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関東弁護士会連合会ブログ「調子に乗って勘弁れん」関東弁護士会連合会ブログ「調子に乗って勘弁れん」

祖母と曾祖父中沢与左衛門の話

山浦 能央(長野県弁護士会)

 

住み慣れた大阪を離れ、平成23年8月から長野市に移り住んだ。

弁護士になって市内の法律事務所に勤務するためだ。

関西を離れたこともなく、一人の知り合いもいない長野行きを直感的に決めたので、今考えればかなり思い切った決断だったと思う。

ボス弁の先生のお人柄に惹かれたことが一番大きかったが、真っ新な環境で一からやり直したいという気持ちもあったかと思う。

とにかく決めたからには頑張るしかない。

 

ただ、そんな長野でどうしても行ってみたいところがあった。

有名な観光名所ではない。

そこは五明館(ごめいかん)と呼ばれる建物だ。

実は全くゆかりがなかった訳ではなく長野市は父方の祖母の出身地だ。

でも父方の祖母には一度も会ったことがなく、その家系はほとんど未知だった。

わずかに伝え聞いていることと言えば祖母の旧姓が中沢だということと、祖母が五明館という旅館から父の生家がある長野県立科町に嫁いだということくらいだった。

未知の自分のルーツに触れてみたいという気持ちもあったし、単純に名前の響きの美しいその建物を実際に見てみたいと思った。

 

五明館。それは善光寺の直ぐ近く、表参道に面した一等地にあった。 

江戸時代に創業され、池波正太郎にも愛された由緒ある旅館だったそうだ。

旧五明館の一部 .jpgのサムネイル画像

私が伺った平成23年当時、旅館は廃業されて、レストランとして営業されていた(その後レストランも廃業されて現在建物の一部が郵便局やブライダルサロンなどに利用されている)。

 

   旧五明館の一部        

 

思い切ってお店の方にお声がけして、祖母のことをお尋ねしたところ(今考えると相当怪しい客だったに違いない)、わざわざ調べていただいて、とても丁寧にご対応いただいた。

確かに立科町に嫁いだ祖母と思しき人物が存在したこと、そして祖母の父(つまり私の曾祖父だ)は、中沢与左衛門といって、運送業、宿間屋、酒造業も営んだ豪商として名をはせ、長野商工会議所の初代会頭を務めた人物であること、曽祖父が明治時代に創業した「信濃中牛馬合資会社」という運送会社の社屋が、五明館の向かいに「れんが館」という名前で今でも残っていて国の有形文化財に指定されていることなどを親切に教えていただいた。

 

れんが館(旧信濃中牛馬合資会社社屋) .jpg

れんが館にいくと(参道を挟んで五明館の目の前にあった)、文字通りレンガ造りの洒落た洋風の建物だった。

ステンドグラスも施されていて当時はさぞかしハイカラな建物だったに違いない。

 

長野に来て初めて知ったが、父方の祖母の家系は意外にも相当なセレブ家系だったようだ。

この事実を知ってかなり驚いた。

祖母もパリスヒルトンとまでは言わないまでも、かなりのお嬢様だったのだと思う。 

れんが館(旧信濃中牛馬合資会社社屋)

 

大阪とは全く文化の違う長野に来てかなりのアウェー感を感じながら生活をすることになったし、弁護士としてそれなりにシンドイ日々を過ごしたが、自分が長野で名をはせた豪商の末裔だという事実は随分と励ましになった。

長野で生きていく「根っ子」のような意味合いを持って、長野で生活することが間違っていなかったと思わせてくれた。                                       

五明館やれんが館を見る度に祖母や曽祖父が見守ってくれているような気がして心が温かくなった。

ただ残念ながら従兄弟や又従兄弟などの親族の方には今でもお会いできていない。

もしこのブログをご覧になってご連絡いただけたらこの上ない喜びだ。

 

以上、調子に乗って、ほとんどの方に興味がないであろう、私の祖母と曾祖父のことについて、文字数の上限を大幅に超えて、つらつらと書き綴ってしまった。

この辺で久しぶりに例の言葉で締めたいと思う。

調子に乗って勘弁れん!

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