従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
女優
松本 若菜さん
今回の「関弁連がゆく」は、女優の松本若菜さんです。
松本さんは、これまで多くの作品に出演されてきましたが、昨年は、オリコンのブレイク俳優ランキング(女優編)で1位を獲得されるなど、現在、破竹の勢いで大活躍中です。
今後も多くの出演(作品)を控えている松本さんに、子供の頃から現在まで、いろいろと伺ってまいりました。
― 本日はよろしくお願いいたします。まず、幼少期の松本さんは、どういうお子さんでしたか。
松本さん 小学校低学年の頃は、ものすごく活発でした。私は鳥取県米子市出身なんですが、家が畑に囲まれているような地域だったので、近所の友達みんなで一緒になって木登りしたり、外で遊び回るような子どもでした。ですが、小学校の高学年くらいになると、いわゆる内弁慶タイプになってしまい、仲の良い友達の前ではちょっとおちゃらけても、他のみんなの前だと緊張してカチコチになるみたいな、そういう子供でしたね。
― 子供の頃からずっと人前に立つのが好きだったわけではないんですね。
松本さん そういう感じではなかったです。文化祭の劇でも、ものすごく緊張してしまう感じでした。
― その頃の将来の夢は何でしたか。
松本さん 周りの友達は将来の夢を話しているのに、私には将来の夢がなくて。それがコンプレックスでしたね。
― 高校は調理科に進まれたんですよね。
松本さん はい、手に職があった方が将来何かしら役立つからと。例えば、お嫁さんになるのでも、飲食関係のお仕事をするのでも、調理ができて、なおかつその免許も取れたら一番良いかなと思って。
― その頃は、女優になりたいとはまだ全然考えてなかったんですか。
松本さん 一切考えてなかったです。演技の勉強をしたことも当然ないですし、本当にただの田舎の高校生でした。
― 高校の時に、一度、芸能界にスカウトされたとのことですが、その時のことを教えてください。
松本さん 地元に、学校帰りの高校生が集まるショッピングモールがあって、いつものように、放課後にそこのフードコートに行ったんです。そしたら、先に来ていた友達が、女優の奈美悦子さんがモールに来ていると教えてくれて、ご本人に会いに行こうという話になってモール内を探して握手していただいたんです。そのしばらく後に、奈美さんご本人がフードコートにいた私を探してくださって、「芸能界に興味ない?東京がどんなところか遊びにおいでよ。」とお声がけいただきました。芸能人に言われたものですから、その時は二つ返事で「興味あります!行きます!」と答えていました。
― 実際に東京に行かれたんですか。
松本さん はい、一度伺いました。奈美さんの事務所にも遊びに行かせてもらって、そこで、「写真でも撮ってみる?」と言われ、プロの方にヘアメイクをしてもらい、衣装を着て、カメラマンに撮影していただいたんですが、だんだんと現実が見えてきて、「こんな凄い世界でうまくやっていける自信がない。」と思ってしまって、その時は「やっぱり怖くてできないです。」とお断りしてしまいました。
― それから高校を卒業された後はどうされましたか。
松本さん 高校を卒業して3年間OLをしていたんですが、仕事のシフトを見て毎日出社するという日々の中で、ふと、なんか、すんって我に戻るじゃないですけど、将来のことを考えた時に、「このままこの1回きりの人生が終わっていいのかな」と思ったんです。それで、「自分にしかできない仕事って何だろう」と考え、奈美さんに声をかけていただいたのが心に残っていましたので、当時のスカウトから6年経っていましたが、「もしかしたら今から連絡すればまだギリギリ間に合うかもしれない」と思い、奈美さんの事務所に連絡しました。
― 連絡するにあたって、ご両親には相談されたんですか。
松本さん してないんです。一応、姉には東京に行こうかと思っているみたいな話はしたんですけど。事務所に連絡をしたら私のことを覚えてくださっていて、もう1回、東京に遊びに行かせてもらい、もうその時には自分の気持ちは決まっていたので、そのままアパートを見つけて、賃貸借契約書の連帯保証人欄に親の名前が必要だったので、そこだけ空けて、実家に持って帰りました。
― そこからの家族会議は大変ですよね。
松本さん いや、もう怖かったです(笑)。反対されました。大反対です。
― 最終的にはサインをしてくれたんですね。
松本さん そうですね。1か月ぐらいかかりました。
― 無事に説得できて、その後、もう東京にいらっしゃったんですね。デビューまでには、どれくらい時間がかかりましたか。
松本さん 約1年です。デビューまでの1年間は、演技の基礎の勉強をしていました。
― デビューはどうやって決まったんですか。
松本さん 初めて受けたオーディションが「仮面ライダー」だったんですが、初めて受けたオーディションで受かってしまい、1年間レギュラー出演させていただきました。「仮面ライダー」が終わっても、すぐに映画の主演をさせてもらえたので、自分の中で、もうこれは軌道に乗ったんじゃないかと感じていました。
― ただ、その後、あまり恵まれてない時期が続いたようなことをおっしゃっているかと思いますが、その辺のことってお聞きしてもいいですか。
松本さん はい、初めてのオーディションに受かったので、「オーディションは受ければ受かるものなんだ」くらいに思っていたんですが、蓋を開けてみたら、全然そんなことなくて。主演の映画が公開されて何か月かした後に、「あれ、私、もう演技の仕事が入ってない!」みたいな。その後も、ことごとくオーディションに落ちますし、役をもらえたときも、もちろん役を頂けること自体はありがたいんですが、あまり望んだ役でもないということが、29歳くらいまでずっと続きました。
― その頃はまだアルバイトもされていたんですよね。実家からの援助はなかったんですか。
松本さん 全くないです。それだけは覚悟を決めていましたので。ありがたいことにお仕事も日々増えてきてはいたんですが、32歳ぐらいまでは、やはりアルバイトをしないと生活できなかったですね。アルバイトは、上京してからは全て飲食関係だったんですが、泣かず飛ばずながら、いろいろな作品に顔は出していたので、ホールを担当していたときによく声をかけられるようになってしまい、途中からキッチン担当に変更になりました。学生時代に取っていた調理師免許がそこで初めて役に立ちました。
― 高校生の時の手に職をつけておくというお考えがそこに繋がったんですね。
松本さん ラッキーでした(笑)。
― それから32歳のときに出演された「愚行録」という作品で、助演女優賞をとられた時っていうのは、自分の手応えとして、何か心構えが違ったんですか。それとも、いつも通りやっていたら賞が取れたというイメージですか。
松本さん 後者の方ですね。何かを急に変えたとかではないです。それまで、どんな役でも自分の中で手を抜くことはありませんでしたので、そういった積み重ねがその賞に繋がったのかなって思いました。それからもありがたいことに、本当に毎年、毎年、少しずつですが、いろいろな作品に出させていただいて、今の40歳まで徐々に徐々に、少しずつステップアップしてきたという感じです。
― 昨年には、オリコンのブレイク俳優ランキング(女優編)で1位を獲得なさいましたが、そこまで続けられた理由は何でしょうか。
松本さん 自分も何度か、「辞めよう、辞めた方が良いんじゃないか」と思ったことがあっても、がむしゃらにやってこられたのは、やっぱりこの仕事が楽しいからなんですね。誰かのためとか、自分のためとかじゃなくて、ただ楽しい職業だということです。「今のお仕事が終わったら辞めよう」と思ったこともありましたが、ありがたいことに、その後望んだ仕事が入ったりして。だから、やっぱり自分にはこの仕事しかないのかなって思いました。
― どういうところが楽しいですか。
松本さん 原作や脚本があって、撮影に入る前までに自分の中の役作りみたいなものがあって、現場に入ってから演技して、撮影・編集していただいて、映像化されるまでの工程、実際に形になっていく工程が楽しいですね。
― ちょっと大きな話になるんですけど、成功の秘訣というといかがですか。
松本さん 私が成功したかどうかは分からないんですが、女優の仕事をずっと続けてきた中で、成功するためには捨てるべきものというのがあって。それは、プライドです。プライドを捨てられたことが一番大きかったですね。20代の頃はプライドが特に大きかったんですが、30台後半になったら、「一番邪魔くさい、自分を縛っていたのはこれだったんだ」って感じでした。プライドを捨ててすごく楽になりました。
― 演技について少し聞きたいんですけど、自分に似ている役と似ていない役だったら、どっちがやりやすいですか。
松本さん いや、どうだろう。どちらかというのは難しいですね。今までいろいろな役をさせてもらいましたが、「これ、若菜に似てるよね」って言われる役の方が結構自分の中では無理してるつもりだったりもするから。でも、そういう時は、周りには自分がそう見えてるんだなっていう意味で、客観的にはなれますね。反対に、私なら絶対こういう考えにはならないという役で、「その人はこうだからこういう考えになったんだよな」というプロセスを一生懸命繰り寄せて作り上げていくところは、演技の醍醐味と言えるかもしれないですね。
― 役を終えた後に、役が自分に残ってるみたいなことはありますか。
松本さん 今まではなかったんですけど、昨年出演した「わたしの宝物」というドラマ(※ 主役の松本さんは、いわゆる托卵をするという役。2024年10月より、フジテレビ系「木曜劇場」枠にて放送。)の役では、撮影が終わっても、何かずっとスッキリしないという気持ちになりました。普通だったら、カット後はすぐに素の松本に戻れるんですけど、あの役は神経をすり減らしていたのかなと思いますね。作品が終わってからも、リカバリーに時間がかかりました。
― 作品の中で、例えば恋人役とか、あるいは敵役を演じた方について、私生活でその感情が残ることはないですか。
松本さん ないです。よく、共演をきっかけに俳優さんと女優さんがご結婚されたと聞いたりすると、「考えられない、考えられない」と思っています(笑)。
― 現場では、お仕事柄、次から次に新しい人とお仕事なさると思いますが、心がけていらっしゃることってありますか。
松本さん 私、元々人見知りで、あまり初めての人と喋れるっていう性格じゃなかったんです。
― 内弁慶っておっしゃっていましたね。
松本さん でも、現場で、俳優の大泉洋さんに「もっとそのままを出した方が良いんだよ」と言われて、最初は無理して出していたんですが、それが自分の中で染み付いてきたら、そっちの方がやっぱり楽になって、「もう私は人見知りじゃない」と自分に思い込ませて、初めて出会った人とも意識的にコミュニケーションを取るようにしています。
― 最近ではバラエティ番組でもよくお見かけしますが、ドラマや映画とは心構えが違ったりしますか。
松本さん バラエティは一番素に近いものが出るので、ちょっと怖さはあります。演技じゃない自分を出すのはちょっと勇気がいるんです。でも、先程の大泉さんの一言をきっかけに、最初から自分を出していった方が楽だと思ってからは、バラエティ番組でも、本番前に極力周りの芸人さんやタレントさんに話しかけて、コミュニケーションを取るように心がけています。
― 話は変わりますが、お休みのときの趣味ってありますか。
松本さん 元々、手芸や刺繍のような細かい作業が好きだったというのもあって、少し前から、趣味として、作品の告知を消しゴムハンコでやるようにしたんです。そうしたら、それを楽しみにしてくれる方がどんどん増えてしまって、最近は趣味というより、もはや使命みたいになってますね(笑)。
― 休日の趣味として、Radiohead(※ イギリスのロックバンド)を聴きながら料理なさるとも聞いたことがあります。
松本さん UKロックが好きなんです。
― UKロックと言えば、今年の10月には、再結成したoasis(※ 同じくイギリスのロックバンド。2009年に解散。)が来日しますよね。
松本さん でも、また兄弟喧嘩しちゃうかもしれない(笑)(※ 解散の原因は、ボーカル(弟)とギター(兄)の兄弟喧嘩と言われている。)。だから見るなら、今回の来日はチャンスですよね。
― 行くつもりです(笑)。今後の展望について教えてください。
松本さん 何かの役がやりたいっていうよりも、目の前の役を一つずつ一生懸命自分の中に落とし込んで、その役に命を吹き込んでいこうっていうのはいつも思っています。こうやってありがたくお仕事が続いている中で、自分を戒めるじゃないですけど、これまでもずっと思っていた、「焦らず、おごらず、丁寧に」という気持ちは、今後も自分の中でしっかり持っていきたいなと思っています。
― 最後に弁護士の印象っていかがでしょうか。
松本さん 弁護士って聞くと、華やかでエリートみたいな、賢いんだろうなみたいな印象がありますが、でも実際にやっていらっしゃるのは、いろいろな調査をなさったり、地味な部分も多いお仕事なんだろうなとも思います。トラブルの解決ですから、ストレスもものすごいんじゃないですか。
― お酒で紛らわしている方も多いように思います。
松本さん お酒で消毒ですね。浄化しましょう(笑)。
― 本日は、どうもありがとうございました。
松本さん ありがとうございました。
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松本若菜さん主演の作品が新しく始まります!
「Dr.アシュラ」4月スタート毎週水曜よる10時〜フジテレビ系全国ネット