関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

絵本作家
五味太郎さん

とき
平成14年4月2日(火)
ところ
五味さんのアトリエ
インタビュアー
東條正人会報広報委員会委員

 今回の「わたし」は,五味太郎さんです。絵本以外にもビデオ製作,写真(美しい写真集をおみやげにいただきました)や俳句,ランドセルのデザインなどマルチな才能なお方です。今年の関弁連シンポが「子どものため の法教育」ということで,そちら方面の話も伺うことができたらいいなと思いました。

五味さんが絵本を職業にしようと考えたきっかけはどんなものでしょうか。

五味さん 特にきっかけなんてなくてね,気がついたら絵本作家になっていたんだ。まあ,唯一の希望は,夜の仕事がいいなあ,夜ず~と起きてる人になりたいなと思ったんだ。
 それで誰にも怒られないというやつね(笑)。絵本は子供でも大人でもセンスが合う人に読んでもらえればいいんだ。センスがあるじゃなくて,センスが合うよ。
 今の日本のアートは,わからないやつはダメだみたいな感じだけど,それこそ感じ方は人それぞれなんだから,気にいってもらえるならどうぞという感じでいい。
 子供たちを見ていても,いろいろで,絵本を読んでいて,音に反応するタイプ,意味や,色や,形に反応するタイプ,また,結果に反応するタイプ,プロセスが面白いタイプといろいろだね。
 大体結果に反応するのは巨人ファンになるし,プロセスが面白いタイプは阪神ファンになるけどね(笑)。

五味さんの著作を読ませていただり,お話を伺っていると,底辺を貫いているのは「個」というものだと思うのですが,子供のころの話も含めてそこのところを少しお話いただけますか。

五味さん うん,いい意味でも,悪い意味でも五味家を貫いているのは個人主義だね。小さいころから,個人と全体ということを考えていた。俺が個人で,全体は学校だったり,町だったり,社会だったり。
 全体というのが,最終的には絶対になっちゃうんだけど,個というのはまさにインディヴィジュアルで,最後の支えじゃないですか,生きているうえで。その個ということについてあまりにもないがしろなんだよな。
 やっぱりいろんな意味で,その個ということが最低守られる生き方なりを,親もがんばれって言ってくれたし,その方向についてはサポートするぞ,でもそれ以外のことはあまり力になれないぞみたいな感じでした。
 絵本をやっていて子供の文化が見えてきたことがある。そしたらすごいんだよな子供の力というやつは。
 「子供」なんてひと固まりではなくて「個」どもなんだよ。まさにひとりひとりなんだよ,改めて。
 だからなるべく雑にならないように僕は最近よく意識的に「幼い人々」という言葉を使うけど,それは肉体的にも,精神的にも,経験的にも幼いという意味だけど,幼い人々であるがゆえにそれぞれの多様性を大事にしてあげたいなと思うんです。

五味さんの「個」どもということでいえば,子供の教育はどういうものであってほしいというものがありますか。

五味さん まさに個人ということが前提になる教育であって欲しいなって思う。学齢年齢なんてのがあるでしょう。6歳で赤紙?召集みたいな。そのシステムに合う子はいいけど,合わない子はお前が悪いになっちゃう。
 今30代とか40代になってから急に学びが楽しくなってきたなんて言う人がいるでしょう。あれですよ。  大人は選択できるけど子供は選択できない。準備ができていないところで始めて,お前はできないと言われてしまう。人によって,たとえば小4のとき,今年はなんか落ち着きなかったよな,来年もう一回4年生をやりたいという子供がいてもいいよな。3年間はそういう延長ができること知ってた?「義務教育」の権利としてさ。
 「社会的に生きるために必要な学び」と「個が生きるために必要な学び」がごちゃごちゃになってしまっているのが現状でしょう。絵や音楽の勉強なんてまさにその極みだよね。

実は今年関東弁護士会連合会というところで,子供も法的な考え方やツールといったものを持っていたほうがいいんじゃないかということで,大人になる前に,日本の実社会っていうのはこうなっているんだよっていうのを,その子たちのニーズなり,関心面も含めて伝えていった方がいいんじゃないかなっていうことを考えていこうと思うんですが,そのあたりいかがでしょう。

五味さん そのとおりだと思います。正しいとか間違っているということじゃなくて,「今はこうなっています」というオリエンテーリングが必要なんだと思う。
 とりあえず,この世の中のありようといったもの,そこで生きていくための手段,技術,方法といったものを,出来うる限り丁寧に伝え,学習してもらう。まさにもらうだよね。
 そして,子供がこの世に生まれ出て,だいたい約10年間は世の中のことを「見る」時期,「観察する」時期だと僕は考えています。
 だから10歳まではフリーパス。絶対金取っちゃいけない。「動物園見たい」って言ったら「はいどうぞ」,「電車に乗りたい」って言ったら「はいどうぞ」。夜になって「泊めてください」って言ったら「はいどうぞ」っていう感じです。マサイ族なんてみんなそうみたいよ。
 「絶対的正しいもの」を教えるという前提から無理があるわけで,この世の中絶対のものはなくて,今,一応皆が認めている正義とか平等というのはこういうものですとか,これまでの経緯を含めて情報公開してあげるのが大人の役目だと思うんだ。
 公にすることで秩序が逆に乱れる恐れもあるけどね。それは大人の度胸のあるなしです。大人が今まで苦労してきたんだということを子供に伝えれば,子供たちは大丈夫,ちゃんと一生懸命考えますよ。そこがたぶん民主主義の芽ってやつだと思うんですよ。
 考えるのは個人なんだよ。そういう意味で言えば,今の日本の憲法ってかなり美しい憲法なんじゃないかな。別に護憲派でもなんでもないけど,たくさんいいことが書いてあるよね。
 そんな感じで最低限のルールという形で書ければ素敵だなと思う。絵本的にいつも考えているんだけど,とてもきちんとしたものの中で,君たちは守られているんだという気持ちになってもらえればいいよね。
 おおらかに自由にやりなさいよって。法律があるから緊張しちゃうんじゃなくて,法律に守られているんだっていう気持ちね。それをみんなで共有できればね。個々が元気って,みんな盛り上がっていくよね。

そうですね。元気でおおらかに生きるっていいですね。今日はお忙しい中大変ありがとうございました。

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