従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
俳優
菅原文太さん
鶴田委員 今日は「わたしと司法」というタイトルで菅原さんと法律との関わりについて,菅原さんからお考えやご意見を伺えればと思っています。
【著作権・肖像権】
菅原さん 法律との関わりといえば,俳優には昔撮った映画の著作権というのがないんだよね。
例えば『トラック野郎』とか,『仁義なき戦い』とかがビデオになり,DVDになっても映画に出た俳優には全く映像著作権というか肖像権は何もなく,その権利も確立していない。映画を撮ったときはビデオやDVDはなかったわけだから,その当時はそのコピーが世の中に出回るということは考えていなかった。だから,我々が映画に出た当時と今とでは状況が違うんだから,今のコピーの状況を踏まえて話し合いをするということは必要な気がするね。そのときに契約がなくたって,もう一度話し合うということはあってしかるべきだ。
鶴田委員 確かに,映画に出られた俳優の方々の映像が何度もコピーされて世の中に出回っているのに,その映像というか肖像というものが全く保護されない,考慮されないというのは問題ですね。
菅原さん 映画を撮った当時,ビデオやDVDがアジアの諸国に売られるなんてことになろうとは,誰も夢にも思わなかった。5年前ぐらいかな,一度,弁護士と話す機会があったんだけど,日本ではまだ映画とか何とかの映像著作権というか,肖像権は全く,何も確立していない,誰も手もつけていないと言われたんだよ。映像や肖像ということを保護することに,一般の人もそうだろうけど日本は遅れているような気がするね。ただ,映画ではいろんな役者が出ているから,誰にどれだけの権利があるのかを決めるのは難しいかもしれないな。
鶴田委員 そうですね。
【法と現実の乖離】
菅原さん それから,おれは法律の詳細など何も知らないけれども,六法全書なんてページを開いたこともないけれども,刑事訴訟法とか民事のものも含めて,明治にできたもの,大正にできたもの,いろいろあって,やっぱり法律そのものが,今のこんな時代になってしまって,当時,考えられもしないような事件とか,考えられもしないような事柄が起きるような時代になって,法が時代にそぐわなくなってきているということがあるのではないかな。
だけど,弁護士・検事・裁判官からは「今の法は不備だ」とか,「もう少し時代に合ったものに変えなければいけない」という声が,ちっとも我々庶民には聞こえてきていない。その辺はどうなのだろう?
鶴田委員 法律家もそのことは意識はしているんですが,その声が多くの方に届いていないかもしれないですね。そこは我々の責任ですね。
菅原さん おれなんか正直だから,法律と事実が違っているところをごまかさずにはっきりしたほうがいいと,そう思っているよ。例えば,自衛隊が軍隊なのかどうかいろいろ意見があるようだけど,要は国民にも知らしめて,それは国民投票でもいいじゃないか,それで決めたらいいじゃないか。ごまかさずにはっきりした方うがいいと,おれみたいな素人は逆に思うんだよね。
【弁護士に期待すること】
鶴田委員 私どもの仕事は,依頼者の方からお金を受け取って初めて成り立つ仕事なものですから,自分がやりたい仕事だけじゃなくて,やらなければいけない仕事があるのも事実です。菅原さんはそのようなことはございませんか。
菅原さん それはないな。自分のやりたくないものはやらないということで貫いている。弁護士だって,本当はそういう姿勢がなければいけないんじゃないかな。そうでなければ,「こういう体制だからこれをやれ」と言われたらやらなければいけないということと同じじゃない。「これは私はできません」と言う姿勢がなければ,自由主義といえなくなってしまうよな。弁護士の世界だって,信念やそういうことで受ける,受けないということがないといけないんじゃないか。
おれなんかは弁護士というと,今はいざ知らず,大昔,明治とか大正のときは人を助ける職業,無罪の人,冤罪の人を助ける職業というものが基本にある。
今は明らかに有罪の人も弁護士が必死になって減刑しようとするというのは,どこかおかしいんじゃないのかな。その辺のことを弁護士さんは分かりながらやっているのだろうか。頼まれれば,職業として報酬を得て,報酬を出せる人から頼まれれば,どんな有罪でも何とか理論武装して,勝っていく商売というふうになっているのかな。例えばアメリカのO.J.シンプソン事件だって,弁護士の辣腕で無罪を勝ち取って,それが弁護士の大変な勲章になっていくというのはおかしいなと思うよ。
ただ,有罪なのか,無罪なのかというのは,それは誰も分からない。神しか分からないことだから。本当に有罪と思われている人が案外,冤罪で。そういう人は何人もいたわけだから。一生,獄につながれて,実は無罪だったなんて。死んでから無罪がわかったなんてひどい話が過去にいっぱいあるからね。弁護士というのは,そういうものもよくよくえぐり出して真実をつかもうという職業であるといえば,またそれはそうなのだろうけどね。
君たちはどうして弁護士の道を選んだのかな?裁判官でもよかったわけだよね。検事でもよかった。そうすると,弁護士になろうと思った志は何だったの?
鶴田委員 昔から,司法試験を目ざしていましたし,基本的には困っている人を助けなければいけないという意識があったということと,やはり自分は役人には向いていないと思っていましたので。裁判官,検事になろうという意識は全くなかったですね。
菅原さん 困った人を助けたいという意識は本当にあった?
鶴田委員 ええ,ありました。
柳澤委員 ありました。今でも仕事をしていて一番よかったなと思うのは,「ありがとうございました」と言われる,そのときですよね。
菅原さん ほう。今日は2人とも,やはり弱い人を助けたいというのが弁護士になる志だったということを聞いただけでも有意義だったよ。弁護士に対してもね,やはり悪徳弁護士もいれば,よく新聞なんかをにぎわす,人の財産を乗っ取ったりするようなのもいるからね。必ずしも全幅の信頼を置いていたわけではないけれども,君たちのような若い弁護士が,そういう志をちゃんと持っていたということがはっきりした,断言されたからね。
鶴田委員 少数者を守るという意識は私だけでなく,他の弁護士も持っていますね。おそらく弁護士になろうという方は,大なり小なり,そういう意識を持っています。やはり弁護士を志した中に,そういうところがあるのですね。
柳澤委員 私もそうですね。私も社会人経験があり,いろいろな経験,ある意味では苦労を知っておりますので,少数者の権利を守るという意識はあります。
菅原さん それを聞いて安心したというところが結論でいいんじゃないか。法も人間がつくったものだからやはり不備もあろうし。そうはいっても君たちには法を守ってがんばってもらわなければ。
柳澤委員 菅原さんにはいろいろお話を伺いありがとうございました。今日の菅原さんと奥様のお話をお聞きして,私どもも弁護士として頑張っていかなければと再認識しております。本日は本当にありがとうございました。