスから入ったことで「どうやったら速く滑れるのか」ということを深く考えるようになって逆に強いモチベーションになりました。その経験が後に研究者を志した原点になっていると思います。

ご経歴を見ると本当に文武両道なのですが、中高ではどのような学生生活を過ごされていたんですか。

結城さん 私の経歴なんかではとても文武両道には当たらないと思います(笑)。ただスポーツも好きだったのですが将来医者になりたいという希望もあって、スケートをやりながら相当勉強はしていたんです。あと高校2年では陸上でインターハイを目指していたんですが幸いインターハイにも出場することができました。

凄いですね!そこから医師ではなく研究者を目指されたのはどうしてでしょうか。

結城さん ある方から「これからは病気を治すよりも健康な人がより長生きすることが求められる時代になる」と言われてスポーツの研究を勧められたのがきっかけですね。私もその通りだと思いましたので筑波大学に進学しました。

筑波大学では最初からスケートの研究をしようと思われたんですか。

結城さん 最初は健康とか社会体育の勉強しようと思っていました。大学では運動もスケート一本に絞って続けていたんですが順調に成績が延びて大学2年生で学生チャンピオンになれたんです。それで子供の頃の話ではないですけど「どうやったら速く滑れるのか」ということに再び興味が湧いて研究してみたいと思いました。そこからバイオメカニクスというものを用いてスケートの動きを解析する研究にのめり込んでいきましたね。

本当に凄いですね!そのバイオメカニクスとはどういった学問なのでしょうか。

結城さん バイオメカニクスとは人間の運動を力学的、解剖学的に解析する学問になります。もともと整形外科の分野で発達した学問なんですけどそれをスポーツの世界に応用したものです。優れた選手には優れた技術が内在するという仮説の基で、その内在している運動技術を力学的に解析するような研究になります。

具体的にどのような研究をされたんですか。

結城さん スケートの盛んなオランダで提唱されていて当時のスケート界で常識とされていた加速理論があったんですが、実はその理論が実証されていないということに気づいたんです。大学院に進んでからその理論を確かめるために若気の至りでカメラ10台を使ってスケートの動作を3次元的に解析しました。当時の技術ではたった1ストロークの解析でもカメラ10台を使って半年以上の月日がかかりましたので気の遠くなるような作業だったのです。

凄い研究ですね。その研究でどういうことが分かったのですか。

結城さん 何度確認してもオランダの理論とは違うことが起こっていると実験結果が語るんですね。僅かなんですけどオランダの理論で起こり得ない前方への力が加速に関係していることが分かりました。私は競技もやっていましたので自分の体を使って確かめてみようと思ったんですが、自分でやってみたら急激に速くなってワールドカップでも3位になったんです。それが大学院にいた26歳の時の話ですね。

先生にしかできない凄いご経験ですね。ご自身の理論で世界3位になったことは研究者と競技選手の両方で結果を出された瞬間だと思いますが、どちらの側面の喜びが大きかったですか。

結城さん 選手の方ですね。自分の理論が自分のスケーターとしての姿をセルフコーチングして後押したという意味で、どちらかというとスケーターとして成就したと感じましたね。科学的な観点から仮説を立ててそれを自分自身で実践して結果を残せたというのはスポーツの最高の楽しみ方だと思います。

世界3位になって選手として五輪を目指すという選択もあったかと思いますが28歳で引退されています。迷いはありませんでしたか。

結城さん 休学して実業団に所属してスケートをしていたんですが、博士課程に戻ることは決めていました。世界で3位になりましたけど日本選手のレベルが高くて、うかうかすると日本で10位くらいになるような状況でしたし、自分は滑るよりも研究をした方がより貢献できて存在価値があると思っていました。選手としても結果を出せてある程度満足できましたので引退に迷いはなかったですね。

博士課程修了後、長野五輪のコーチに就任されていますが長野五輪でのご苦労をお聞かせいただけますか。

結城さん 長野五輪の直前にスラップスケート(※ブレードと靴のかかと部分が離れる構造になっているスケート靴)という新しい道具が採用されたんですが、コーチの誰も経験がない道具が出てきたので採用するかどうかで現場が非常に混乱したんですね。誰も分からない中、私がバイオメカニクス的に解析したところスラップの優位を確信しましたので私は採用すべきだと主張したんです。ただスラップを履かないで優勝している選手もいましたので採用に反対する空気は根強くありました。でも清水宏保、堀井学、岡崎朋美など沢山の選手が私の考えをとてもよく聞いてくれて、最終的には「スラップを使うかどうかはお前が決めろ」と言われましたね。日本選手がメダルを獲得してくれて何とか責務は果たせたと思いますが、大学院を出て直ぐに貴重な経験をさせていただきましたね。

それも凄いご経験ですね。さて結城先生は長野五輪の後、信州大学に移られて科学的な研究とコーチングという2つのことをされているように思います。これは珍しいことではないのですか。

結城さん 海外ではその2つは明確に分業されているんですけど日本ではいい悪いは別にして自由にできていますね。外から見ると2つの分野に分けられるかもしれませんが結局は「どうやったら速く滑れるのか」という1つのテーマに尽きるんですよね。私の持論なのですが、例えば通訳が両方の言葉の概念を理解して初めて成立しているように、科学的な理解を人に技術として伝えるには科学とコーチングの両方が分かっていないとできないと思っています。それぞれの分野でナンバーワンにならなくても両方分かるオンリーワンになるという道もあると思って良いとこ取りでやっている感じですね。

コーチングをされる時に気を付けていることはありますか。

結城さん 沢山ありますね。例えばチーム内でのコーチングでいえば他の人と比べないでその選手の成長に注目するようにしていますね。「お!少しできるようになってきたな」とか「前はできたけど今日はどうした?」とか声を掛けてその選手自身に注目するようにしていますし、その方が選手も楽しくなるだろうと思います。結局は他人との比較ではなくてその選手がどう成長するかということに尽きるんじゃないかと思っています。

沢山の選手をご指導されたと思いますがやはり金メダリストである清水宏保さんと小平奈緒さんのお話を伺いたいです。まず清水さんのことを伺いますが初めて会った時のことを覚えていますか。

結城さん はっきりと覚えていますね。彼が高校2年生で私が大学院の時に同じスケートの大会で初めて会いました。私が先ほどの理論を少し見つけていた時でしたが逆に清水君が上手だなと思って見ていました。ずっと清水君をご指導されていたお父様が亡くなられたタイミングで、そのこともあってか「結城さん、思ったことがあったらアドバイスもらえませんか」なんて言ってくれたのが出会いでしたね。

清水さんは長野五輪後も世界記録を何度も更新されて次のソルトレークシティー五輪でも銀メダルと本当に大活躍でした。清水さんのコーチ時代を振り返ってどのような感想をお持ちですか。

結城さん とにかく楽しかったですね。男子500mの金メダリストで世界記録保持者ということは要するに氷上では人類で一番速いんですね。35秒の壁を破って34秒台の世界記録をマークしたんですが、その後も清水君と一緒にさらなる滑りを求めて33秒台の記録を出すことに挑戦していました。どうしたらもっと速く滑れるのかということを様々な観点から考えるということは正にサイエンスでしかありませんでした。科学的な直感で色々なことを試せましたし結果がダイレクトに出ますので最高に楽しかったですね。

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結城さんと清水さん

その清水さんへのコーチングを見て結城先生の指導に憧れて信州大学に入学されたのが小平奈緒さんです。先生は入学直後に「下手だね。フォーム修正していかないと世界はないよ」と厳しい言葉を掛けられたそうですね。

結城さん 今だったらもう少し優しく言ったかもしれませんが本当に力ずくで滑っていたのでそう言いましたね。でも小平はハードにするとニヤニヤしてむしろ喜んでいましたね。「厳しいこと言ってるはずなんだけどおかしいな、この子大丈夫かな」って思っていました(笑)。練習ではもう止めろと言っても、涙目になりながらも止めずにずっと練習を繰り返していたのが印象的でしたね。

小平さんには昨年長野県弁護士会でインタビューさせて頂きましたが人間性も素晴らしくて、お話には本当に感動しましたね。どうしたら小平さんのような素晴らしい選手が育つんでしょうか。

結城さん 彼女は人の気持ちに立って物事を考えるところがあって、強さだけじゃなくて人の気持ちに寄り添う優しさもあります。強ければ普通はやらないような行動もとるので多くの人はそれに驚かれるんだと思います。でも私はスケートしか教えていませんので私が育てた訳ではないですし、育てられる訳がないです(笑)。

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小平さんを指導する結城さん

でも小平さんは結城先生のご指導のおかげだと仰っていましたね。

結城さん そんなことはないと思います。ただチームの中には必ず上手くいってない選手がいて人間ですからいろんな言動に出るんですが、そんな時私は指導しようとは考えずに兎に角その選手の話を何度も聞いてあげて理解するようにしています。そういうのを見て小平は言っているんだと思いますね。小平も13年目で金メダルを取りましたけど11年目までは上手くいかなくてずっと泣いていました。その悩んだ時に傍にいただけのつもりなんですけど、それが少しは彼女の支えになっていたのかなとは思います。

清水さんのコーチ時代は楽しかったというお話でしたけれど、小平さんとの18年に亘るコーチ時代を振り返ったご感想はいかがでしょうか。

結城さん 言葉にすると「楽しかった」という同じに言葉になってしまいますけど清水君とはまた違う楽しさがありましたね。清水君の場合はトップに達してからバトンを渡されましたけど小平の場合は本当に最初から一緒に培ってトップまで行きましたし、その姿をずっと見ていました。お互いよくやったなと思いますし達成感はありますね。

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応援団に応える結城さんと小平さん

最後に結城先生がイメージされる究極の滑りとはどのようなものでしょうか。

結城さん 氷を全く壊さない滑りですね。力学的にも氷を壊すということは、外にエネルギーを逃がしてパワーロスになりますので氷を壊さないことだと思います。そこの写真(※小島良太選手が写ったポスター)では氷が壊れていますけどね(笑)。今この小島良太という選手と一緒にその滑りを目指しています。この選手は長野五輪の年に生まれた子で私が信州に来て直ぐに作ったちびっこクラブの最後の教え子なんです。彼が小学生の時に「先生、信州大学に行ってスケートをやりたいと言ったら見てくれますか?」と言ってくれたんですが勉強もスケートも一生懸命やって本当に信州大学に入ってくれました。全日本選手権で優勝して北京五輪にも出場しています。今24歳ですけどこれからが楽しみな選手ですね。

そうやって先生が地道に努力されたことが実を結ばれて本当に素晴らしいですね。

結城さん そうですね、また小平とは違う感動がありますね。まさに私が信州に来て良かったと思うことの1つですね。

今後のご活躍を本当に楽しみにしております。本日はお忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。

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