関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

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2020年度(令和2年度) 大会決議

改めて,日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する決議

 当連合会は,新型コロナウイルスの感染拡大の非常事態の経験を経た現在においても,改めて,日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する。

2020年(令和2年)9月25日
関東弁護士会連合会

提案の理由

  1. 1 提案の背景
     自由民主党は,2018年3月,同党大会において,憲法9条1項,2項を残した上で「必要な自衛の措置をとるための実力組織」として自衛隊を憲法に明記すること及び緊急事態条項新設などの4項目の改憲案を示した。安倍前首相は,「憲法改正を成し遂げる」と公言して憚らず,本年5月3日にも,緊急事態宣言下で開催された憲法改正推進派のインターネット集会に緊急事態条項の必要性を訴えるメッセージを送っている。また,改正新型インフルエンザ等対策特別措置法(コロナ特措法)に基づき発令された「緊急事態宣言」に乗じて,将来の非常事態(なお,本決議では「緊急事態」条項と用語の区別をするため,非日常的な大災害や軍事的事態等を総じて「非常事態」という。)に備えた緊急事態条項を求める指摘もある。さらに,この新型コロナウイルス感染拡大が第2波,第3波と続いた場合,憲法上の国会議員の任期に関し,法定の期間に選挙を行うことができないこととなってしまうとの問題点を指摘して,緊急事態条項新設の必要性を訴える意見も出ている。
     しかし,緊急事態条項(国家緊急権)は,戦争や大災害といった非常事態において,国権の最高機関である国会の立法を経ることなく,内閣に権限を集中させて人権制限を行うことを可能とするものである。そのため,緊急事態条項(国家緊急権)には,国会による民主的コントロールや裁判所による司法統制を受けないことによる権力の濫用の危険が常につきまとう。
     当連合会は,この権力の濫用の危険を孕む緊急事態条項(国家緊急権)を憲法に創設することに反対であり,この点は,すでに2016(平成28)年9月9日の同年度関東弁護士会連合会大会決議において明確にしているところである。そして,今般,当連合会は,新型コロナウイルス感染拡大の非常事態の経験を経た現在においても,憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を新設すべきではないとの意見が微塵も揺るがないことを改めて明らかにする。
  2. 2 現行憲法下でも,法律を整備することにより自然災害等の非常事態に対処可能であること
     日本国憲法制定から70年以上の間,我が国は,非常事態の対応についてあえて規定を設けなかったものであり,「必要があれば議会を招集して立憲的に万事を措置することが妥当」(1946年の帝国議会における金森徳次郎憲法担当大臣の答弁)との方針を守ってきた。大地震などの自然災害や感染病などの非常事態(以下,「自然災害等の非常事態」という。)の対応についてはすでに十分な法律が整備されており,憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設する必要性はない。
     例えば,死者・行方不明者が5000人を超えた伊勢湾台風(1959年)の際には災害対策基本法を制定し,物資の価格統制や債務の支払い猶予を可能とした。東海村JCO臨界事故により国内ではじめて原子力事故による死亡者が出た際(1999年)も,原子力災害対策特別措置法を整備することによって対処し,新型インフルエンザが世界的に流行した際(2012年)には,新型インフルエンザ対策特別措置法を制定し,一定の私権制限を可能とすることにより対応してきた。現行憲法下でも,自然災害等の非常事態が発生して国に重大な影響を及ぼすような場合,内閣総理大臣が災害緊急事態を布告し(災害対策基本法第105条),国会の召集ができない場合等においても,生活必需物資等の授受の制限,価格統制,及び債務支払の延期等を決定できる(同法第109条)のであり,さらに都道府県知事の強制権(災害救助法第7条~第10条等),市町村長の強制権(災害対策基本法第59条等)など,自然災害等の非常事態に対応するための規定は,法律において十分に整備されている。
     今回の新型コロナウイルス感染拡大の非常事態においても,2020年3月にコロナ特措法が制定された。このコロナ特措法に基づき,同年4月8日には,内閣によって,東京都,神奈川県,埼玉県,千葉県,大阪府,兵庫県,福岡県に対して緊急事態宣言が発令され,同月16日には全国に拡大された。この緊急事態宣言により,県外への移動や外出の自粛,店舗の経営の自粛,イベントの開催中止の要請等が行われた。これらの法整備によって,仮に今後新型コロナウイルス感染拡大の第2波,第3波が到来した場合でも,憲法に緊急事態条項がないために対応できないという事態は予測できない。現行憲法に緊急事態条項がなかったから,今般の政府の対応の遅れが生じたと指摘する意見もあるが,それは現行憲法に緊急事態条項がないからではなく,非常事態に対する事前の準備を怠り,現行憲法下でも行える立法措置等の迅速・適切な発動が遅れたために過ぎない。
     災害対策の基本は,「準備していないことはできない」という点にある。災害対策は,過去の災害を検証して,これに基づいて将来の災害を予測し,あらかじめ法律を整備しておくことによって,はじめてその効果的な対策をとることができる。あらかじめ法律を整備することこそが重要なのであり,憲法に緊急事態条項がないことを,非常事態対策の遅れの理由にさせてはならない。
     今回の新型コロナウイルス感染拡大の経験を経た今日においても,憲法を改正して緊急事態条項(国家緊急権)を創設する必要性がないことは明らかである。
  3. 3 軍事的な非常事態や国政選挙が実施できない非常事態を理由とする緊急事態条項(国家緊急権)の創設についても,憲法改正の必要性がないこと
     また,緊急事態条項(国家緊急権)の必要性を訴える意見からは,内乱やテロ,他国からの武力攻撃など軍事的な非常事態への対応のために必要と指摘される。
     しかし,軍事的な非常事態に際し,これを危機的事態と煽りたて国家緊急権が発動される場合,権力が濫用される危険は,自然災害等の非常事態の場合よりはるかに大きい。そして,軍事的な非常事態に際し,国家緊急権が一旦濫用されると深刻な人権侵害を招き,その回復には多大の困難が伴うことは歴史が証明している。
     現在のわが国を取り巻く情勢において,憲法を改正してまで対応しなければならない軍事的な非常事態は想定しにくい。権力の濫用の危険を有する緊急事態条項(国家緊急権)を創設してまで,軍事的な非常事態への対処のために憲法を改変する必要性はない。
     また,今回の新型コロナウイルス感染拡大が長期化すると,衆議院議員の任期満了となる2021年10月まで衆議院議員選挙を実施できず,国会が機能不全に陥るとの指摘もある。しかし,2021年10月に国政選挙が行えないほどの非常事態は想定しにくい。実際,過去において,衆議院議員選挙を行えないまま衆議院議員の任期満了が経過してしまった事例がなく,議論の前提となる非常事態が極めて稀なケースを想定しているというほかない。
     現行憲法には,衆議院が解散されたときの参議院の緊急集会という民主的コントロールを担保する制度がある(憲法第54条)。また,大震災等で投票の実施が不可能となった場合であれば,繰延投票制度(公職選挙法第57条)が用意されており,投票の実施が可能となった段階で,選挙を実施し,議員を補充すれば足りる。また,非常事態における選挙制度の在り方について議論を深め,現行公職選挙法のもとで,もしくは同法の改正によって,不在者投票制度や郵便投票制度の利便性を高めて,有権者の投票機会を保障することでも大きくカバーできよう。実際,過去にも繰延投票制度は実施され(1965年参院選 熊本県・坂本村の一部,五木村,1974年参院選 三重県・伊勢市の一部,御薗村)支障を来したことはなく,あえて今回の新型コロナウイルス感染拡大の事態を理由に,現行憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設する必要性はない。
  4. 4 緊急事態条項(国家緊急権)創設に内在する権力濫用の危険性
     当連合会が,緊急事態条項(国家緊急権)の創設に強く反対するのは,以上のように現状の制度の整備・活用で足りるからという理由のみではない。より重要な理由として,緊急事態条項(国家緊急権)は,権力によって濫用されてきた歴史的事実があり,緊急事態条項(国家緊急権)を創設することが立憲主義の根幹を揺るがしかねない危険性を有しているからである。
     20世紀初頭,ワイマール憲法下のドイツ共和国では,国家緊急権(大統領緊急令)が政治的利用されたことで,後のヒトラー政権の誕生,全権委任法の制定につながり,ナチス独裁国家につながった。現代国家では,民主主義が成熟しているので,ナチス政権のような事態は起こりえないとの指摘もあるが,つい先日,わが国でも,法律及び従来の法解釈を違えて,政権が元東京高検検事長の定年を超えて勤務延長を閣議決定した権力濫用の事実がある。この政権の暴走を,元検事総長ら検察OBは,法務省に提出した意見書において,「フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり,近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない」と指摘した。この問題は元東京高検検事長の辞任により解決したかの様相を示しているが,未だ政権は,この閣議決定及びその前提となる解釈変更が誤りであったことは認めておらず撤回もしていないことから,将来における悪しき先例として利用される危険性は残っている。
     権力の濫用の危険は,過去の歴史上の出来事ではなく,現代国家権力にも等しく内在する危険である。そのため,憲法改正の必要性もないまま,安易に行政府に権力集中を認めるような緊急事態条項(国家緊急権)の創設を容認するようなことがあってはならない。
  5. 5 結論
     以上のとおり,新型コロナウイルス感染拡大の経験を経た今日においても,緊急事態条項(国家緊急権)を創設しなければならない必要性はない。むしろ,緊急事態条項(国家緊急権)は立憲主義の理念と相容れず,常に権力濫用の危険があり,特に軍事的な非常事態において,この緊急事態条項(国家緊急権)が一旦発動,濫用された場合には,憲法が保障する人権は,広範囲に深刻な侵害を受けることになる。
     したがって,当連合会は,改めて,日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに改めて反対する。
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