関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

ヴァイオリニスト
小林響さん

とき
平成21年12月16日
ところ
響スタジオ・オマージュ
インタビュアー
会報広報委員会委員長 東條正人

 今回の「わたし」は,ヴァイオリニストの小林響さんです。現在カナダで活動されていてお名前どおりの素晴らしい音の響を大切にされる方です。

2歳からヴァイオリンを始められたということですね。

小林さん 母がすすめてくれたのですが,16分の1というすごく小さな楽器から始めました。

その後,東京の鈴木共子先生などに師事された後,14歳のときにイスラエルへ単身留学されたということですが,そのきっかけは。

小林さん 当時,23年ぶりにイスラエル・フィルが来日してその弦セクションの音に魅了されたのです。ご存知のようにイスラエルという国は移民の人たちが集まってきているのでそれぞれの意見を各自が持っていて,どういう音楽にするかでけんかになってしまうくらいまとめるのに苦労するのですが,このときはそれが見事なまでにまとまって,すごいものを聴いてしまったと思ったのです。それで,当時のコンサートマスターであったハイム・タウブ先生にデモテープを送って弟子にしてくださるよう手紙を書いたところ,快諾していただいたのでイスラエルに渡ることにしたのです。

鈴木先生はびっくりされませんでしたか。

小林さん ヴァイオリンの世界でイスラエルへ留学というのは珍しかったので,そういう途もあるのねと言われましたが気持ちよく送り出してもらえました。

イスラエルでの生活は大変ではなかったですか。

小林さん ハイム先生の家に住まわせていただいたのですが,最初のころはホームシックがすごくてコレクトコール代が月に10万円くらいかかりました。でも1年に1~2回ドイツのフェスティバル等に参加して徐々に同年代の友達もできてきたので慣れてきました。言葉はヘブライ語と英語ですが,ヘブライ語は当然わかりませんし,英語も中学2年では基本的な英語しか教わっていないのでそれも苦労しました。食べ物では,羊やコッテージチーズなど太るものが多くて,それを食べろ食べろと勧められ,断ることができずに食べた結果10キロも太ってしまって大変でした。

イスラエルには何年くらいいたのですか。

小林さん 結局5年いました。日本人は外国に行っても日本人ばかりで固まっていて留学先の文化を積極的に取り入れないきらいがあるように思うのですが,当時イスラエルには日本人はほとんどいませんでしたし,私もイスラエル人になるのだという気概でした。イスラエルの人たちも最後には「響は僕達の中に溶け込んでくれた」と言っていただきよかったと思いました。ハイム先生にはいろいろなことを教わりました。その中でベートーベンとブラームスのコンチェルトはすべて弾ける様になってからと言われてきましたが,ある日,先生から「次はブラームスをやろう」と言われて,そのこともあって次に進むべき時期が来たなと思うようになってきたのです。

ベルリンで1年勉強された後現在住まれているトロントに移住されるわけですが,ここではどんな勉強をされたのですか。

小林さん トロントで師事したローランド・フェニベッシュ先生は偶然,イスラエル・フィルの初代コンマスなのですが,私が望んで必要とするものを教えてくださる人でした。よく「頭を使え,どうしてそのように弾くのかを考えねばならない」と言われました。「頭を使えば疲れるから長時間練習はできない,今の半分しかできないはずだ」とも言われました。

外国で長期間学ばれた経験でよかったことや逆に日本の問題点や良さはどのようにお感じでしょうか。

小林さん 私は一番多感な時期にいろいろな国に行って,視野が広くなった点に感謝しております。最終的には世界の歴史や文化はつながってきて,人種や文化を乗り越えて人間はみな同じなのだと考えられるようになりました。これは音楽でも同じです。そのためにも外国の友達をたくさん作り,その国の文化を吸収して,受け入れて尊重することが大切だと思いました。現在では20年前に比べたらインターネットやテレビなどツールが充実してきているので世界のまとまりも見やすくなってきていると思います。
 さて,日本ではこうでなければいけないというのが多すぎる気持ちがします。一般の生活でも,音楽についても,自分の思うことや,個人の意見を大切にすることももっと必要だと思います。ただ,最近自分は日本人なのだと感じるようになって,日本の文化をもっと知りたいなと思うようになりました。日本人の奥ゆかしさというのは美点でもあると思います。

現在はケベックでレブランク・カルテットの1stヴァイオリンで活躍されていますね。

小林さん 1988年に結成されたカルテットなのですが,ヴィオラをやっている現在の夫から1992年に1stヴァイオリンの空きが出来たので入らないかと誘われたのです。その後,夫と結婚し,カナダに住み続けることになりました。

最近,響さんはサントリーホール等で「ハイドンへのオマージュ」という新作をソリストとして披露されていますね。間近で聴かせていただきましたが現代音楽とハイドンの時代の音楽の融合といった感じでしたね。

小林さん この曲はハイドンの没後200年であるハイドンイヤーの今年,シュミーディンガーさんというオーストリア人の作曲家が私のために作ってくださった曲です。私は弦楽四重奏が大好きなので,ソロが浮き出るというよりは室内楽的なイメージでオーケストラの人たちと一緒に演奏できるような感じを加えていただきました。

響さんの音楽を聴いているといい音,いい響を出すことを目標にされているように感じますが,その点はどのようにお考えですか。

小林さん いい音楽であるためにいい音を出すということが私の努力目標です。好みがあるので自分が選んだ音ということでいいと思うのですが,聴衆の方に聴いていただいたときに気持ちがいいな,響さんの音だなと思ってもらえればうれしいです。

さて,恒例の司法関連ですが,日本では裁判員裁判が始まりました。カナダでは陪審制度が採られているようですが,なにかお話は聞かれますか。

小林さん アメリカの陪審の報道はよく聞きますが,カナダでは法制度が違うのか事件が少ないのかあまり陪審の話は聞きません。

その他なにか法律問題で感じていらっしゃることなどありますか。

小林さん 今,大学の客員教授という立場なのですが,正規の教授とちがって,客員ですと各種保険がつかないというのをなんとかしてほしいと思っています。弁護士に頼んで待遇改善をという声もあるのですが,お金がたくさんかかるからやめといたほうがいいよなどとも言われています。

いえいえ,弁護士によっても違いますよ(笑)。本日はありがとうございました。

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