従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
プロゴルファー
新井規矩雄さん
今回の「わたし」は,プロゴルファーの新井規矩雄さんです。新井さんは1943年埼玉県生まれで,東洋大学入学後にゴルフを始め,卒業後プロに転向しました。日本国内のツアーで通算19勝をあげるなど,長くトッププロとして活躍され,アメリカツアー参戦の先駆者でもあります。いつもチロリアン風の帽子を被ってプレーする姿から「ハットマン」という愛称で親しまれ,試合以外でもアデランスのCMでお茶の間を賑わせるなど,ゴルフ界に欠かせない人気者として多くのファンに支持されました。
現在は60歳の還暦を迎えられていますが,シニアツアーを転戦されるだけでなく,ゴルフ中継の解説などでも精力的に活躍されています。実際お会いしてみると,ダンディーな外見と裏腹に,ダジャレ好きの大変気さくで楽しい方でした。
なお,今回は紹介者の高取芳宏弁護士にも同席して頂き,高取先生の事務所でインタビューをさせていただきました。
―新井さんは,大学に入ってからゴルフを始められたのですよね。高校までは全く別のスポーツをされていたのですか。
新井さん スポーツもなにも帰宅部でしたよ。家族も親戚もゴルフなんてしてませんでしたし。走るのは好きでしたが,スタミナがなかったのでスポーツはあまりしていませんでしたね。
―そりゃすごい。高校時代に帰宅部で,その後プロスポーツ選手になるのはすごく珍しいですね。すると大学受験の頃はゴルフをやるとも思ってなかったのですね。
新井さん そうですね。大学は法学部法律学科に入ったので,「司法試験を受けて弁護士にでもなろうかな」なんて思ってましたが,大学の4年間をともに過ごせる仲間が欲しくて,出来たてのゴルフ部に入部したのです。
―するとその後はゴルフ一本の生活になってしまったのですか。
新井さん そのとおり,ゴルフが面白くてたまらなくて,すぐ「法学部ゴルフ学科」になってしまいました。でも一応,六法は持ってましたよ(笑)。
―プロ転向を決意したのは大学在学中ですか。
新井さん そうです,周りの仲間はどんどん就職を決めていきましたが,私は本当にゴルフが好きで,一生ゴルフがしたいと思って,親父に「一回だけプロテストを受けさせてくれ」と頼みこんだのです。4年の夏頃にはどんどんスコアもよくなっていましたし。そしたら,卒業した年に一回で受かっちゃった。
―それもすごい。キャリア4年やそこらですよね。それに当時は大学卒のプロゴルファーは珍しかったのではないですか。
新井さん そうですね。大学を出てツアープロになったのは私が初めてでしたから,最初は「学士プロ」なんて言われてました。今は,大卒のプロは沢山いますけどね。
―それで初めてついでですが,新井さんは日本選手としてアメリカツアーを回り始めたはしりですよね。
新井さん アメリカを回るようになったのは1971年に結婚した後からですかね。冬の間日本は寒いので,トレーニングがてらアメリカに行ってたんですが,「日本のスポンサー枠でツアーに出られる」というので,それからは冬場は毎年回るようになりましたね。1985年ビングブロスビーのプロアマの大会で2位というのが最高ですね。あのときは惜しかった。
―レギュラーツアーでは,82年から84年にかけて賞金ランキング4位に入っておられますが,この頃はジャンボや青木さんを向こうに回して好成績を挙げられていますね。
新井さん そうですね。ゴルフは非常に経験がものを言う競技で,大体競技を始めて20年目くらいに円熟味が増してピークが来るのです。私も18で競技を始めて40歳くらいが一番良かったですね。
―現在は,宮里藍選手やミシェル・ウィー選手など非常に若い選手も出てきてますね。
新井さん 今の選手は5歳とか6歳から始めますから,20代半ばでもキャリア20年になります。それで若い時分から活躍できるのでしょう。練習環境も大きいですよ。例えば,沖縄では,午後3時や4時になるとジュニアの選手にコースが解放されて無料でラウンドできますから。
―用具の進歩も大きいですよね。
新井さん 大きい,大きい。私のときはパーシモンのクラブに,糸巻きのボールですから。「百匁目」って言ってたくらいで,370gくらいありましたね。今は300g前後でしょ。だからパワーのない若い選手でも振り切れる。それにあわせて技術も変わってきて,以前のような叩く打ちかたではなくて,運ぶ打ち方になっています。その分ボールの回転が少なくなって弾道が安定するわけですよ。
―90年代以降は,どのような活動をされていたのでしょうか。
新井さん 賞金獲得額が3億円を超えて,10年シードをもらいましたので,国内のツアーを中心に回っていました。6~7年前からはシニアツアーにも出るようになりましたね。2001年にはアメリカシニアをクオリファイして1年間アメリカシニアツアーを転戦しました。最近はプロアマの交流試合も盛んなので,積極的に参加して,アマの皆さんとも親交を深めています。
―日本のシニアツアーは確か年間6試合ですよね。60歳以上のスーパーシニアも含めて,アメリカのようにもっともっと数が増えると楽しいですよね。
新井さん そうですね,今のところ賞金も安いですしね。でも,今度のアデランスの大会は賞金が高く,楽しいトーナメントなので,張り切っています。
―おお,新井さんの冠スポンサーじゃないですか。こりゃ負けられませんね。
新井さん そう,私の頭もアデランスの冠ですがね(笑)。
―わはは,お得意のダジャレですね。さすがです。大会も是非頑張って下さい。応援してます。