従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
アナウンサー
柴田秀一さん
今回の「わたし」は,「みのもんたの朝ズバッ!」でお馴染みの柴田秀一アナウンサーです。
柴田さんは,アナウンサー歴25年の大ベテランで,現在は,㈱TBSテレビの編成制作本部編成局アナウンス部担当部長として,若手アナウンサーの指導育成にも尽力されています。
―日本大学法学部のご出身ということですが,学生時代はどのような学生生活を送られていましたか。
柴田さん 私は政治経済学科に入ったのですが,せっかく法学部なのだからということで実は司法試験を2回受験しています。私の頃は択一90問の時代で,うち45問は鉛筆を転がして(笑)。でも,行政書士試験は合格して,大学では国際法のゼミにも入っていました。
―国際法のゼミではどのような勉強をされたのですか。
柴田さん 仲裁や国際司法裁判所などの国際紛争処理について勉強しました。ちょうどその頃,イランのアメリカ大使館人質事件があり,国際司法裁判所が暫定措置を発したので,その翻訳を卒業論文のテーマとしました。どうせ翻訳文が出るだろうからそれを見て書けばいいと思っていたところ,出ないまま締切りが迫ってきて,パニックになりました。法律用語なので普通の英和辞典には載っていないし,文脈からも分らないので,1週間1行も進まないなんてこともあって,四苦八苦してね。でも,役に立ちました。私は報道志望だったので,入社試験でイラン・イラク戦争のことばかり聞かれて,どの社に行っても私の方が面接官よりもよく知っていたので,驚かれました。
―報道を志望されたきっかけは。
柴田さん 子供のころ,父親は平日の夜のテレビはニュースしか見せてくれなかったのです。でも,ニュースを見ていると,世の中のいろいろなことがよく分かるし,特に小学校高学年になってからは,なるべく話し言葉にしようというアナウンサーの努力を見て,こういうふうに言うと分りやすいのかと学びました。それに,もともと私は,人の知らないことや人より先に調べて発表するのが好きで楽しいと思うタイプでした。そんなわけで,小学校の卒業文集に,将来なりたい職業はアナウンサーと書きました。
―数ある放送局の中でTBSに入社された経緯を教えてください。
柴田さん 私が就職活動をした昭和55年当時は,10月1日に用意ドン!で複数社を受けました。最終的に重役面接までいったのはTBSとニッポン放送の2つでした。そして,11月7日にTBSの方が先に内定が出たのですが,それまでの1か月強の期間にTBSだけで9回も試験が繰り返されました。
ただ,この年は「報道特集」(TBS),「ニュースセンター9時」(NHK)などのキャスターニュースが出始めた頃で,記者が取材するのが普通でした。これに対して,私はアナウンサーに取材させてくれと言ったので,それが各社の面接官に受けたようです。そういう時代の追い風みたいなものはありました。
―テレビの報道というお仕事柄,言葉には相当気を遣われているのでしょうね。
柴田さん 特に現在担当している「朝ズバッ!」はズバズバ物を言うのがウリですから,日々相当気を使って番組を進めています。ただ,あまり考えすぎると,突っ込めなくなって番組的につまらなくなってしまうので,発言のバランスが難しいですね。
―「朝ズバッ!」は午前5時30分からですよね。普段の生活はどのようなサイクルですか。
柴田さん 午前2時に起きて,2時30分に家を出て,3時には会社に入ります。遅い時には夜6時頃まで会社にいます。
―それはハードですね。体調管理はどうされていますか。
柴田さん 私は現在49歳ですが,昔はできたことができなくなったりして体力の衰えを感じ,約5年前からジムに通うなど体力作りを心がけるようになりました。
それでも最近,自分の体力を過信したために風邪じゃないのに声が出なくなりました。よく考えてみたら,会社の通常業務のほかにも,入社試験の面接官があったり,大学や小中学校で講演したり,ここ2~3週間ほとんど休みがなかったことに気付きました。
―ほどほどにしてくださいね(笑)。そのような超多忙の中,どうやって気分転換をしているのですか。
柴田さん 1つは,中学・高校は陸上部で短距離をやっていましたので,中学1年生の最初の100m・13.8秒の記録を今出せないかと考えています。それで06年に,中高年が出場する大会に出てみたのですが,50代の人で12秒台がザラなんですね。なんと15秒でビリ。これは大変ショックでした。何とか07年はと思いますが,周りからは朝の番組をやりながら無謀だと言われています(笑)。
もう1つは音楽です。クラシックをよく聞きますが,毎年必ず「第九」を1万人で合唱することにしています。06年は,声が出なくてちょっと不完全燃焼でした。加齢とともに高い音がだんだん出にくくなるので,歌うことで声を維持するということで,仕事面での実益も兼ねています。
―ところで,番組や取材を通して弁護士と関わるのが日常茶飯事とうかがっていますが,弁護士に対して期待とか注文は何かおありですか。
柴田さん 特に裁判を傍聴していると,法律用語の意味がほとんど理解できません。裁判は公開ですから,傍聴人にも分かる方がいいだろうなと思います。それに読み上げ速度が異常に速いです。オウム裁判の時,ある女性ジャーナリストが裁判終了後に検察官にツカツカと歩み寄って,「早すぎて全然分りません。もっと大きい声でゆっくり読んでください」と言ったことがありました。その検察官はブスっとした顔をしてエレベーターに乗って行ってしまいましたけど(笑)。
裁判員制度が導入される今後は特に,世間一般に浸透するためには柔らかく分かりやすく話していただくことが必要だと思います。もちろん最近では,そういう弁護士さんが増えていますが。
―裁判員のお話が出ましたが,裁判員をやりたいと思いますか。
柴田さん もしもなれるのならば裁判員になってみたいと思っています。ただ,裁判員制度が始まると米国みたいに検察官・弁護士の弁論の巧拙や被告人の能弁・訥弁によって結果が左右されるのじゃないかと危惧しています。
―最後に,柴田さんの今後の抱負をお聞かせください。
柴田さん 若い人達にテレビ・ラジオ放送をもっと見て欲しい。そして,マスコミの世界に飛び込みたいという人に,私が何かチャンスを与えることができたらいいなと思っています。そのために実際に少しづつ活動はしています。また,音楽の分野でも,07年は,合唱団のコンサートの司会をやることにしています。曲を解説しながら,合唱の経験から「ここが歌いにくい」とか「こんな面白い歌がある」などと説明できたら,こんなに楽しいことはないと思います。ニュースは悲惨なものが多いし,きっかり時間に納めるとか,分かりやすく用語を解説するとなると,どうしても放送では楽しめないのです。25年間の放送人生の中で,唯一楽しめたのは,「宇宙プロジェクト特番」で日本初の秋山宇宙飛行士の打ち上げ・帰還の時だけでした。ですから,放送の分野でも,楽しんで,仕事になって,しかも若い人に希望を持ってもらえるといいなと考えています。
―本日はどうもありがとうございました。更なるご活躍を期待しております。