従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
冒険スキーヤー
和田好正さん
今回の「わたし」は、冒険スキーヤーとして知られる和田好正さん(現在は、アーティストスキーヤー)です。これまでの活躍は、http://www.wadapro.com/のホームページをご参照下さい。
―和田さんにとって、「冒険」とは何ですか。
和田さん 一言では言い表せませんが、見たことない世界に自分の足で入り込むことが好きなんです。アスリートではあるんですけれど、命に関わることですし、一つ一つの壁を乗り越えて到達することなので、生命や人生を考えるといった哲学みたいなところもあります。計画して実行していくというところは、一つのビルを建てるようでもありますね。
―「冒険スキー」は、エクストリーム・スキーや他の冒険とはどこが違うのでしょうか。
和田さん エクストリーム・スキーは、滑ることに徹しています。高いところへヘリコプターで行って、すぐ降りてきますから、スポーツですね。冒険の場合、プロセスがあって、自分の足で山に行って、それから滑ってくるというところが違います
また、他の種類の冒険とは違って、山頂という酸素が薄いところで激しい運動をするので、それを想定したトレーニングをしますけれど、それは結構辛いですね。
―冒険スキーを始められたきっかけを教えてください。
和田さん 私は、21歳で、賞金付きの大会に出る、競技スキーのプロになったんです。でも、ヨーロッパの、本場の選手はものすごく強い。それで、どういう練習をしているんだろうということで、3ヶ月間、ヨーロッパに行ったんです。何カ所か行ったんですが、最後にスイスとイタリアの国境付近にあるチェルビニアというところに行ったんです。イタリア側からマッターホルンが見えるところです。そこで映画館に行きましたら、マッターホルンの4000メートル地点から滑降するっていう映画をやっていました。最初は、その映画の中のトレーニングシーンに出ていた、ロックスキーに興味を持ったんです。雪のない岩場をスキーで降りてくるんです。それで、日本に帰ってから、それをやってみようと思ったんです
最初、防具をつけずに試しにスキーで岩場を降りてみましたら、転倒して、脳しんとうを起こしてしまいました。そこで、体中に防具を付けて、また挑戦してみたんです。そのうちコツを飲み込めて、だんだんターンができるようになりました。それで、北海道のいろんな山を降りてみたんです。いろんな山を滑って滑って滑っているうちに、マッターホルンもやれるんじゃないかと。そのときは、頂上から降りた人はいなかったんですよ。これまで挑戦した方のうち、2人は亡くなっていました。
―V10ということで、マッターホルンのあともずいぶんいろいろなところに行かれていますが。
和田さん マッターホルンから降りたあとは、もうやるつもりはなかったんですよ。でも、しばらくすると、やり遂げた感動がものすごく強くて、また行きたくなってしまったんです
地球のいろいろなところを見ることや、現地の人たちと接することが面白くなったことも、やめられなくなった理由ですね。地球の面白いところでやってみたくなり、赤道直下の山にも行きました。足下は雪、遠くを見るとゴビ砂漠、みたいなところにも。不思議な景色ですよ。想像がつかない世界を見るというのは面白いです
5,6回終わったころですが、年齢のこともあるし、どこかで区切りをつけないといけない、と考えまして、10回でやめることにしました。最後は北極と南極の両極に行って終わりにすることにしました
北極圏には行けたんですが、南極はなかなか実現しなかったんです。最初は資金不足、次はテロ事件で船がキャンセルになってしまいました。3回目には船で南極まで行ったんですが、到着予定の湾が長さ何百キロという氷河の氷で埋まっており、氷に閉じこめられたら困るということで引き返すことになりました。南極からの帰りは、船の中で、部屋に引きこもっていました。4回目にようやく成功できましたが、そのときは天候に恵まれました。
―冒険をしているとき以外の日常は、どのようなことをされているのですか。
和田さん 冬は、お客さんに自然の中を滑ってもらうスキーツアーをしています。皆さんをお連れして、少し冒険、みたいな感じですね。森の中でコーヒー飲んで頂いたりして。今すごく人気がありますので、冬シーズンは結構忙しくやっています。
―これまで、大怪我や、危険な経験はないのですか。
和田さん 幸い、これまで大怪我はありません。怪我をするとなると、小さな怪我ではすまないはずですけれど。慎重さと集中力で避けてきた感じです
危険かどうかは、天候が全てですね
台湾の玉山のとき、頂上で待っていたんですが、待ってても晴れないということで、降り始めてしまったんです。そうしたら、視界が50メートルくらいしかなくて、壁しか見えなくて。下を見てもどうなっているかわからない。じっと見てると吸い込まれそうな感覚でした。降りても降りてもそういう状態です。ようやく斜度が緩やかになって、ああ、もうすぐだ、とわかったんですけれど。
―今後は「アーティストスキーヤー」として活動されるそうですが、どのような活動をされるのでしょうか。
和田さん 自然をキャンバスに、スキーを筆にして、絵を描きたいんです、現代美術ですね。今は、砂を滑る特殊なスキーを作ってもらいまして、サハラ砂漠の砂丘に作品を描く計画を立てています。スキーはできあがりましたので、今年現地に調査に行きまして、来年作品を作る予定です。
―本日は、ありがとうございました。