従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
剣劇女優
浅香光代さん
今回の「わたし」は,剣劇女優の浅香光代さんです。「ミッチー」の愛称で親しまれ,テレビ・ラジオや執筆で皆様もよくご存知と思います。演劇舞踊浅香流の家元として多くの門弟の指導をなさっているほか,武蔵野学院大学の客員教授もなさっています。
―まず,女剣劇の道にすすむことになったいきさつを教えて下さい。
浅香さん 私が小さいころ,うちは,父が株屋で失敗して,みんなで心中するかどうか,というところまでいきました。それでも,母が,死んだつもりならまだ頑張れるだろうということで,心中はしませんでしたが,一家はばらばらになりました。私は,9つのときに,養女にやられました。役者の浅香新八郎・森静子の夫婦が子供ができないので養女を欲しがっている,という話を母が聞いて,9つの割に背が大きいから,とりあえず弟子入りして,よかったら養女にするということで,置いていかれたんですよ。
そして,ちょっとした役で初舞台に出ることになり,実の親に見に来て貰ったんですが,どこに出ていたか気付かなかったらしく,お前出てなかったね,って言われてしまって。そうしたら,師匠が,腰元の役をやらせてくれて。そうしたら,うちの母親喜んで。時間作って見に来て応援してくれるんですよ。えらくなんなきゃいけないなぁ,って思いましたね。その後,次第に,いい役を貰えるようになりました。
そうこうしているうちに,師匠が,38歳の若さで,肺病で亡くなっちゃったんですよ。私が14歳の時ですね。それで,明智光秀じゃないけど,3日天下でもいいといって,座を組んだんですよ。そのときは14って言うのがいやで,18とか言ってましたけどね。でも,客入りませんよ,苦労しましたね。その時客がよく入っていたロック座も見に行きました。こんなんで客が入るんだ,と思いましたね。
そのころは,親子の役者を雇って,劇場に出してもらっていたんですけど,出演料の未払いが溜まっちゃったこともあって,その親子に出て行かれちゃったんです。それでも,鶴見の劇場に出なきゃいけない。そこで,ふっとロック座見に行ったときのことを思い出して,ちらっと見せてみたんですよ。パンツなんだけど,黒く見えるもんだから,お客も勘違いして。そしたらお客に受けて,また来るよー,って言ってもらって。それからですよね。その後,松竹にも出してもらえるようになって。あの親子がいなくなっちゃわなければ,ちらっと見せることはなかったですから,こうなってなかったでしょうね。人生,何がどうなるかわからないですよね。
―動物が相当お好きなようですね。
浅香さん 今は,内弟子は置かないことにして,動物と一緒に暮らしてます。サルだのネコだのと一緒に寝てます。昔,映画でチンパンジー見ましてね,すごく飼いたくなった。それで,昔,アメリカに3ヶ月興業して大ヒットしたときに,当時は日本にお金持って帰れなかったもんですから,向こうに家買って,そこでチンパンジーを飼いました。でも,なかなか行けなくてね。人は裏切ることはあっても,動物は裏切らないですからね。かわいいですよ。
―浅香光代さんといえば,ミッチーサッチー事件ですが。
浅香さん 報道されているとおり,1億1000万円の裁判を起こされて,110万円の判決でした。最初に,親しい弁護士の先生に話をしたら,そんなのほっとけって言われたんですよ。でも,ほっとくわけにもいかないから,紹介を受けて,ある弁護士の先生に頼みました。
負けた部分は,週刊誌の記事ですね。当時は,私の応援をしてくれる手紙がどんどん来るんですよ。その中に,サッチーと刑務所でお友達でしたなんて手紙もあったんです。それをね,週刊誌が来たときに話をしちゃったんですよ。そうしたら,週刊誌が私の写真付きで記事にしちゃったんです。それが引っかかっちゃった。
判決が出た後に,こちらが勝ったということで,報酬の話をされたんですが,そのときはちょっと驚きましたね。ずいぶんと値切りましたけど,弁護士っていくらお金かかるのかわからないと思いましたよ。
判決が出た後のことですけど,とある人に,おおっぴらに,110万円でも負けは負けだから,犯罪者だなんて言われたことがありました。私は犯罪者じゃないんだから,弁護士頼んでやろうかと思ったんですけど,もし頼んだら,いくらかかるのかって思いましたね。結局,弁護士には頼まなかったですね。
―大学の教授もされていますね。
浅香さん 現在,武蔵野学院大学客員教授をしています。私がなぜ教授になったかですか。よくお話しすることなんですけれど,鳩に三枝の礼有り,っていう言葉,ご存知ですか。私は,昔,母親に,あなたは鳩のような人間になりなさい,と言われたことがあるんです。辞書を調べても載ってない。それで,ことわざ集を調べたら,鳩は親より3本下の枝にとまる。必ず目上の人や先輩を立てなさい,と言う意味なんです。また,烏に反哺の孝ありという言葉もありまして,烏は親を大事にして,親が食べられなくなると,死ぬまで自分が砕いてえさをやるんです。そういうことを,うちのまわりで起きた出来事に結びつけて話をするんです。
この言葉はね,大学の先生も,知らなかったんですよ。浅香光代は小学校に3年しか行かないけど,あれだけのこと知ってるんだから,あの人にどうしてもここに来て欲しいってことになったらしくて。断ったんですけれど,それでも頼まれてお受けしました。
また,月に4,5回は講演やってます。大学でもやりますけれど,講演料も,ずいぶんくれるところも,びっくりするくらい安いところもある。それでも,若い人が聞きに来てくれると,よかったと思うんですよ。
―最近心に残った出来事は。
浅香さん 大阪で特別賞もらったことが,一番嬉しい出来事でした。松尾芸能賞っていうんですけど。瞼の母,一本刀,沓掛時次郎という,長谷川伸先生の名作品を演じたことで,賞を頂いたんですよ。東京じゃないですよ,大阪ですよ。浅香光代にやらなかったら誰にやるって言うんですか,ってことだったらしくて。
私は,それまで,私には賞なんて無縁だって言ってね,賞なんてくれても返してやるなんて言ってたんですけど,間違ってましたね。見てくれる人は見てくれていたんだな,と思って,すごく嬉しかったです。
それで,記念に「一本刀」ただで見せてやろうって言ったら,マネージャが,待ってください,お金かかりますよ,って。3日借りて1000万円下りませんよ,って。それでやめました(笑)。
―本日は,長時間にわたり,楽しいお話をありがとうございました。