従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
女優
加賀まりこさん
今回のゲストは,女優の加賀まりこさんです。
高校生のとき,テレビドラマと映画にデビューされ,「息を呑むほど美しい」,「自分の言葉を持つヒロイン」として,あっという間に頂点に立たれました。その後も,存在感のある女優として,舞台,映画,テレビ,CM,エッセイ,トークにと,大活躍を続けていらっしゃいます。
今回は,「役満を随分振り込んだからなぁ。」と嬉しそうにぼやく木谷嘉靖常務理事(一弁)と一緒に,お話を伺うことができました。
―加賀まりこさんの映画は,今も再上映が続いていますね。「乾いた花」にしても,「月曜日のユカ」にしても。
加賀さん そうした作品に主演してこられたことは誇りですけど。でも当時はね,宣伝部の用意したコメントを言うのが当然だった時代に,「どうして自分の言葉じゃいけないの。」なんて,「とんでもないガキ」だったのよ。(笑)
―今でこそ当たり前のようになっていますけどね。
加賀さん 自分の仕事をきちんとやる以上,媚びる必要はないの。大事なのは,常に耳を傾けること,世の中の音や声に。
―なるほど。ところで,役者になられたのは,映画プロデューサーとして有名なお父様の加賀四郎さんの影響ですか。お父様は大変ダンディな方だったとお伺いしております。
加賀さん たしかに父のところには,監督や俳優さんが来ていて,空気は知っていましたし,裏方には憧れたこともありました。父は,ダンディと言うのでしょうね,私が16歳になったときに,ハイヒールをプレゼントしてくれました。
―素敵ですね。さぞかし,加賀さんはかわいいしきれいだし,小さいときからかわいがられていたのでしょうね。
加賀さん 全然(笑)。家の中は大人ばかりで,子どもには関心がなかったわね。だからかえって自立は早かったのかな(笑)。
―お姉さまやお兄さまも大人で?
加賀さん ええ。姉や兄は,私が6歳のときには,もう18歳と17歳で自分たちの青春の真只中ですから(笑)。姉や兄はまとわりつかれちゃ大変だからか(笑),私に「これ読んでいなさい。」と本を渡して静かにさせていました。おかげで読書の味を覚えましたね。
―本がお好きなようですね。
加賀さん そうですね。少女小説に始まり,乱歩,漱石,鏡花,少年少女世界文学全集。小学校の帰り道には神田神保町に寄るようになりました。おこづかいは知れたものですから,立ち読みの毎日で,生理現象に我慢できなくなると『今日はここまで。』なんて,折り目を付けちゃう(笑)。
ついに4年目12歳の時,本屋のおじさんに怒鳴られたの。「その本は駄目,折り目をつけたら買いなさい!」その日は澁沢龍彦訳の「マルキ・ド・サド選集」でした。
やっぱりそれまで見て見ぬ振りをしてくれていたのね。深々とお辞儀して,貯めていた小銭で翌日買いました。今も書棚にあります。
―12歳で随分難しい本ですね。ところで,下町で育って,それがよかったと伺いましたが。
加賀さん ええ。お茶の水の病院の防空壕で空襲を受けている最中に生まれたらしいですよ。8歳のときに神楽坂に引っ越しましたが,相変わらずお茶の水の小川小学校に電車通学していました。今は錦華小学校と統合したようね。錦華小学校からは,夏目漱石さんや(仲のよい)浅丘ルミ子さんも出ているのね。帰りには蔵前にも寄って,お相撲も見ました。力士さんの肌が立ち会いから段々紅潮していくのがきれいですよね。
下町は,うちの子もよそんちの子も同じように叱るし,食べさせたりしていましたね。そういうのが豊かって言うんじゃないかしら。
この3月に,東京新聞に「わが街わが友」という連載(10回)をします。書く作業は難しいですね。
―スポーツもされていたんですか。
加賀さん 中学生で陸上をやり,2年生のとき走り幅跳びで,都大会で優勝したの。
―それは,すごい!
加賀さん 父がね,その頃東京オリンピックが決まっていたから,そのまま頑張れば華になるぞって(笑)。伯父の加賀一郎も,ベルリンオリンピックに出た人で,今でも岸記念体育館に写真が飾ってあるくらいだから,血は流れているのかもね。
でも練習が地味でしょ。優勝したし,飽きちゃったから,そのうち六本木辺りに遊びに行っちゃった(笑)。
―六本木野獣会ね。
加賀さん いえ,それは,渡辺プロの人たちじゃないかしら。私は,キャンティでパスタを食べてただけ。いい雰囲気の,高いイタ飯のはしりね。
キャンティには,当時の文学,建築,音楽,絵画,伝統芸能などの才能ある人が綺羅星の如く集い,語り,くつろぎ,時には議論していたの。このときの,15,16歳の吸い取り紙のような感受性ある時期に受けた「文化的洗礼」が,その後の私の物差しになったと言っても過言ではないわね。
でも,ラーメンやタクシーが60円の時代に,パスタが800円だもの。お金もなかったからそんなには行けない(笑)。
―それはそうです,高校生なんですから(笑)。
さて,デビューして大活躍していたのに,弱冠20歳でパリに行き暮らし始めたのですか?
加賀さん もともと俳優でなくちゃという気持ちもなく,貯まっていくお金を使う時間もなかったから,20歳になって「子どもがこんなに持ってちゃいけない。どんな職業に就くか考えよう。」と思って,1年の予定でパリへ行きました。
―しかし,浅利慶太さんに呼び戻されてしまったのですね。
加賀さん 「オンディーヌ」の話は,もう聞いてる人が沢山いるでしょうから(笑)。話は来たけどよくわからないので,ずっと演劇部だった姉に聞いてみたら,「原作者のジロドゥは演劇人にとっては神様で,あなたになんかできるわけがない。」と言われたのね。「じゃぁ,舞台は初めてだし,これで最後にしよう。」って決めたんです。
―その結果が大成功で,日生劇場はその年初めての大入りとなったそうですね。そして全国で再演に次ぐ再演となりますね。
加賀さん そうですけれど,簡単ではありませんでした。まず,発声が大変。演出家にはスリッパを投げて叱られるし。初日直前まで稽古していて,「そこ違う。」なんて言われてたんですから。
夜は公演,昼は劇団四季の研究生になって勉強。このとき初めて「女優志願」となったのね(笑)。
―やはり,大変努力されていたんですね。
加賀さん ある意味で,桜吹雪の下をずーっと歩いているような,勘違いをしてもいい人,いい時期はあると思うの。特にこういう職業だとそういう時期も必要ね。
今ならキムタクでしょう。でも,彼はそんな勘違いはしないか(笑)。
サラリーマンでも,作家でも,誰にもそんな時期があっていいと思うの。
でも,ずーっと勘違いしていたら,お声がかからなくなるでしょうね。
―加賀さんは,自分を持っていらして,チャーミングさを失わない。どうしたらそうなれるのでしょう。
加賀さん それは,秘中の秘なんだけどなあ(笑)。謙虚に耳を傾けること,ノックをし続けること,扉を開け続けることかしら。
―秘密の御開示,有難うございます(笑)。
加賀さん あと,私は後ろを振り向かないわね,興味がないの。愚痴も嫌いだし。もちろん人のは聞いてあげるわよ。代表作は,と問われれば,ネクストと答えたいし。
―私なんか前向きのつもりですが,やっぱり愚痴が出ます。まだまだです(笑)。
加賀さん ネコの存在もあるかな。なでているだけで癒されるんですってね。
―動物はお好きですか。
加賀さん 家にはずっといましたね。犬もいました。今もうちのネコ2人と,外のコにも餌をあげたり。
―ペットは死ぬのがつらくありませんか。
加賀さん だからね,フェイドアウトするときは,フェイドインが必要なの。もうつらくて飼えないってよく言うけれど,だからこそフェイドインが必要なの。でも他方では,このコたちを残して死ねないから,次はもう飼えないかななんても思いますね。
―司法関係のドラマに出られたことはありますか。
加賀さん ええ。条文って,なんであんなに読みにくいのかしらって思いましたよ。受験生も司法修習生も大変な労力ね(笑)。
―一義的にするためという理由ですが,何とかしたいものですね。
ところで法曹人口はどんどん増えていまして,ここでも自由競争です。結果として利用者が便利になるかどうかは,いずれ検証されるでしょうが。
加賀さん チャンス平等でいいわよね。役者もそう。ところで高齢者も?
―73歳の修習生もいました。
加賀さん そうなの,まだまだ勉強できるのよね,人間の脳って。
あと,裁判官には是非人間性に幅のある人がなってほしいわね。血を吐くような思いで,人間関係に悩んだことがある人とか。
―著作権や肖像権に関してはいかがですか?
加賀さん 最近,昔の番組のビデオ化に伴って,ビデオ何十巻で1万円くらいだけど支払があったりするようになりました。まだNHKからくらいですけど。
―「月曜日のユカ」等の再上映では?
加賀さん 何にももらえないですね。でも,また多くの人に見てもらえるメリットもあるから(笑)。
―今度,映画の著作権保護期間が延長されるんですけど。
加賀さん 肖像権の関係でも,最近支払いますっていう連絡が来たらしいですよ。私がこれまで無頓着だから。過去に興味ないから(笑)。
―今日は大変長いお時間,貴重なお話を有難うございました。
4月から毎週木曜日午後10時にTBSで放送される「あなたの人生お運びします」に出演されるそうですので,楽しみに期待しております。
(後記)
加賀さんは,見目麗しさは勿論のこと,その美しい耳は人の話を聞いて下さる耳であり,凛とした大人の知性と感性にあふれていました。
東京新聞のエッセイも楽しく素敵でした。御興味のある方は是非お読み下さい。