従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
元大相撲力士・俳優
龍虎さん
今回の「わたし」は、美男力士として人気を集め小結まで昇進した元大相撲力士の龍虎さん(1941年1月9日生まれ)です。現在は、俳優として活躍されています。
―非常に立派な体格をされていますが、幼少のころから体は大きかったのでしょうか。
龍虎さん そうですね。小学1年生のころには小学3年生程度の、小学6年生のころには高校生程度の体格となり、こどものころから体は大きかったです。
―幼少時代の面白いエピソードはありませんか。
龍虎さん 0歳児のころの話ですが、こんなことがあったそうです。私は、どの赤ん坊が最も健康優良児であるかを競うベビーコンクールというものに参加させられたようなのですが、表彰状を渡すためのゲストとして招待されていた当時の陸軍大将が、素っ裸で寝かされていた私の腹を押したところ、こともあろうにその立派なヒゲめがけて、私はおしっこをひっかけてしまったようなのです。時代が時代でしたので、場内は一瞬ひやりと静まりかえったのですが、その陸軍大将が、怒るどころか、「腹を指で突いたところ水鉄砲をもって反撃してきよった。こやつが一番じゃ。」と言ってくれたおかげで、既に一位は他の赤ん坊に決まっていたにもかかわらず、私が見事一位に輝き、賞金のほかに副賞として粉ミルク1年分をもらうことができたそうです。貧しい時代だったので、大きな親孝行ができました。
―なるほど。生まれて間もないころから大物ぶりを発揮されていたのですね。ところで、小学生のころからそれだけ体が大きかったということは、その当時から相撲に興味があったのですか。
龍虎さん いやいや、とんでもない。幼いころから、近所で開催されていた素人の相撲大会を何度も見ていましたが、あまりかっこよいものじゃないし、相撲ってしきりも長くて退屈に見えるじゃないですか。だから、相撲は変わった人がやるものだと思っていて、私自身、入門するまで相撲はまったく好きじゃなかったんですよ。
―では、どのようにして入門に至ったのでしょうか。
龍虎さん 親方の甥っ子に刑事さんがいて、その甥っ子の同僚に、相撲好きの別の刑事さんがいたのです。体格の大きい私は目を付けられていたようで、その相撲好きの刑事さんから、何度も何度も「相撲取りになれ」と勧められてきましたが、先ほど言ったとおり、私は相撲にまったく興味がなかったので、その都度断ってきました。ところが、高校1年生になったある日、私が相撲取りになることをまだ諦めてくれないその刑事さんが、私に対し、「夕方迎えに行くから待っていろ。親方にはもう電話してあるから。」と、私の知らないところで勝手に話を進め、私は言われるがまま刑事さんに伴われて花籠部屋まで連れて行かれたのです。部屋に到着すると、親方と刑事さんは何やら話しを始めましたが、いかんせん二人のやりとりが東北地方の方言で行われたため、私にはほとんど聞き取れませんでした。ただ、その中で、「これでまた東京から横綱が出る・・・」と二人が嬉しそうに話していることだけは聞き漏らしませんでした。力士になる気がまったくない私には嬉しくも何ともないのに・・・
このように二人が嬉しそうにしている中で私一人が入門することを渋っていると、今度は刑事さんが、「お前、怖いんだろ。部屋で3日辛抱できたら男として見込んでやる。」などと言ってきました。今思えば、刑事さんから男として見込まれる必要などなかったのですが、当時の私は、「なにくそ。」と、まんまとこの言葉に乗っかってしまい、「今やめたら親まで笑われてしまう。」と思って、結局そのまま花籠部屋に入門することになってしまったのです。
―初土俵以来11年がかりの幕内昇進という当時の最スロー記録を樹立し、また、三役まであがった後にアキレス腱断裂による休場で幕下まで落ちたものの、その後再び三役に復帰するといったように、現役時代はだいぶ苦労を重ねられたようですね。
龍虎さん 実は、場所中の取組で断裂しただけでなく、リハビリ中にもう一度アキレス腱が切れてしまいました。そして、担当医からは、「相撲など取れるはずがない。」と言われ、親方からも、引退して親方になることを勧められたほどでした。しかし、私としては、親方になるつもりで相撲を始めたのではなかったので、現役続行にこだわりました。しかし、何とか三役に復帰するには至りましたが、知らず知らずのうちに断裂した方の足をかばって逆の足に負担がかかりすぎたのか、最後には逆の足のアキレス腱が断裂してしまい、とうとう引退を余儀なくされたのです。
―現在は既に廃止されている制度ですが、龍虎さんが最初のアキレス腱断裂により3場所連続全休で幕下まで落ちてしまったことが、公傷制度創設のきっかけとなったそうですね。また、龍虎さんご本人にはこの制度が適用されず、同情を集めたという話もありますね。
龍虎さん ええ、そうなんです。ただ、相撲は元来武士道に由来するものですので、怪我は自分持ちで仕方ないと思います。ですので、自分の怪我がきっかけで創設された制度でありながら、私自身が、公傷制度というものに対してあまり肯定的な考えを持っておりませんでした。
―現在の大相撲について何かご意見はございますか。
龍虎さん 今は、相撲の歴史を知っている力士がほとんどいません。たとえば、かつて、力士の髪型にはいくつか種類があったのですが、明治天皇のお言葉によって、力士の髪型が現在の大銀杏に統一されたこと、この大銀杏、すなわち「ちょんまげ」は、武士道のあらわれであることなど、恐らく今の力士の大半は知らないでしょう。また、取組後に勝ち名乗りを受けた力士が切る手刀についても、まずは、戦った相手に対し礼を尽くして真ん中に切り、次いで、見届け人の中で一番偉い方である天皇陛下のいる正面に向かって切り、最後に、向こう正面に向かって切る、といったことも、今の力士はあまり知らないのではないでしょうか。その原因は、これらを教えてくれる人自体が少なくなっていることにあるのかもしれませんね。現在活躍している力士達が、相撲の歴史をもっと知ってくれれば、と思います。
―現在は俳優として舞台公演等で活躍されているとのことですが、力士時代との違いはありますか。
龍虎さん 相撲は、対戦する相手さえいれば成り立つものですので、観客がゼロでも満員でも関係ありません。しかし、俳優業は、観客を笑って泣かせなければならず、観客抜きにはどうやっても成り立たないものです。ここが、相撲取りと役者の一番の違いだと思います。
―最後にお聞きしますが、週刊現代が八百長疑惑の記事を掲載したことについて、北の湖理事長や日本相撲協会、力士が名誉毀損を理由に損害賠償や謝罪広告を求めて提訴しています。これについてどうお考えですか。
龍虎さん たしかに、対戦相手にとって横綱・大関昇進がかかっている大一番の場合で、かつ、その対戦相手が非常に仲の良い力士である場合に、勝たせてあげたいと思うことは人情としてありうるかもしれません。しかしながら、週刊誌で報じられているような内容の八百長は絶対にありえません。
―本日は、お忙しい中、楽しいお話をたくさんお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。龍虎さんのますますのご活躍を期待しています。