第1 ダムによる自然環境等の破壊
わが国では,戦前・戦後は産業の基盤である電力開発を目的としたダムが各地に建設され,戦後の洪水多発期以降は主として治水目的で大型ダムが,高度経済成長期以降は利水機能と治水機能を組み合わせた所謂多目的ダムが全国各地に続々と計画・建設され,各地でその負の側面としてのダム問題を引き起こしてきた。
河川は,山地と海洋を繋ぎ,これらと一体となって自然界における物質循環システムを形成し,自然環境を形成してきた。ヒトは,自然界の一員として,河川が形成する自然環境と調和し,いわば川の恩恵を受けながら,川とともに生活し文化を創造してきたといえる。ところがダムの出現により,ダムの上下流域の自然環境は一変する。河道が分断されることにより物質循環が断絶され,魚類は遡上・降海が阻まれ,土砂や有機物の循環が阻害される。ダム湖では有機物質が過剰に生産され,藻類の繁殖等により強い毒性物質や悪臭物質が生産される。ダム湖のみならず,下流域でも水環境や水質の悪化により植物相も変化を免れない。それらをエサとしてきた,昆虫,小動物や鳥類はこの人為的な環境の変化を直接に受ける。そして,食物連鎖の頂点に立つイヌワシ,オオタカ等の猛禽類にとっては,この変化は絶滅の危機をもたらしかねない。
本来,洪水が上流から海岸部まで運搬していた土砂は,ダム湖に溜まる一方となり,ダム湖上流部では洪水危険性が増大し,ダム湖内では膨大な堆砂問題が,ダム湖下流域では河床低下が,ダムの遥か下流の河口部においても海岸線の後退が生じる。排砂ゲートや土砂バイパスの敷設実施を行っても,それらは下流域で新たな堆砂問題や水質悪化,漁業被害,汚染問題をひき起こしている。
一度破壊されるとその回復が不可能もしくは著しく困難となる自然環境・生態系の特徴に鑑み,回復不可能な負荷を与えるダム建設は,可及的に避けなければならない。
第2 ダムと治水
- ヒトは,太古より水と共存し,かつ闘ってきた。河川は,土地に多くの恵みを運んだが,同時に洪水時には多くの人命や財産を奪ってきた。河川の流水をいかに制御するかはヒトにとって解決困難な課題の一つであった。
わが国では,戦後まもなく,戦争中の山林の荒廃に起因して大規模な洪水が頻繁に発生し,水害を防止すべく,ダムによる治水対策が推進され,多くのダムが建設されたが,山間に作られるダムによる治水の効果は,必ずしも机上の計算どおりの効果が得られるものではない。ダムをいかに完備しても,洪水による被害は決してなくならない。
翻ってみるに,治水対策はダムに限定されるものではない。わが国では,古来からダム以外にさまざまな治水対策が存在した。①河川が氾濫することを前提に家屋周辺の土地を嵩上げした輪中,②洪水時に所定の地域に河川水が氾濫するようにして流量を調整するための遊水池,③河川の堤防を非連続にして増水した際堤防周辺地域に河川水が氾濫するようにし,水が引けば氾濫した水がそのまま河川に戻り流下するようにした霞堤,④堤防を二重に設置し,流水側の堤防を低くする二線堤等である。
- 河川における治水対策は,上流域・中流域・下流域の各地点において異なるのだから,治水対策を行おうとする地域の具体的な特徴を踏まえなければならない。
当該地域の高低,河川の合流域の地形,河川周辺(特に堤内地)の土地利用状況,年間降水量,地質など検討すべきことは多岐にわたる。
このような総合的な検討をした上で,流域住民の自治と自立を前提に地域ごとの洪水レベルの設定(受忍限度)を行い,効果的な治水対策を決定すべきである。安易にダム建設により事足りるとする現在の治水政策の基本は批判されるべきものである。
- とりわけ,現行河川法のもと治水行政の基本とされている基本高水流量(既往の洪水記録から推定して,河川のある地点(基準点)における洪水時のピーク流量を「毎秒Xトン」という数字で表したもの。これがダムや堤防等の計画の基礎となっている。)が,流域住民の参加がないまま一部の官僚主導の基に非公開で決定されている弊害は大きい。基本高水流量は,他の流域対策に対する評価や,前述の受忍限度レベルの設定,基準点設定の合理性,治水安全レベルの設定などにより,相対的にならざるを得ず,どのような治水対策メニューを選択するかということと並んで,(科学的知見を基にしつつも)流域住民の合意により策定されるべき相対的な数値に過ぎないからである。
また,堆砂容量についても,過少な見積がなされていた。特に大井川水系のほとんどのダムでは,100年で設計されている堆砂容量が10年前後で90%程度埋まってしまったという極端な例が知られている。堆砂量の増加に応じてダムによる治水の効果は減少するのであるから,堆砂量の正確な予測は困難ではあるが,その予測はできる限り厳格に,かつ,予想外の速度で堆砂が進行することを見込んで行われるべきである。
第3 ダムと利水
利水ダムは水需要予測により根拠づけられているが,過大な水需要予測に基づき,不必要な水源開発が行われてきた。現実に,東京などの大都市では,既に20年以上も前から,一日最大配水量は完全に横ばいである。人口の減少や産業構造の変化を原因とする今後の水需要予測の変化を踏まえ,個別の利水ダム計画で喧伝される利水の必要性を見直し,節水型社会への転換を図れば,新たな水源開発は不要といえる。
- 水道用水
人口の減少が予測される今後の水需要予測に関しては,とりわけ平均給水量と負荷率に関して,実績をべースとした厳格な予測がなされるならば,漏水防止対策の実施による有収率(料金徴収水量/配水量)の上昇や利用量率(給水量/取水量)の変動に鑑みても,今までのような右肩上がりの予測にはならない。
また,家庭用水の増加要因としては,トイレの水洗化,自家用風呂の普及,世帯の細分化の3つがあげられるが,それでも家庭用水の消費原単位(一人当たり使用量)は完全に頭打ちの傾向にあり,世帯の細分化による水需要の増加も既に限界にある。
節水コマの設置,節水意識の向上,新設大型建築物の節水対策,節水型水道料金体系の導入等の節水政策を実施し,節水条例等により,法令上のしっかりした根拠と計画をもって,節水に努めるならば,ほとんどの地域において,現在の水需要を大幅に削減することが可能である。
- 工業用水
工業用水に関しては,用水型工業の使用水量に関しては,生産量と用水原単位(単位生産量あたり使用水量)の動向で予測が可能であるが,紙パルプ工業以外は生産量はほぼ飽和状態となっている。また用水原単価は,合理化により減少している。紙パルプ工業においても水使用合理化は容易なのであるから,工業用水の増加はあり得ない。
さらに,2~3年後に差し迫った人口減少時代の到来や既に始まっている人口の急速な高齢化から今後の工業用水需要も減少に向かう趨勢にあると見て間違いない。
工業用水は,水道用水と異なり,使用目的によって良質の淡水を必要とせず,他の代替手段(回収率の向上,下水処理水の再利用,海水の利用等)が可能であるので,これらの節減要素を考慮すれば,右肩上がりの予測になることは到底あり得ない。
- 水利権の流域調整の必要性と河川維持用水
(1) 水利権秩序は,歴史的に,もっぱら農業水利権を中心に構築されてきた。
しかし,産業構造の変化に伴って遊休化した水利権,特に慣行農業水利権を,他の用途に転用し合理化を図ることは,水資源の有効な活用を図るという意味で大変重要である。
また,暫定水利権を解消するための水源措置として,ダム建設が正当化されていることも問題である。そもそも,暫定水利権として扱われている水利権の中には,実質的な水源の確保がなされており,安定的な許可水利権として認めても差し支えないものが多く含まれている。
(2) 河川維持用水(環境用水)に関しては,過大な量が設定されている場合が多々あるが,河川維持用水を過大に設定し,架空の水需要を作出する手法は改められなければならない。
- 渇水・災害対策
全国総合水資源計画(ウォータープラン21)では,水資源開発の必要性について,「利水安全度(水需要にたいして,必要な水量を安定的に供給できる確実性)」を前面に打ち出し,「渇水」時を念頭に,また,地震等の自然災害における水に対する危機管理体制を構築するためにも,さらに水資源開発を充実させることが必要であるとする。しかしながら,わが国の最近の「渇水」事例は,既に多くの事例において,節水対策の強化により,容易に切り抜けられるレベルのものであることが明らかにされている。そのような反省もなく,「渇水対策」と称して,その対策をダム建設に求めるとしたら,ダム建設を半永久的に継続しかねない危険性がある。
渇水対策には,既存のダムによる供給系統とは全く別の供給系統を用意することが,有効かつ現実的な選択である。そのもっとも有効な対策の一つに地下水がある。
かつて,地下水は,地盤沈下の弊害から規制がなされてきたが,渇水時に一時的に使用するだけなら,地盤沈下の問題はほとんど生じない。また,地震等の自然災害時には,そもそも給水システムが機能せず,大量にあったとしても,遠くにある水は役に立たないのだから,災害対策はダム建設の理由にはならない。
第4 公共事業としてのダム問題
- ダム事業及び付帯事業には巨額な費用がかかり,そこにわが国の病弊である公共事業に関わる利権構造が機能する。この利権構造こそ,全国各地に無駄で不要なダム事業を蔓延させた元凶である。
(1) 具体的には,政治家が公共事業で口利きをし,業者からヤミ献金や業界の集票マシーンによる『票』の見返りを受ける。官僚は無駄な公共事業を推進し,公益法人や実質的に公金で出資・設立された実質的には官製のファミリー企業や民間のゼネコンに天下り,退官後も高級官僚OBには高給が保証される。官僚の天下り先のゼネコンは,官庁や公益法人,ファミリー企業から事業を独占的に受注する。ゼネコン同士は利益分配を目的として談合を繰り返し,入札は形式的なものとなり,工事単価が上昇する。この政・官・財の利権構造がある限り,『公金の無駄遣いはやめる』というコスト意識は根づかない。また,直ちにその価値を金銭に換算できない環境や生態系を保護して後世代に承継すべきであるという発想も生じない。
- ① そもそも,国土の基本的開発方針という性格をもつ全総計画の策定には国会が関与する余地がなく,そこでの議論等を通じて,住民が情報に接する機会がない。治水に関する中期計画も,予算の総額しか決定していないので,個別ダム事業に関する実際の計画(箇所付け)は官僚のさじ加減で決まる。各年次の予算ですら,個別事業は予算審査の対象ではないので,国会で実質的な審議を行うことは困難である。
このように日本のダム事業は,全総計画の策定から個別事業に至るまで,徹頭徹尾国会の関与を排除し,そこでの議論等を通じた住民に対する情報が遮断された中で進められている。その結果,ダム建設事業は官僚が主導し,建設が強行されてきた。
- ② ダム事業費は,国の一般会計・治水特別会計,自治体の地方財政計画,財政融資資金特別会計(旧財政投融資)で賄われ,その支出に関しては数多の省庁が所管する。
それぞれの省庁の下には,各省官僚の天下り先の,関連する公益法人やファミリー企業やゼネコンが階層構造をなして存在しているので,ダム事業費の配分をめぐる縦割りシステムは,省庁間だけでなく,民間レベルまで浸透している。縦割り行政によりダム事業の根拠法が乱立し,事業費の配分も複雑で見えにくくなっている。このことが密室で官僚主導の決定を温存する原因となっている。
- ③ また,自治体のダム事業には,国直轄事業の地方負担分,国の補助金をもらう補助事業,単独事業があるが,補助金制度や地方交付税を用いた中央政府によるバラマキ施策の結果,地方レベルでも公共事業偏重化が進んだ。一方,地方自治体は,起債の償還費用の自治体負担部分の償還に追われることとなり,地方財政の悪化は深刻化し,地方自治体の中央に対する隷属・従属関係も確立した。
(2) 公共事業としてのダム問題の解決には,治水や利水という大義名分の下,無制限に投入されてきた巨額の公金の流れを変えることが肝心である。
そのためには,情報公開制度を充実徹底し,利権構造に公金が飲み込まれることを監視することが必要である。また,実際に人々が暮らしている地方に権限と財源を委譲し,税金の使途を,住民が生活者の視点から常に身近な問題としてチェックし,自らが主体となって,公金の使途である公共投資のあり方を決める社会システムを創設する必要がある。その中で,本当にダムが必要なのか,そのためにどれだけの費用をかければいいのか等を流域住民が主体的に考え,意思決定するのである。
- 流域単位での水管理システムの創設
上記のような視点からすると,ダムに関する合意形成は,霞が関からのトップダウン方式ではなく,流域単位・生活に密着した場での下からの積み上げ方式で行なわれるべきである。そこでの基本的評価の基軸のあり方も転換しなければならない。そのような観点から河川法や特定多目的ダム法等のダムに関する法律を簡素化し,かつ整備しなければならない。
(1) 合意形成過程のあるべき姿(流域単位の積み上げ方式)
- ① 上記のように,密室で一部の官僚により恣意的に決められた治水や利水の計画数値を,事業主体が金科玉条のように掲げ,治水の必要性や水源開発の必要性を旗印に,各地でダムが濫造されてきたが,このことへの検証と反省から,ダム計画に関する意思形成を流域住民が主体的に参加し,下から積み上げて形成するシステムを確立する必要がある。
現行制度としては,1995年から建設省内部に設けられたダム等事業審議委員会制度(現在は事業評価監視委員会制度)や,新河川法の河川整備計画案の作成に関して形式上,住民や利害関係人が,意見具申や公聴会への出席により計画に関われるかのような体裁が取られている。しかし,その市民参加の方法は,形だけのものであり全く不十分なものである。また,新河川法でも,河川管理の基本となる河川整備基本方針は,河川審議会で決定することとされ,住民の参加は形式的にも予定されていない。
ダム計画や,その見直し手続に,流域住民が『河川の生態系・自然環境』を代弁したり,自らの生命・財産権を保全する目的で主体的に参加できるシステムを早急に創設する必要がある。そのような役割を期待されながら,現行の環境アセスメント法・条例は残念ながら機能していない。環境アセスメント法のあるべき姿への法改正や運用の改善は勿論,ダム事業に関しては,早急に見直し手続の創設を図るべきである。
- ② その制度のあるべき姿としては,現存する事業評価監視委員会のように行政機関内部に位置付けてはならない。河川管理は流域全体で対処すべき事柄なのだから,流域単位でなされなければならない。また,住民主体の新しいシステムとして地方財政の確立や流域管理と流域意思決定とリンクする独自の存在として位置付けなくてはならない。そして,行政型ADR機関を創設し,その委員等の選任の透明性を高めことはもちろん,徹底した情報公開と審議過程の透明化を行うとともに,その決定に事業主体等に対するなんらかの拘束力を付与する必要もあろう。
(2) 基本的評価のありかた(開発利益と環境利益)
従来のダム計画では,経済波及効果が重視され,他方で自然環境・生態系の価値は矮小化されていた。その結果,単にダム建設コストと,ダムにより創出される経済的効果が見合うか否かだけが衡量されてきた。しかし,最も優先的に考慮されるべきは,ダムの存在により将来世代にわたる良好な自然環境が失われ,多大な『環境負荷・環境コスト』が生じるという事実である。また,100年後には間違いなく廃棄物と化すダム撤去の費用も計画時点で考慮しなければならない。このような価値観・評価を基軸に据え(1)の合意形成を行なっていく必要がある。
第5 訴訟制度改革
現行の行政訴訟の枠組みでは,公共事業としてのダム建設の違法性について,住民が司法の場で争うことは,土地収用がなされた場合等を除いて現実には困難である。司法審査が可能な場合でも,厳格な訴訟要件のために早期の訴訟提起ができず,また,訴訟提起をしても執行不停止原則により行政手続きや建設工事は進行し続けるため,二風谷ダム判決(札幌地裁平成9年3月27日判決・判例時報1598号33頁)のように,訴訟係属中に違法なダムが完成し,事情判決がなされることになりかねない。
また,川辺川利水訴訟にみるように,土地改良事業の違法が確定しても多目的ダムの建設は別の根拠法に依拠して直ちには止まらない。
ダムに関わる実体法を簡素化し,個別実体法におけるきめ細やかな住民参加と行政型ADRに対する不服申立手続を整備することが紛争解決に,より望ましいことはいうまでもないが,それに加えて,今般の行政訴訟改革の中で,個別ダム事業の基本計画自体を行政訴訟の対象に含める等,より早期に訴訟提起を可能とする制度を設計する必要がある。また,原告適格をNGOを含めて広く拡大すること,証拠の偏在を是正する手段をとること,執行停止の原則化または執行停止要件の大幅な緩和を行うことを,我々は強く主張する。
また,市民にとって,より使いやすい司法とするためには,人格権や環境権・自然環境享有権に基づく差止等の民事訴訟手続を利用しやすくするよう,立法措置や法令の解釈運用がなされるべきであり,裁判所の意識・価値観の転換を強く求める次第である。
以上
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