近年,ダイオキシン類による環境汚染あるいは住民の健康被害が全国的に大きく取り上げられている。ダイオキシン類は極めて毒性が強く,有害化学物質の典型である。その影響については,アトピー性皮膚炎や子宮内膜症などの個体被害のほか生殖機能破壊や新生児の奇形因子など世代間に亘る人類存続自体への被害が懸念されている。そのために,最近では,環境ホルモンという概念のもとに,危機意識は時とともに高まりを見せているが,その一方で,発生源及び被害実態の把握並びに因果関係の解明に関しては,未知の部分が多くある。
諸外国にあっては,このダイオキシン類による環境や人類への影響について,調査研究とともに,発生防止に対する規制等の短期的対症療法的諸策のほか,これまでの経済至上主義に基づく,石油産業を基本とした,大量生産・大量消費・大量廃棄の社会から,循環型社会に変革する取り組みを見せており,その効果も現れてきている。
他方,わが国においては,従来から,大量の廃棄物の焼却処分と最終処分場への廃棄という構造が維持され,ダイオキシン類の問題意識も,このような焼却施設付近の住民による草の根の活動によってようやく社会問題として認織されるようになったに過ぎない。
国及び自治体は,近年,実態調査,関連法規の改正や焼却施設の改善によるダイオキシン類発生防止に動き出したものの,調査結果の公開に消極的であり,改正法規の規制内容も国際水準に比して不充分である。
このように,ダイオキシン類に対する危機意織に乏しいわが国の消極的姿勢は,極論すれば,具体的被害状況及び因果関係等が明確に立証されない限り何もしないというに等しいものであって,その背景には,環境の保全や住民の人権より現在の企業利益や社会経済構造の維持を重んずる根強い考え方があるといわねばならない。この考え方を,環境保全最優先の理念に基づく考え方に改め,環境に対する危険が指摘されたならば直ちに予防的処置を講ずる「予防原則」を確立し,具体的対策を講じていくことが,今こそ急務の課題である。
関東弁護士会連合会は,過去数度に亘って,廃棄物問題・自然環境保全等をシンポジウムのテーマとし,宣言・提言を行ってきたが,大量消費・大量廃棄を許す社会経済構造そのものの改革が遅々として進まないために,今や,毒性の極めて強く,生態系に多大な影響を与えるダイオキシン類等有害化学物質が発生によって人類の存続を脅かし兼ねない事態となっている。
われわれは,ダイオキシン類問題の取り組みを通じて,現代の環境問題が人類全体の存亡に関わることを,一人一人が強く認識していくとともに,われわれ世代の責任として,社会経済構造を環境保全最優先の理念に基づく構造に変革し,人類の存続を保ち,後の世代がより良い社会・自然環境の中で生きることができるよう,早期に策定実施すべき具体的対策とともに,中長期的展望に立った提言をなすものである
以上のとおり,決議する。
1998年(平成10年)9月25日
関東弁護士会連合会
環境問題は,21世紀を間近に控えた現代の国際社会にあって,諸外国が例外なく取り組み連携を取りながら解決を図っていくべき問題であり,人類の存続と繁栄にとって不可欠の課題である。
ところで,わが国においては,近年来,「ダイオキシン」という言葉が,テレビや新聞,雑誌等のマスメディアを連日のように賑している。当初は,一部特定地域でのダイオキシンに関する報道がなされていたが,最近では,全国至る所で様々なダイオキシン,あるいは,その影響と思われる事態について報道されるようになっているのである。
このダイオキシンやそれに類似する性質を有する物質,すなわち,ダイオキシン類は,「史上最強の猛毒」と表現されるほど強い毒性を有し,ごく微量でも,人体に様々な影響を与えることが明らかになっている。ここ数年の研究では,ダイオキシン類が,アトピー性皮膚炎や子宮内膜症などの原因になっているとも言われている。
しかし,ダイオキシン類の危険性は,有害化学物質について従来考えられてきた個々の人体に及ぼす直接的な被害にとどまるものではない。ダイオキシン類は,生殖機能の破壊や新生児の奇形の誘発など,世代を越えて人体に被害を及ぼすことが指摘されているのである。
そのため,具体的被害や調査分析を待ってから対症療法的対策を講じるという考え方ではなく,長期的視野にたって社会のあらゆる分野での対策を講じなければ,人類の存続自体に大きく左右する可能'性のある有書化学物質なのである。
諸外国においては,いち早くダイオキシン類の危険性についての認識が広まった。その結果,まず,ダイオキシン類の影響についての調査研究やダイオキシン類の発生防止についての規制等の短期的対症療法的な諸策が迅速に行われてきた。例えば,1985年にはスウェーデンで,また1991年にはカナダのオンタリオ州で,焼却炉の新設を禁止する措置がとられている。
さらに,これまでの経済至上主義に基づく石油産業を基本とした大量生産・大量消費・大量廃棄の社会を循環型社会に変革するという社会構造それ自体を変える取り組みも行われている。行政・企業・市民を問わず,環境保全優先の価値観を共通のものとしながら,具体的な対策を種々講じており,その成果も現れつつある。
他方,わが国におけるダイオキシン類への対策に目を向けると,明らかな立ち後れが見られる。ごみを焼却して処理し,その灰を最終処分場に投棄するという伝統的な廃棄物の処理方法を依然として維持しているため,ダイオキシン類の主な発生原因とされるごみ焼却施設が諸外国に比べて圧倒的に多い。また,魚介類を好んで食するという食文化の特徴から,わが国においては,魚介類を通じて人体に摂取されるダイオキシン類の量が諸外国より多いと考えられている。
このようなわが国の特徴からすれば,諸外国よりもダイオキシン類対策が進んでいて当然なのであるが,実際には,ごみ焼却施設付近の住民が懸命の運動を続けた結果,ようやく国や自治体が重い腰を上げ,実体調査や関連法規の改正,焼却施設の改善等によるダイオキシン類発生防止に動き出したにすぎないのである。
すなわち,国・自治体は,大気・土壌・母乳等についてダイオキシン類の調査活動を開始し,その緒果をある程度公表しているものの,十分な調査を行っているとは到底言いがたい。更に問題なのは,数少ない調査結果についても,分析前の生データは非公開とするなど,調査に関する情報を国民や住民に対して十分に公開していないことである。ダイオキシン類調査のデータ隠しの実態が市民団体の調査告発によって初めて明らかになった例は,その典型である。また,ダイオキシン類の人体あるいは人類全体に与える影響を過小評価することにより,住民の不安を一掃せんとする不誠実な見解も見られるところである。
また,具体的対策として,規制の処分場に関して焼却処分における焼却炉の改善の取り組みがなされているものの,何ら抜本的対策とはなっていない。
更に,ダイオキシン類規制のための大気汚染防止法及び廃棄物処理法の改正が行われてはいるが,その内容は,国際基準にほど遠いものであって,改正法の規制数値自体が「自殺行為」であるとする批判すら出されている。
このように,国・自治体あるいは企業は,数多くの市民活動にもかかわらず,抜本的な対策も未だ講ずることなく,対策の前提となる調査及びその結果の公開も不十分という消極的な態度をとりつづけている。この態度は,ダイオキシン類が人体に及ぼす影響のメカニズムが科学的に解明されず,具体的被害がない限り何もしないというに等しく,ダイオキシン類問題に対する危機意識に乏しいものといわざるを得ない。
国,自治体等がこのような態度をとる背景には,単に,ダイオキシン類に対する危機意識に乏しいばかりでなく,環境の保全や国民,住民の人権よりも企業の利益や既存の社会経済構造の維持を重視する考え方がある。しかし,ダイオキシン類の危険性は,前述のように,単に固体に影響を及ぼすというだけでなく,世代を超えて被害を与える,ひいては人類の存続自体に影響を及ぼすという点にある。そして,その危険性の切迫度を客観的に認識することは,非常に困難なことなのである。したがって,ダイオキシン類が人体に及ぼす影響のメカニズムの科学的解明を待っていては,人類の存続にとって取り返しのつかない事態が生じてしまう可能性が極めて高い。
そこで,ダイオキシン類の科学的物質が完全に解明される前に,まずダイオキシン類の発生を止めるという「予防原則」を確立したうえで,早期に具休的対策を講じることはもちろんのこと,中長期的視野に立って,既存の社会経済構造の維持及び企業利益のみを重視するという姿勢を,環境保全,人権重視の考え方に改めさせなければならない。
関東弁護士会連合会においても,過去数度に亘って,廃棄物問題・自然環境保全等をシンポジウムのテーマとして宣言・提言を行ってきたが,わが国にあっては,大量消費・大量廃棄を許す社会経済構造そのものの改革が遅々として進んでいない。そのため,今,我々は,有害化学物質であるダイオキシン類の発生による人類の存続自体の危機という厳しい現実を突きつけられているのである。我々は,このような現代社会に生きるものとして,後の世代に対する責任を果たすべく,我が国の社会経済構造を環境保全優先の理念に拳づく構造に変革し,人類の存続を保ち,後の世代がより良い社会・自然環境の中で生きることができるよう「ダイオキシン問題」に取り組まなければならない。そして,早期に策定実施すべき具体的対策とともに,中長期的展望にたった提言をなし,市民に広く呼びかけ,国,自治体等に訴えかけていくことこそ,我々法律家の責務であると考える。
以上