従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
作家
吉永みち子さん
今回の「わたし」は,ノンフィクション作家の吉永みち子さんです。吉永さんは埼玉県川口市生れ,1973年に東京外語大インドネシア語学科を卒業され,競走馬専門紙「勝馬」に入社し,日刊ゲンダイの記者を経て1978年からはフリーとして活動されています。1985年の「気がつけば騎手の女房」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されて以後は,作家活動だけではなくテレビのコメンテーターなどで活躍され,最近では,政府税制調査会,郵政審議会,地方分権改革推進会議,酒育大学学長など,多方面でご活躍されています。主な作品は,「下宿屋さん」(講談社),「性同一障害」(集葵社),「母と娘の四十年戦争」(集英社新書)など,多数に上ります。
―はじめまして。私も府中に住んでいる関係で「気がつけば競馬ファン」ですが,そもそも吉永さんはどういう動機で外語大から競馬業界に就職されたのですか。
吉永さん 単に学生の頃から競馬がすごく好きだったんです(笑)。それで,大学にJRAの求人広告が出ていたので,天にも昇る気持ちで応募しようとしたら,当時は男子しか募集していなかったのです。それでJRAに電話をしてみたら,「高卒なら女性も採っています。」と言われたので,「じゃあ,私はろくろく授業にも出てませんし,学校辞めますから高卒で採って下さい。」と言ったら,「でもあなた年だけ取ってるでしょう。」って断られてしまったんです。
―わはは,それは失礼しちゃいますね。今なら雇用機会均等法で大問題ですよ。それでJRAは諦めて「勝馬」に就職されたのですか。当時は競馬業界に女性がいなかった時代ですから,取材にしろ何にしろ苦労されたのではないですか。
吉永さん 呆れるほどの男社会でしたね。最初は厩舎に取材に行っても,「女が来ると縁起が悪い」とか,「お前が来ると負ける」とか言われて。塩をまかれたときもありましたよ。
―塩をまかれた!そういう男社会の中に,どうやって切りこんで行ったのですか。
吉永さん そういうのを苦労と思うと辛くなってしまうから,とにかく知恵を絞って風向きを変える。例えば,頑張って40頭取材すれば大体土日で4頭くらいは勝つわけですよね。そして勝ったらすぐに飛んでいくわけ。するとやっぱり厩舎の人も機嫌が良くなってるから「おお,ねーちゃんが取材したおかげかな。」みたいなことになるわけです。そうやって一ヶ月にいくつかでも広げて行って,ある程度まで行けばあとは大丈夫。「こけの一念」でなんとかなるものですよ。
―なるほど。それで,「気がつけば騎手の女房」以後は,テレビだけではなく,政府税制調査会とか地方分権改革推進会議など,劇的に活動分野が広がっていますが,周りは専門家ばっかりで大変ではないですか。
吉永さん そりゃ委員会のメンバーはえらい学者先生だったり官僚だったりするわけですから,何十年もやってるプロなわけです。その中にアマチュアの私が入っているのは,「こんな変なのも入れてます」とか「委員の幅を持たせてます」というエクスキューズのためでしょ。それなら,むしろ私が長年市民として生活してきた中で培われた感覚からおかしいものは「おかしい」と言うしかない。確かに,玄人集団の中で発言するのはエネルギーのいる事ですが,相手の土俵から外れたところで勝負する,それが私の役割だと思っています。
―そういった他分野に渡る活動の根源にあるのは何なでしょうか。何が吉永さんを動かすエネルギーになっているのですか。
吉永さん 一言でいえば,「少数派」でしょうか。私は,勝馬時代からそうですが,少数派だから拒否されるという経験を重ねてきたわけです。すると怒るばっかりではなくて,やはり傷つきもするし悲しくもなるわけですよ。そういう少数派の人達が屈折なく不利もなく自由に生きられる社会を実現したいと思っています。そういう意味で今取組んでいるのは性同一障害の問題ですね。生まれ持った性を生きられない,常に仮の洋服を着ているという意識,それに対する社会の理解はまだまだ本当に足りないと思います。
―確かに,だめそうなことでも頑張っていれば何とかなるのも事実ですよね。裁判の世界では,ハンセン病判決や戦後補償判決など,今まで構造上まったく希望がないと思われていたような事件でも,少しずつ勝てるようになってきましたよ。
吉永さん そうですね。仕組みや制度の制約の中で,とても無理と思っていたことも,一つカセが外れると,いっぺんに変わって行きますよね。その点,男性は自分の所属している社会の制約があってなかなか自由が利かないのですが,女性の方がこれまで主流でなかった分,しがらみから自由で,変革に関してはすごいエネルギーを発揮できそう。そういう女性の活動にも期待したいですね。
―ところで,吉永さんは「酒育大学」の学長をしておられるとのことですが,酒育大学とは一体何ですか。
吉永さん TaKaRaの主催する会で,お酒の大好きな人が集まって,これまで酒が育んできた世界を知り,酒と人のより豊かな関係を追及しようというものです。もう3年も続いていますが,私は人生の中において馬と酒には本当に世話になったので,これからは恩返ししたいです。
―馬と酒なら私も入りたい位ですが,誰でも参加できるのですか。
吉永さん ちょっと甘いかも(笑)。応募者が多くて,「私の酒歴書」を元に厳しい選考があるんですよ。
―では学長推薦ということで(笑)。本日はお忙しい中どうも有難うございました。