憲法9条改正案の内容
2018年(平成30年)3月,自由民主党は,同党大会において憲法9条1項及び2項を残しつつ,新たに9条の2として「我が国の平和と独立を守り,国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と自衛権を規定の上,「必要な自衛の措置」をとるための実力組織として自衛隊を保持するという条項を書き加える案(以下「自衛隊明記案」という)を公表した。
その後,安倍晋三首相は,この自衛隊明記案について「今ある自衛隊をそのまま憲法に記載するだけであり,自衛隊の実態は何も変わらない」「単に『解釈の制限』を行うだけの規定であるから,憲法上,自衛隊が独自に活動する根拠を与えたことにならず,将来的に軍事的な影響力が拡大する懸念はない」などと述べている。
しかしながら,自衛隊明記案は,憲法の基本原則である恒久平和主義,立憲主義を危険にさらすおそれがある。当連合会は,2018年(平成30年)9月28日の2018年度(平成30年度)定期弁護士大会において,この点を明らかにしたところであるが,この間の自衛隊の任務の拡大や装備の増強等をふまえ,国民生活や基本的人権の保障への影響という観点も含めて,改めて自衛隊明記案の危険性を指摘するものである。
日本国憲法が採用する恒久平和主義と立憲主義の意義
日本国憲法は,「戦争は最大の人権侵害である」という戦争に反対する思想と,アジア・太平洋戦争の惨禍に対する痛切な反省から,憲法前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。・・・日本国民は,恒久の平和を念願し,・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたい,「武力による威嚇または武力の行使を永久に放棄し」(9条1項),「戦力を保持せず,交戦権を認めない」(9条2項)との規定を置き,世界に例を見ない徹底した恒久平和主義を採用している。
また,日本国憲法は,すべての人々が個人として尊重されるために,最高法規として国家権力を制限し,人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤としている。
自衛隊明記案は恒久平和主義を危険にさらすものであること
自衛隊が創設された1954年(昭和29年)以降,政府は,自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は「戦力」に該当しないとの解釈のもと,個別的自衛権は認められるが,他国防衛を本質とする集団的自衛権の行使は認められないと一貫して説明してきた。ところが,2015年(平成27年)9月19日に,当連合会や各弁護士会が繰り返し違憲性を指摘してきた集団的自衛権を容認する安全保障関連法制(安保法制)の成立が強行された。これにより,もともと自衛隊は世界有数の人員と装備を持つ実質的に高い軍事的能力を備えた実力組織であったにもかかわらず,さらに自衛隊の任務・権限は広がり,また装備の増強が進められている。
防衛費を見れば,2015年度から予算は過去最高額を更新し続け,2019年度予算では,防衛費が5兆2千億円を超える金額に増額され,さらに,2018年12月に制定した中期防衛計画では今後5年間で戦闘機の購入などで27兆4700億余円を投入するとしている。
自衛隊の装備面においても,ヘリ搭載型護衛艦「かが」を含む「いずも」型護衛艦を空母化し,米国製F35Bステルス戦闘機を搭載することが検討されている。さらに戦闘機に搭載して敵の射程外から攻撃できる長距離巡航ミサイルを開発する方針も出されている。
安保法制に基づく新任務も続々と行われている。南スーダンへのPKO派遣では,安保法制により可能となった「駆け付け警護」「宿営地の共同防護」が新任務として追加された。イスラエル・エジプト両軍の「多国籍軍・監視団」(MFO)に国際連携平和安全活動の初適用として陸上自衛隊員数人も派遣されている。加えて,自衛隊が米軍の艦艇や航空機を守る武器等防護は2018年には16件行われ,日米同盟の安全保障協力の名のもとで,日米共同訓練も継続的に行われ,日米の軍事的一体化も進んでいる。
自衛隊明記案は,上記のような人員,装備を持ち,軍事的能力を保有する自衛隊を憲法上の機関として位置づけることを意味する。違憲である安保法制により拡大された任務を行う現在の自衛隊を追認することとなり,防衛費増大や軍備増強の流れが一層加速し,恒久平和主義に根本的変容をもたらすおそれが大きい。
しかも,自衛隊明記案は,憲法9条の規定を維持しているものの,「前条(9条)の規定は,…必要な自衛の措置をとることを妨げず」と規定されている。この「必要な自衛の措置」の定義は不明確で内容が限定されておらず,また,「妨げず」との規定により,「必要な自衛の措置」であれば,憲法9条1項の武力行使や武力による威嚇を放棄する旨の規定,及び同条2項の戦力の不保持・交戦権の否認の規定の制約は受けないと解釈されるおそれがある。さらに,「必要な自衛の措置」の解釈次第ではいわゆるフルスペックの(制約のない)集団的自衛権の行使に憲法上の根拠を与えることとなるおそれすらある。そうなれば,もはや,軍事によらずに国民の安全と生存を保持しようという日本国憲法の恒久平和主義の意義は完全に失われることとなる。
自衛隊明記案は立憲主義を危険にさらすものであること
自衛隊は,発足後,一貫して,憲法9条2項の「戦力」に該当してはならないという限界の中で存在してきた。そのため,政府は,自衛隊を創設し,あるいはその任務,権限,組織,装備等を拡大しようとする際には,日本国憲法の恒久平和主義に反しないこと,とりわけ憲法9条2項の「戦力」に該当しないことを説明しなければならず,そのためにさまざまな政府解釈を生みだし,一定の限界を画することを余儀なくされてきた。
このようにして,憲法9条は,現実政治との間で深刻な緊張関係を強いられながらも,政府による自衛隊の活動等の拡張に対する一定の統制機能を果たし,海外における武力行使,集団的自衛権の行使及び攻撃的兵器の保有を禁止するなど,憲法規範として有効かつ現実的に機能してきた。
ところが,政府は,集団的自衛権の行使は許されないとする政府解釈を変更し,安保法制の成立を強行した。しかし,1954年(昭和29年)以来続いてきた集団的自衛権の行使は許されないとする確立した政府解釈は,憲法尊重擁護義務(憲法99条)を課されている国務大臣や国会議員によってみだりに変更されてはならず,また,下位にある法律によって憲法の解釈を変更することは,憲法に違反する法律や政府の行為を無効とし(憲法98条),政府や国会が憲法に制約されるという立憲主義の観点から問題があるもので,許されるものではない。
自衛隊明記案は,現在の憲法9条の政府に対する統制を緩やかにすることで,上記の通り問題のある安保法制を追認しようとするものであり,立憲主義の観点から問題がある。上述のとおり,自衛隊明記案は「必要な自衛の措置」であれば,憲法9条1項及び同条2項の制約は受けないと解釈されるおそれがあり,「必要な自衛の措置」の解釈次第ではいわゆるフルスペックの(制約のない)集団的自衛権の行使も可能となるおそれすらある。その上,自衛隊明記案は,「自衛隊の行動は」「国会の承認その他の統制に服する」としつつ,その具体的内容は「法律で定める」としているため,自衛隊に対しては憲法上の具体的な統制は及ばないこととなる。やはり,立憲主義の観点から問題である。
国民生活,基本的人権の保障に多大な影響があること
自衛隊を憲法に明記すれば,自衛隊は憲法上の組織となり,公共性を根拠として,軍事機密の保護が憲法上の要請との解釈が可能となってしまう。現在でも,特定秘密保護法により「防衛に関する事項」が広範囲に秘匿されているところ,自衛隊が憲法上の組織となったことでこれが拡大され,報道機関の取材の自由や市民によるこれに関する意見の表明などが封じられることとなる。それ以上に,「自衛隊」に関する情報公開は認められないおそれがある。
その結果,国民の表現の自由(知る権利)は大幅に制約されることとなる。さらに自衛隊の情報が秘匿されることで,自衛隊の実情を知ることができない結果,自衛隊に対する民主的統制が及ばなくなるおそれもある。
上述の通り,現在でも防衛費は増加の一途をたどっているが,自衛隊が憲法に明記されることにより,「我が国の平和と独立を守り,国及び国民の安全を保つため」との名目により,更に防衛費が増加するおそれが大きい。その結果,社会保障関連費等,国民生活に関連する予算が縮小され,国民生活に影響が出ることとなる。
国民投票を行う上で要請されること
憲法改正の国民投票は,主権者である国民に判断を仰ぐ以上,判断の前提となる情報が正しく伝えられた上で,国民の意思が十分反映される方法によって実施されなければならない。
しかし,憲法改正手続法には,有料広告に関し,資金力の多寡により国民に提供される情報量に偏りが生じ,投票結果を左右し,国民の意思をゆがめるおそれがあるという問題がある。また,いわば冷却期間として設けられた有料広告禁止期間は国民投票運動のための有料の広告放送(勧誘CM)が国民投票期日前14日のみに限定されて禁止されているにすぎない。その期間として十分なものか延長の必要性に関し検討が必要である。また意見表明のための有料の広告放送(意見表明CM)は禁止されていないという問題がある。
加えて,最低投票率の規定がないため,全有権者のうち少数の賛成しか得られなくても憲法改正が行われる可能性があり,主権者たる国民の意思が十分反映されないまま憲法改正がなされるおそれがある。国の最高法規の現状を変更する旨の意思表示は明白かつ積極的なものであるべきであり,憲法改正の重要性や硬性憲法の趣旨からしても,全国民の意思が十分反映されたと評価できる最低投票率が定められるべきである。
よって,仮に今後,憲法改正案を発議するのであれば,その前に上記で指摘した点を含め,憲法改正手続法の各問題点の抜本的改正を行うべきである。
おわりに
当連合会は,基本的人権の擁護と社会正義の実現を旨とする弁護士の団体として,憲法価値の実現を図る責務があるとの認識のもと,2013年度(平成25年度)から毎年,日本国憲法についての決議を行ってきた。
当連合会は,上記責任を果たすべく,今般議論されている憲法9条改正案が日本国憲法の恒久平和主義と立憲主義を危険にさらすおそれがあること,国民生活,基本的人権の保障に多大な影響があることを明らかにするとともに,国民主権の観点から憲法改正手続法の抜本的改正を行うことを求めることを,ここに決議する。
2019年(令和元年)9月27日
関東弁護士会連合会
上記4項目のうち,「自衛隊の明記」(憲法9条の2)に関する条文案は,次のとおりである。
以上