従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
振付師,ダンサー
パパイヤ鈴木さん
今回の「わたしと司法」は振付師でもあり,ダンサーでもあるパパイヤ鈴木さんです。
―ダンスを始めたきっかけは?
パパイヤさん 最初は歌手になりたいと思っていたんです。中学生の頃に,歌手だった父から「歌には音程とリズム感がある。音程は教えてあげられるが,リズム感は教えてやることができない。知り合いのダンサーの先生を紹介するから勉強してこい」と言われて,始めたのがきっかけです。その先生がやっていたのはジャズダンスで,ソウルミュージックを使っていました。その先生のおかげでダンスや洋楽を好きになり,それから洋楽を聴くようになりました。その先生は人間的にすごく面白い人で,女の口説き方だとか(笑),ダンス以外のことも教わりました。
僕は昔から師匠に恵まれていて,人生のターニングポイントにキーマンとなる人が何人かいるんですが,そういうキーマンと僕を結び付けてくれるのは,ほとんど親父です。
―お母様もダンサーでいらっしゃるんですよね。
パパイヤさん そうです。宝塚にも一時期いました。宝塚をやめてショーダンサーになったんですが,そこで親父と知り合ったようです。
―ダンスの先生のところには,何年くらいいらしたのですか。
パパイヤさん 3年間くらいですね。17歳のときに辞めて,18歳でディズニーランドに行きました。そこでは,外国人とも仕事をして英語に触れました。それから,19歳で舞台をやるようになりました。船越英一郎さんが主宰する舞台にも出演しましたね。とても充実していて,いい十代だったと思います。
20歳からは振付師やインストラクターの仕事をしました。その時期が7~8年で長いですね。
―「パパイヤ鈴木」さんになったのは,いつ頃からなのですか。
パパイヤさん 30歳くらいのときですね。元々は特徴のない顔だったんです。それに本名が鈴木寛(ひろし)というのですが,なかなか覚えてもらえなかった。でも覚えてもらえないとこの仕事は成り立たないので危機感があったんですね。それで,芸名をパパイヤにしたり,髪型をアフロにしたりしました。「パパイヤ」自体に意味はありません。思いついただけ。
―ちなみに髪型のセットは,毎日されているのですか。
パパイヤさん そうですよ。セットに掛かる時間は,20~30分くらいです。
―おやじダンサーズを始めたきっかけを教えてください。
パパイヤさん 元々は,ああいうグループと一緒に仕事をしたいなというのがあったんです。それで,いろいろ探したんですが,イメージに合うようなグループがなかった。それで,ないなら自分で作るかということになったんです。僕が32歳くらいのときですね。メンバーは,僕が発掘しました。みんな知り合いの知り合いです。
―皆さんキレのあるダンスをされていますよね。
パパイヤさん キレがよく見えるんです(笑)。あれは,やり方です。
―皆さん本業がおありなんですよね。
パパイヤさん そうです。サラリーマンとか,運転手とか。みんな兼業です。彼らのいいところは,仕事を辞めないところです。ダンスを本業にしたくないというのがあります。本業にしてしまうと余裕がなくなってしまう。趣味でやっているところがいい。だから彼らは生き生きしているのだと思います。本業にも相乗効果が出ているんではないでしょうか。
―パパイヤさんというと,テレビ東京で放映された「debuya」の印象が強いのですが,出演するようになったきっかけを教えてください。
パパイヤさん 8年くらい前。ある番組で,太っている人の振付の仕事があるというので声が掛かりました。ダンサーは,石塚さんと黒人男性が決まっていて,もう一人探しているという話でした。それで打ち合わせにいったら,「太っているね。やってみません?」という話になりました(笑)。それがきっかけですね。昔は食べてるだけじゃなくて,いろいろやっていました。6人乗りのエレベーターになぜ4人しか乗れないのかとか(笑)。ダンスのコーナーもあって,CDも出したりしたし。そのうち,食べるだけになりました。
―番組の影響で「まいうー」という言葉が流行りましたね。
パパイヤさん 「まいうー」は出演していた女の子が使いだしたのですが,言葉自体は昔からあったんですよ。
―テレビ,舞台など様々なジャンルのお仕事をされていますが,それぞれによって仕事のやり方は変わりますか。
パパイヤさん 変わらないですね。全部やることは一緒で,要は表現をするということだと思います。絵を描いたり,歌を歌ったり,演技をしたりして,みんな自分というものを世に残そうとしているのだと思う。僕は,歴史に名を残すことが夢なんです。「平成のある時期にフルーツの名前の男がいて」っていう風に名前が残るのが夢。そのために仕事をやっている。だから,何をやるときもそれは変わりません。足跡を残したい。どんなジャンルにおいても。
日本は,エンターテイメントがあんまりよくない。日本の舞台を見に来る外国の人があんまりいない。僕には,日本のエンターテイメントを変えたいという思いがあります。それで,海外の人でも分かる言葉を使わないダンスで舞台をやろうかなと考えて,やったりしています。パントマイム,和太鼓など,言葉を使わないエンターテイメントって色々あるんですよね。みんなで勉強して色々やっています。
僕は,日本の経済を変えられるのはエンターテイメントだと思っています。桜とか京都とか寿司とかじゃなくて,エンターテイメントではないかと。韓国が潤っているのはペ・ヨンジュンのおかげだと思うし。日本はカメラを作っている器用な国かもしれないけど,それなら器用な日本人が作るエンターテイメントがあってもいい。
―来年から裁判員制度が始まります。
パパイヤさん 法廷には1回傍聴に行ってみた方がいいよと言われます。面白いよと。「だって犯人がいるんだよ。殺人事件ならそこに殺人犯がいるんだよ。すごくない?」と言われる。それは確かにそうだなと。
僕は軽いミステリーが好きで法廷物も読むんですが,陪審制って気持ちひとつで怖いなと思うところはあります。真実は分からないけど,陪審員の人はこう思うだろうからこうする,みたいな感じで進んでいく。クリスチャンの陪審員が,被告人はクリスチャンであると聞かされて,「彼は敬虔なクリスチャンだからやってないはずだ」と考えたりね。
僕は,ディベートとか好きで結構やるんですが,あれは役に立ちますね。ある人が欠点に思っていることがチャームポイントになったりする。物は考えようだよと。子供に言うときもそんな話し方をしたりします。
だから,ミステリーは,検事と弁護士がやり合っているのが好きですね。あと痛快な逆転物で正義が勝つのが好きです。
―パパイヤさんが読書家というのは少し意外でした。
パパイヤさん そうですか?ちょっとした空き時間,移動時間とかに結構読みます。今年に入ってから腕を骨折して入院したのですが,その入院中にもかなり読みましたよ。生死に関わる本を読んじゃって,「おれ退院できないのかな」という気持ちになってしまったりしました(笑)。
―番組の撮影で骨折されたんですよね。具合はいかがですか?
パパイヤさん ぼぼ大丈夫です。腕立てとかはできませんけど,ダンスには影響ありませんね。腕を伸ばす振りは無しにしてますけど。
―今後のご予定を教えてください。
パパイヤさん 11月21日に新宿文化センターでおやじダンサーズ10周年記念ライブをやります。
あと,来年のNHK大河ドラマに出演することになりました。妻夫木聡くんが演じる上杉謙信の家臣だった直江兼続が主役。彼が上田衆というのを作る。僕はその上田衆の一人です。
―忙しくなりそうですね。
パパイヤさん 死なない役だということなので(笑)。ただ,出ずっぱりではないと思います。撮影はゆっくりやる方が好きなんですが,大河だし,監督もゆっくり撮る人だから,ゆっくりやっていくことになると思います。時代劇は初めてなので,楽しみです。
―今日はお忙しい中ありがとうございました。ますますのご活躍を期待しております。