従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
脚本家
徳永 友一さん
今号の「関弁連がゆく」は、脚本家の徳永友一さんです。徳永さんは、2019年に公開された映画『翔んで埼玉』(埼玉県民が東京都民に虐げられる世界を極端なフィクションで描いたコメディ映画。原作は魔夜峰央による同名漫画。)の脚本で日本アカデミー賞の最優秀脚本賞を受賞されています。その他にも多数の脚本を書かれていますので、皆様も徳永さんの作品をご覧になったことがあると思います。今回徳永さんには、『翔んで埼玉』の作品秘話や、脚本家デビューの衝撃的なエピソード等、ざっくばらんにお話していただきました。
― 今はどのくらいのペースで脚本を書かれていますか。
徳永さん 今は同時進行で書いているのが7作品ぐらいですね。依頼が重なるとなるべく断りたいんですが、面白そうだと思うとやりたくなっちゃいますね。これ僕が書かなかったら他の誰かが書くんだよな、と思うと自分で書きたくなって抱えちゃいますね。
― 面白そうだと思う基準はあるのでしょうか。
徳永さん 自分が信じている感覚でしかないですが、自分がベットできると思えるものですね。あとは『翔んで埼玉』を一緒に作った武内英樹監督は仲も良くとても信頼している監督なので、なるべく年に1本ぐらいは一緒にやりたいので一緒にできる企画を探したりしています。
― ご自身でオリジナルを書いてそこからスタートするということもありますか。
徳永さん はい。例えばプロデューサーとお酒飲みながら、「最近面白いことない?」とか日常の会話をしながら面白そうなものを見つけて、なんとなくストーリー作って膨らまして、監督は誰がいいかなみたいな感じで広がることもあります。コメディが得意な監督もいればヒューマンドラマが得意な監督もいるので、オリジナルの場合は作品の質が決まってから監督を探すこともあります。
― 徳永さんは『翔んで埼玉』の脚本で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞されましたよね。『翔んで埼玉』の世界では、東京がダントツに一番偉くて、埼玉をはじめとする東京以外の県(ただし神奈川県は除く)は未開発の秘境みたいな地域で、埼玉県民はとにかくひどい扱いを受けるという設定なので、現代の風潮ではたとえフィクションだとしてもそれを表現すること自体に周囲から相当な圧力等があったんじゃないかと思います。結果は大ヒット作品となって、映画公開後はテレビ放送もされていますが、公開までどんなエピソードがありましたか。
徳永さん 『翔んで埼玉』は最初に企画が出てきたときにやろうと思いました。主人公が高校生の話だから、みんな当然高校生世代の俳優の起用を考えていて。それなのに監督が主人公はGACKTさんにすると。みんな当初は年齢的に全然合ってないけど大丈夫なのか?と思っていたと思いますが、やってみるとGACKTさんだからこそ描けた世界観だと思いました。さすが武内監督だなと思いましたね(笑)。
― 確かにGACKTさんは原作漫画で描かれた主人公のまんまでしたね!ところで原作漫画は世界観の最初の設定が出たくらいのところで途中で終わっていますね。
徳永さん そうなんです。だから、続き考えてみたいな感じで言われてその後のストーリーを自由に考えました。それがすごく評価されてアカデミー賞もとれたんだと思います。
― ストーリーやセリフではどんな工夫をされましたか。
徳永さん GACKTさん演じる麻実麗と二階堂ふみさん演じる白鵬堂百美が対決するシーンで、原作はバレーボール対決をするんですけど、せっかくGACKTさんが演じてくれているのだからと、お正月によくやっている「格付け」のイメージをそのまま持ってきて、ワインボトルに詰めた東京の空気を当てるといったテイスティング対決にしたり。セリフは、例えば茨城県民が納豆好きというのは定番すぎるので、あえて直接的に表現せず「腐った豆を好む」にしたりとか。
― 映画全体がずっと東京以外の地域をディスっているコメディですが、あまりにもリアリティがなくて純粋に笑えるんですよね。東京都民が病気の埼玉県民に対して「埼玉県民にはそこら辺の草でも食わせておけ!」と吐き捨てる有名なシーンもありますが、脚本の段階で周囲の反対は出なかったんですか。
徳永さん 実は最初の脚本ではいろんなことをもっとディスってたんですが、その脚本を見たフジテレビの弁護士先生から、これは訴えられたらやばいですみたいに言われて止められました。それで、例えば原作では匂いで埼玉県民を特定するんですが、埼玉県民が臭いとか表現してしまうと現実世界でもそういうことを言われる人が出てくるかもしれないので、映画ではスコープを覗けば埼玉県民にはその証である「さ」の文字が見えるとか、そういう発想が生まれていきました。
― そうすると映画として完成したものは、一応弁護士からOKがでたものということですよね(笑)。映画公開後に苦情は来なかったですか。
徳永さん 苦情はほんと恐くて、プロデューサーがドキドキしながら待機してたんですけど、ほんの1件ぐらいあった程度で、あとは好意的な意見で、他県からの苦情もなかったです。むしろもっとディスってくれという声が多くて。それで次作に弾みがつきましたね。
― 続編の『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』は舞台を関西に移して、これも大ヒットしましたね。さらに続編はあるんでしょうか。
徳永さん やりたいなと思ってはいます。次は第三国も出てくるようなスケールにしたいけど近隣諸国を絡ませるといろいろ制約が出てきて難しいかも。ただ、『翔んで埼玉』は海外の映画祭にも出していて、中国やイタリアなどでバカ受けしたと武内監督から聞いたことがあります。多分自分の国の地域に当てはめて観たから笑いが通じたのだろうと思います(笑)。
― 徳永さんの脚本の作り方についてお伺いしますが、セリフの他に、演者の細かい動作等もすべて書かれているんでしょうか。
徳永さん はい。例えば、誰と誰がこうやって座っていて、誰がどうやって立ち上がるとか、スプーンを左手で持つとか、自分の狙いとして大事だったら全部書いてます。
― それはご自身の頭の中に具体的なイメージをそのまま表現するということですか。
徳永さん そうですね、自分の中で映像ができたらそれを文字に落としていってる感じですかね。
― 脚本を書いている段階で、演者さんにこういう表現をして欲しいというのもありますか。
徳永さん あります。それは実際に芝居をつけることになる監督とも共有して脚本に落とせることは全て書き込んでいます。
― 撮影現場に行って自分のイメージ通りにいっているかどうかチェックされることはありますか。
徳永さん 撮影現場には行きますけど、現場はもう監督のものなので何か言ったりはしません。ただ、芝居は生き物なので、連続ドラマなどの場合は実際の芝居を観てその後の脚本の内容やセリフを変更したりということはあります。
― 監督をして自分のイメージ通りの映画を撮ろうと思われることはないんですか。
徳永さん ゆくゆくは1本ぐらい撮ってみたいなという気持ちはあります。全部自分でやったら自分の思った通りの世界をつくることができるかもしれませんが、監督をやると半年間以上丸々拘束されるので、そうすると脚本を同時に何本も書けませんし、脚本の依頼がきている今は中々踏み出せません。
― 今一緒に映画をつくられている監督さんというのは、徳永さんのイメージを映像にしてくださる方なんですね。
徳永さん やっぱり『翔んで埼玉』の武内監督は一番信頼していますね。自分のデビュー作の『電車男』(2005年に放送されたテレビドラマ)も武内監督でした。その時からの縁です。もちろん、新しい人との仕事も楽しみながらやっています。いろんな人とやると新しい発想を受け取ることができますので。
― 脚本家デビューについてお伺いしますが、徳永さんが脚本家としてデビューされたのは2005年、28歳のときですよね。もともと脚本家を目指して活動をされていたんですか。
徳永さん 脚本家になろうと思った最初のきっかけは小学校1年生の時です。毎日日記を書いて、先生に見てもらって、コメントもらうのが大好きでした。なにか書いて褒められるのが好きで。それで、僕が中学生の時はトレンディドラマブームだったのですが、ドラマって恋愛とか家族のこととかめちゃくちゃ勉強になるなと思って。その頃部活のこととか、好きな人のこととか、日記も書き続けていたんですけど、日記の中にドラマの感想も書くようになりました。今日観たこのドラマで学んだことはこれ、みたいな。そうした中で、だんだん漠然とこの世界に入りたいなと思ったのが始まりな気がします。大学に入る頃までは小説家も考えてはみたんですけど、小説よりはやっぱり映像だなと思って、20歳のときには脚本家だと決めました。それでライターズスクールに通い始めました。
― 大学卒業後の就職はどうされたんですか。
徳永さん バイトしながらこの夢を追った方がいいのか迷って、当時のスクールの先生に聞いたら、一度は就職した方がいいと言われました。お金の面もありますけど、脚本ってやっぱり経験が武器だからサラリーマンもやっておくべきだと。確かになと思って、それでどうせ就職するならいろんな会社を見たいなと思って、人材派遣会社に就職しました。入社試験の時に「将来脚本家になりたいんで、できるだけ早く帰りたいです」って言ったら、夢を応援するって言ってくれて採用してくれました。それからも色んなことを任せてくれて経験させてくれたんです。本当に今でも感謝しています。結局本当に定時で帰らせてもらっていて、デビューの時もまだ会社員だったのですが支えてくれました。
― デビューの時はまだ会社員だったんですね。どんなきっかけで『電車男』の脚本を書くことになったんですか。
徳永さん 会社に入った後に、フジテレビのヤングシナリオ大賞というコンクールがあって、そこで最終選考に残ったんです。そこでプロデューサーの知り合いもできたので、プロデューサーに向けて新たな企画を出し続けて、その中の一本が『電車男』でした。通勤時間に見ていた雑誌の中に電車男の記事を見つけて、これはドラマになるなと思って提案をして、開発していって、それで企画が通って、チームに入れてもらって、11本中1本の脚本を書かせてもらったんです。
― 新人でヒットしている連続ドラマの1話を任されるのはすごいことですね。
徳永さん 1本書かせてもらうのも本当に大変でした。やっぱり連続ドラマって何億もかけて作るから、コンクールで大賞もとってなければデビューもしてない人を脚本家としてそう簡単に任せるわけにはいかないんですね。今は人材不足でそれほど抵抗なく新人を抜擢したりしていますが当時は中々ありませんでした。だから、企画は通したものの企画代として多少のお金をもらっただけで書かせてもらえることはありませんでした。ただ企画を通したと言うことで脚本の打ち合わせには参加させてもらえたんです。
― 厳しい世界ですね。
徳永さん それから、平日の日中に打ち合わせがあると聞けば、有給を使ったりして打ち合わせに参加させてもらっていました。と言っても、百戦錬磨の人たちの前なので何の意見も言わずに聞いているだけでした。そうしたらある時、プロデューサーに呼ばれて、無理して打ち合わせに来てもらっていると思うからもう参加しなくていいと言われてクビになりました。プロデューサーとたった2人だけで打ち上げして、そこでプロデューサーが「お前がいなければ『電車男』は生まれてない」と言ってはくれたんですけど、お酒が入っていくと「でも、何回か打ち合わせに参加させてもらったのに何も意見言わなかったよな。打ち合わせでアイデア詰まった時に一つや二つ意見言ったら良かったんだ」とか色々言われて、確かにそうだ、自分はただ参加しているだけで満足していたな……とだんだん悔しくなってきて。それで、プロデューサーと店の前で別れた瞬間涙が止まらなくて、渋谷の街を泣きながら歩いて帰りました。電車乗っても涙が止まらなくて、次もしもチャンスがあったら絶対ものにするんだと思いました。
― 今のお話だと、『電車男』の脚本は書いてないというオチになりそうですが、、、?
徳永さん それから1カ月か2カ月経った頃に、プロデューサーから連絡がきて、「脚本作業が遅れていてまだ4話までしかできていない。6話の脚本を書いてみないか?」と。「ただ他にもキャリアがある脚本家に声をかけていて、脚本コンペの形をとり、面白いほうを採用する。3日で書けるか?」と言われました。当然「書けます!」と即答しました。ただはあの時の悔しさがあるから3日と言われたら、1日で書いてやる!と。
― 1日で書いたんですか。
徳永さん 徹夜して1日で60枚の原稿書きました。すぐに返事が来たのですが、「主人公のキャラがブレているからダメだ、もういいよお疲れ様」と言われてしまい……。でも、そこで「あと2日ありますよね!?」と粘って、また1日寝ないでキャラブレに気をつけて新しく書き上げました。それは主人公の電車男がヒロインを追って伊豆に行くみたいな話だったんですけど、伊豆に行くスケジュールがないからダメだと言われてしまい……。「待って下さい!あと1日ありますよね!?」とまた粘って残り1日に賭けました。その残り1日で書いたものが評判がよく採用されました。
― その間、会社はお休みされたのですか。
徳永さん 会社も休みましたし、人生であの間だけ3日3晩ほんとに寝ないでひたすら書き続けました。あの3日間の努力で人生が変わったのだと今でも思います。あそこで頑張れていなかったら今の自分はいませんから。よく当時3日で3パターンも書けたなと思います。
― その後は脚本家として順調に進んでいましたか。
徳永さん その先も半年くらいは会社にはいさせてもらって、あとは次の連続ドラマが正式に決まってから、もうさすがに仕事は休めないし、会社を辞めました。会社の人はみんなお祝いしてくれましたよ。
― 今後の目標というのはどのようなものでしょうか。
徳永さん 次は海外の人たちにも観てもらえて、海外でも評価される脚本を書きたいなと思っています。公開予定の劇場映画で『はたらく細胞』(原作は清水茜による同名漫画)があるのですが、人間の体内の話で世界共通で楽しめる話だと思うので、どういう広がりを見せるのか楽しみです。
― 『はたらく細胞』は身体に関する知識を学べるので教育的なコンテンツにもなりそうですが、コメディなんですか。
徳永さん 笑って泣けるっていう典型的なエンターテイメントです。
― 今相当お忙しいと思いますけど、脚本みたいに何かを自分から生み出すことを数本並行してやると締め切りに間に合わなくなることはないですか。
徳永さん 生真面目だから、必ず締め切りの前日には終わらせていることが多いです。締切りに追われるのが嫌だから同時に色んな仕事受けた時はスケジュール帳広げて、この作品は今日何枚書かなきゃいけないとか全部計算してその目標通りに書き上げていきます。午前これ何枚、午後これ何枚みたいにして、終わるまではとりあえずひたすら頑張るみたいな。
― すばらしいです!今日は書けないみたいなことはないんですか。
徳永さん 当然何も降ってこない日もありますが、でもそれで今日の予定では4枚書かなきゃいけないのを2枚でいいやとかしちゃうと、それが甘えになってどんどん先延ばしになっていきますよね。そうならないためにも4枚書かなきゃいけないならどんなにつまらなくてもいいから4枚は書く。それで次の日に一度クリアになった頭で見返すと、ここはこうしたほうがいいなというアイデアが不思議と出てくる。その繰り返しのおかげで締め切りに追われずに済んでいます。
― 文章書くという点では我々弁護士も一緒なので、反省して徳永さんを見習いたいと思います!弁護士に対してはどんなイメージをお持ちでしょうか。 どんな弁護士に依頼したいですか。
徳永さん ありきたりな言い方ですが弱者の味方です。依頼した弁護士先生には自分の良いところも悪いところも全て話せる人でないといけないと思いますので、大前提として人として自分の本当の内面を見せて安心できる先生がいてくれたらと思っています。
― 脚本家のお仕事で辛いことはないですか。
徳永さん 辛いことはたくさんありますが、それを引っくるめて本当に楽しくやりがいのある仕事だと思っています。そもそも、自分が好きだったことを仕事にできていますからそれだけで幸福ですし、何よりも自分の作品が知らない誰かの胸に少しでも響いてくれることがあったならこんな幸せなことはありません。
― 最後に、直近の作品では徳永さん脚本の映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』は今年の7月26日に公開予定ということで、本当に楽しみです!今後のご活躍も応援していますので、ぜひ弁護士を主人公にしたコメディも書いてください!
徳永さん ありがとうございます!是非劇場に足を運んでください!