関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

漫画原作者
武論尊さん

とき
2024年5月12日
ところ
さくまんが舎
インタビュアー
会報広報委員会委員長 山浦能央
長野県弁護士会佐久在住会 大井基弘

今回の「関弁連がゆく」は原作者として数々の名作を世に出された漫画界のレジェンド、武論尊さんです。「ドーベルマン刑事」(画・平松伸二)、「サンクチュアリ」(別ペンネームの史村翔名義、画・池上遼一)、「HEAT-灼熱-」(画・池上遼一)等の数々のヒット作を出されていますが、1983年から週刊少年ジャンプに連載された「北斗の拳 (※1)」(画・原哲夫)は、「お前はもう死んでいる」等の数々の名セリフとともにセンセーションを巻き起こし、爆発的なヒット作となりました。連載から40年を経て今なお世界中のファンに愛され続けている漫画史に残る不朽の名作です。

また武論尊さんは漫画原作だけでなく、2018年から出身地の長野県佐久市で「武論尊100時間漫画塾 (※2)」を開講され後進の育成にもご尽力されているほか、経済的な理由で進学ができない若者を支援するため、佐久市に合計8億円もの寄付をし、「SAKUコスモス育英会 (※3)」の設立にも多大な貢献をされています。今回は昨年9月に完成した漫画塾の専用施設である「さくまんが舎」にお邪魔をしてお話をうかがいました。

(※1) 核戦争により文明社会が失われ、暴力が支配する世界となった世紀末を舞台に、北斗神拳の伝承者・ケンシロウが愛と哀しみを背負い救世主として成長していく姿が描かれている(「北斗の拳0fficial Web Site」より。なおインタビュー中の登場人物の詳細は同サイトでもご確認いただけます)
北斗の拳 OFFICIAL WEB SITE (hokuto-no-ken.jp)

(※2) 武論尊さんが塾長を務めるプロの漫画家や小説家として通用する技術や知識を養う塾。受講料は無料。武論尊さんの他、あだち充さんや青山剛昌さんなどの現役の漫画家や編集者が講師を務める
武論尊100時間漫画塾について | 佐久市ホームページ (city.saku.nagano.jp)

(※3) 2018年に佐久市で創設された経済的な理由で修学が困難な学生を対象にした返還不要の給付型奨学金制度
【返還不要の給付型奨学金】佐久市SAKUコスモス育英基金奨学生(第7期生) | 佐久市ホームページ (city.saku.nagano.jp)

少年時代はどういう生活を送られていましたか。

武論尊さん 学校から帰るとすぐにカバンを放り出して外へ遊びに行くような元気な子供でした。当時長野県は漫画の文化があまり浸透していなくて、漫画雑誌を友達が買うとみんなで回し読みしていた程度でした。漫画は好きでしたけど、凄く好きという感じでもなかったような気がしますね。

そこからどういう経緯で漫画原作者になられたのですか。

武論尊さん 中学卒業後に自衛隊に入ったんですが同期に本宮ひろ志さんがいたんです。本宮さんは先に自衛隊を辞めたんですが、その後「男一匹ガキ大将」がヒットして漫画家の大先生になったんです。それで私が自衛隊を辞めた時に彼を頼って本宮プロに転がり込んだんです。漫画の手伝いは何もしていなかったんですが、編集者の方が「ゴロゴロしているんだったら原作でも書いてみないか」と誘ってくれたのがきっかけですね。最初は書き方も分からないので、大学ノートに書いたんですが、編集者の方から「面白い」と言っていただいて、そこから原稿の書き方を一から教えていただきました。

いきなり原作を書けてしまう才能が素晴らしいですね。目標にされていた先生はいましたか。

武論尊さん なりたての頃は梶原一騎先生や小池一夫先生といった大先生もおられましたが、「釘師サブやん」を書かれた牛次郎さんがすぐ上にいて目標でしたね。牛次郎さんには色々とお世話になりました。

多くの作品を出されていますが、ジャンルはバイオレンス以外にも三国志を題材にした「覇-LORD」(画・池上遼一)やコメディ漫画の「パッパカパー」(史村翔名義、画・水野トビオ)、少女漫画の「ホールドアップ!」(画・弓月光)など多岐にわたっています。これほど幅広いジャンルの作品を出されているのはどうしてですか。

武論尊さん 作品が同じ色だけになっちゃうとつまらないですし、自分の引き出しの広さを試したいという気持ちもありました。新しい作家さんと出会って「この作家さんとこういうものを書いてみたい」という気持ちがモチベーションになって新しい作品が生まれるので、新しい作家さんとの出会いは楽しみにしていました。結局は浮気性なんですよ(笑)。

いえいえ(笑)。本当に多くの作品を出されているんですが、私は「北斗の拳」ど真ん中の世代なので是非お話を伺いたいです。まずは原作を担当された経緯を教えてください。

武論尊さん 原哲夫先生が「北斗の拳」というタイトルの読み切りを書いていて、それは高校生が主人公の現代劇だったんです。それを連載することになって原作者を探されていたんですが、たまたま俺のとこに話が来たんですね。読み切り版を見て面白いと思ったんですが、時代や設定を変えた方がより面白くなると思ったんで、設定を変えてよければやりますよと言いましたね。

「核戦争により文明が失われた近未来」という設定はどのように生まれたのでしょうか。

武論尊さん 北斗神拳の面白さを引き出すには、近代兵器のない時代にしないとダメだと思っていたんですが、「マッドマックス2」という映画で見た核戦争後の荒涼とした風景が頭に残っていて、そこに北斗神拳を入れ込んだら面白いストーリーができるんじゃないかなと思ったんです。この設定にオッケーが出た時にひょっとしたら当たるかもしれないと思いましたね。

原哲夫先生の画の迫力に驚いた記憶があるんですが、設定を変えた「北斗の拳」の画を最初にご覧になった感想はいかがでしたか。

武論尊さん やっぱりハマったなと思いましたね。読み切り版の方は現代劇で主人公も高校生でしたのでそこまで迫力を感じなかったんですけど、原先生の画は近未来のああいう殺伐とした世界に入れ込むと化けるなと思いました。

「北斗の拳」ほど夢中になって読んだ漫画はないので、どのようにストーリーができたのか非常に興味があります。連載当初はどの辺りまで話ができていたんでしょうか。

武論尊さん 1話目だけです。1話目だけ考えて連載が始まりました。

ええ!そうなんですか。

武論尊さん だから2話目が結構苦労しました。何度も書き直したんですが、2話目のケンシロウがおじいさんの墓に種もみを撒く最後のシーンがぴったりハマったので手ごたえを感じましたね。

そこから先のストーリーはどのように作られたんですか。

武論尊さん 俺の作り方は全部後付けなんです。先のことは考えてないので「ところでケンシロウはなんで旅をしてるんだっけ?」というところに戻って、そこから「女の子(ユリア)を奪われて追いかけていることにしよう」と考えました。ケンシロウの胸の7つの傷も始めはファッションで付けただけで、どうやって付けたなんて考えていなかったんですが、後付けでユリアを奪うためにシンが傷を付けたことしました。もう噓つきの天才ですよ(笑)。

いえいえ発想力の天才だと思います(笑)。でもまさかユリアが生きていたとは思いもしませんでした。

武論尊さん あれも後付けで全然考えていなかったですね。最初から考えていたらあんなストーリーはできていなかったでしょうね。俺が分かっていないので読者に先の話が分かるはずがないですよ(笑)。

確かにそうですね(笑)。ではラオウやトキはどうやって生まれたんでしょうか。

武論尊さん 「名前がケンシロウだから上に兄ちゃんが3人いるはずだぞ」と思って、最初にケンシロウにコンプレックスを持ったジャギという兄ちゃんを作ったんですが、ジャギ以外にあと2人お兄ちゃんの枠が余ってるんですよ(笑)。2人のキャラクターは何も考えてなかったので、原先生には一人は「デカイ奴」にして、もう一人は「細い奴」にして、シルエットだけを描いてもらうようにしました。だからラオウとトキの最初の登場シーンはシルエットしか出ていないはずですし、名前も付けていないです。

まさかラオウが最初「デカイ奴」というキャラクターしか決まっていなかったとは思いませんでした(笑)。名前はどのように付けられましたか。

武論尊さん ラオウは「羅王」という漢字のイメージから付けました。トキは儚い美しさがあったので天然記念物の鳥のトキから付けましたね。

そうなんですか!ところで佐久平駅でジャギの胸像(※4)の実物を見たのですが凄い迫力でした。ジャギがお好きだと伺ったんですが、なぜお好きなんですか。
(※4)連載開始40周年の記念事業として原作にも登場したジャギの胸像が2023年にJR佐久平駅に設置された。

武論尊さん ジャギって「おれの名を言ってみろ」というセリフからも分かるように承認欲求の塊じゃないですか。それって人間の欲望の集大成でしょ。その哀しさもあって人間的になんか好きなんですよ。

JR佐久平駅構内のジャギの胸像

JR佐久平駅構内のジャギの胸像

でもジャギってよく考えれば北斗神拳の伝承者争いの最終4人に残っていて実は凄い実力ですよね。

武論尊さん 受験で例えるとジャギもずっと「お前なら東大に行ける」って言われて一生懸命勉強してたんですけど、お兄ちゃんと弟が勉強しないで東大に行っちゃったんですよ(笑)。「こんなに勉強しているのに俺はどうしたらいいんだ」っていう感じで、それから勝つためには何をしてもいいという悲しい性格になったんですよ。「俺を見てくれ!」っていう(笑)。

なるほど(笑)。さて新作アニメ「北斗の拳-FIST OF THE NORTH STAR-」の制作が決定されるなど40年を経ても「北斗の拳」の人気は衰えることを知りません。これだけ愛され続けている理由は何だとお考えですか。

武論尊さん 俺のストーリーと原先生の画がマッチしたこともあると思いますけど、友情や愛情、哀しみといった普遍的なテーマが作品の根底にあって、それが上手く書けたからかなと思っています。

確かに北斗神拳のカッコよさもありますが感動的なお話に心を打たれました。例えば私はサウザーが好きで師匠との絆が書かれているシーンも好きでしたし、聖帝十字陵(※聖帝サウザーが作った巨大な陵墓)でシュウが亡くなるシーンや闘いのシーンも印象に残っています。

武論尊さん シュウが自分の墓石を担いで聖帝十字陵を登っていくシーンは、「ゴルゴダの丘」をモチーフにしていて私も好きなシーンですよ。サウザーとの闘いはいい感じで進められましたし、中盤の一番の見せ場でしょうね。でもシュウが少年時代のケンシロウを助けるために自分の目を潰したという話も実は後付けで考えたんですよ(笑)。

そうなんですか!あと少年時代のラオウが弟のトキを励ましたり、崖に落とされたラオウがトキを背負って助けたりするシーンも深い兄弟愛が書かれていて感動的でしたね。

武論尊さん そういう「情」の部分は上手く書けたのかなと思います。でも私は読者を泣かしてやろうと思って狙って書いてますので、あざといと言われたりもしますね(笑)。レイが死ぬ姿を見られたくなくて、一人で家に籠って最期を迎えるシーンを考えついた時は震えましたね。これはみんな泣くぞって思ってました。だから根っからの嘘つきなんですよ(笑)。

いえいえ発想力が素晴らしいんですよ(笑)。ところで先生が一番印象に残っているシーンはどこですか。

武論尊さん やっぱり「わが生涯に一片の悔いなし!!」というラオウの最期のシーンじゃないですかね。俺も原先生もヘトヘトでしたけど「書き切って悔いなし」という自分の気持ちでもありました。でも次の週から続きを書けと言われましたけどね(笑)。

「さくまんが舎」に展示されているラオウのパネル画

「さくまんが舎」に展示されているラオウのパネル画
Ⓒ武論尊・原哲夫/コアミックス1983

あのラオウのセリフは先生ご自身のセリフでもあるんですね。漫画史に残る名シーンだと思います。さて2018年から「武論尊100時間漫画塾」を開講されていますが、きっかけは何でしょうか。

武論尊さん 69歳の同窓会のときに「来年70歳だから記念に何かやろうか」という話になって「俺何もできないけどやるんだったら漫画塾だな」と言ったのがきっかけですね。佐久市も協力してくれることになって、トントン拍子で話が進みました。でも生徒が集まるかどうか分からなくて見切り発車でしたね。

漫画塾で講師を務める武論尊さん

漫画塾で講師を務める武論尊さん

2017年に佐久市に4億円の寄付(2022年に再び4億円の寄付)を申し出られて、「SAKUコスモス育英会」の創設にご尽力されていますが、同じ頃に出たお話なんでしょうか。

武論尊さん そうですね。最初は漫画塾の話だけだったのに「奨学金もどうだ」って言われて騙されたんですよ(笑)。

ご謙遜されていますが奨学金創設のニュースは若者だけじゃなくて佐久市民全員に夢と希望を与えてくださいました。

武論尊さん だから変なことで捕まりたくないんですよ(笑)。

いえいえ、その時は我々が無罪にしますよ(笑)。さて漫画塾は今6期生だと伺っていますが、漫画塾で教えられた感想はいかがですか。

武論尊さん 長野県という狭いエリアでやっていたのでそんなに応募はないと思っていたんですが5年も経つと段々興味を持ってやってみようという人が増えていますので、どんどん裾野が広がっている印象はありますね。あと、塾生からメジャー漫画雑誌で連載を持つようになった子が2人(※5)も出たのは凄い成果だなと思います。
(※5)松本文怜さん(週刊ヤングマガジンで「咲花ソルジャーズ」を連載)と三国史明さん(週刊ビックコミックスピリッツで「国宝」を連載)。なお漫画塾には6期生を含め112人が入塾。これまでに96人が卒塾し、22人がプロデビューした。

デビューされた方も多くて本当に凄いことだと思います。さて最後に武論尊先生の今後の目標をお聞かせください。

武論尊さん 今、漫画塾で教えていますけど、一番やりたいことは教えることじゃなくて、その子たちをライバルだと思って、これからもまだまだ現役として作品を残していくことですね。これからも現役の作家であり続けていたいと思っています。

素晴らしいお考えですね。作品を楽しみにしております。本日はお忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。

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