関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

棋士
宮嶋 健太さん

とき
2026年7月10日
ところ
都内某所
インタビュアー
会報広報委員会委員 山浦能央

今回の「関弁連がゆく」は、棋士の宮嶋健太さんです。岐阜市出身の宮嶋さんは、2023年に24歳でプロ入りを果たした新進気鋭の若手棋士で、藤井聡太六冠の盟友としても知られています。若手ながら公式戦でのご活躍に加え、SUNTORY将棋オールスター東西対抗戦では史上初となる東西両予選の突破を達成するなど、大躍進を遂げておられます。今回は、天才少年時代から棋士になるまでの道のり、将棋普及への思いなど様々なお話を伺いました。

将棋を始められたきっかけを教えてください。

宮嶋さん 5、6歳の頃のお盆に祖父から教えてもらったのがきっかけですね。すぐに夢中になって、父に将棋盤を買ってもらったことを覚えています。

そこからどのように腕を磨かれたのですか。

宮嶋さん 親が熱心で、父が週5日ほど地元の子ども将棋教室に連れて行ってくれました。おかげで小学1年の時に小学生名人戦の岐阜県代表になりまして、東日本大会では当時小学3、4年生くらいだった増田康宏さんや近藤誠也さんといった後に棋士になられる方々とも対局しましたね。

天才少年ぶりが凄いですね!それからも快進撃が止まらず、何と小学4年生でアマ竜王戦の史上最年少の岐阜県代表になられて、さらに奨励会(※1)にも合格されました。
(※1) 棋士の養成機関で6級から三段までの階級があり、三段リーグ戦を勝ち抜いた上位2名(年間4名)のみが四段(プロ)となることができる。満26歳までに四段に昇段できなければ退会となる年齢制限がある。

宮嶋さん 奨励会は実は当時の実力では受かるとは思っていなくて、翌年に向けて雰囲気に慣れておこうと模擬試験のつもりで受けたら受かってしまったんです(笑)。ただ実力不足の中での入会でしたので、例会では3連敗か1勝2敗ばかりでした。小学4年生で岐阜羽島駅から一人で新幹線に乗って大阪の関西将棋会館まで通っていたんですが、帰りの新幹線ではよく泣いていましたね。

第56期王将戦第2局前夜祭にて(2007年1月)。
前列左が宮嶋さん、後列は羽生善治王将と挑戦者の佐藤康光棋聖(肩書は当時)

その後、成績不振により小学5年生で奨励会退会となってしまいました。当時のお気持ちはいかがでしたか。

宮嶋さん 当時は泣きじゃくった記憶があるんですけど、今思い返してみると、不思議と挫折とは感じませんでした。悲観的にならずに「また再チャレンジしよう」と切り替えられましたし、将棋を嫌いになることもなかったですね。

そして小学6年生の時に小学生名人戦で優勝されます。元奨(※元奨励会員の略称)のアマ名人は沢山おられますが、元奨の小学生名人は聞いたことがありません。宮嶋先生以外にもおられるんですか。

宮嶋さん 私以外いないですね(笑)。小学4年生で奨励会に入るのは藤井さんや渡辺明九段のようなエリートばかりで、退会して小学生名人戦に出場するというのは相当イレギュラーなんです。小学生名人戦で優勝できて素直に嬉しかったんですが、周りからは「元奨だから優勝して当然」という表情をしていたと言われましたね(笑)。

「JT将棋日本シリーズこども大会」東海大会決勝での一コマ(2009年6月)。
左は当時小学6年生の柵木幹太五段、右は当時小学4年生の宮嶋さん。

その後、奨励会に再入会されますが、3歳年下の藤井聡太六冠とは、当時から親交が深かったそうですね。

宮嶋さん 東海出身の奨励会員を集めた研究会があって、藤井さんは研修会(※2)の頃から参加されていました。当時から序盤は多少粗さがあっても終盤力が凄まじくて、どんな展開になっても最後は藤井さんが勝つという将棋が多かったです。3歳下なので最初はあまり意識していなかったんですが、奨励会3級の時に追いつかれまして、今思うと当時から実力は相当離れていたんだなと思いますね。
(※2)日本将棋連盟が主催する棋士、女流棋士、奨励会員を目指す少年少女のための実力養成機関

奨励会時代の藤井聡太六冠との思い出をお聞かせいただけますか。

宮嶋さん 土曜日の奨励会の例会が終わった後に、東海のメンバーで関西将棋会館の近くの銭湯に行って、そのままみんなで将棋会館に雑魚寝をして、翌日曜日の奨励会トーナメントという大会に臨んでいたのですが、今思い返すと青春ですね(笑)。あと、藤井さんがプロになった後も私は記録係として藤井さんの対局の記録をよく取っていました。普通は年下の活躍は悔しいものですが、藤井さんはあまりに突出していたので悔しさよりも「強い人から学ぼう」という気持ちでしたね。順位戦などでは終電を逃してしまうので、二人で将棋会館に泊まって徹夜したこともありました。当時の藤井さんは有名になり過ぎて外を出歩けない時期で、私がコンビニに買い出しに行くんですが、「カップ春雨が欲しい」と言われて買いに行ったのは懐かしい思い出です(笑)。

素敵なご関係ですね。さて宮嶋先生は2023年に24歳で四段に昇段されましたが、奨励会生活は13年に及びました。お辛かった時期はいつでしょうか。

宮嶋さん 私は初段に3年10か月いて、高校の3年間は一度も昇段できませんでしたが、この時期は何度も辞めようと思って特に辛かったですね。ちょうど高校卒業の時期と重なって、将棋を諦めて大学に進学することも考えました。両親と話し合って「1年で三段に上がれなければ大学に進学する」と決めたんですが、結果的に三段に上がれたので進学はしませんでした。

同郷の岐阜県出身で3歳年下の高田明浩四段が先にプロになられた時もお辛かったと伺っています。

宮嶋さん そうですね。翌日の地元の岐阜新聞の一面で「プロ誕生」と報じられて、「自分だった可能性もあるのかな」と本当に悔しかったです。ただ今になってみると、身近な仲間が上がっていく姿は「自分も上がれるんだ」という希望にもなりましたし、この悔しさをバネに奮起できたことが昇段の一因だったと思います。

三段リーグには約40人が在籍されていますが、半年に2名しか四段(プロ)に昇段できません。どのような世界なのでしょうか。

宮嶋さん 将棋界には「三段まで行ってやっと半分」という言葉があるんですが、本当にその通りですごく厳しいです。棋士(プロ)は負けても次の対局がありますが、奨励会員は負けたら何もなくて、本当に死ぬしかないような世界です。例会の対局では2連勝以外は全てを否定されるような気持ちになりますね。でもどれだけ苦しくても、そこで辞めれば今まで積み重ねてきたものを全て否定されることになりますので、自分から辞めるという選択肢はないんです。奨励会には26歳の年齢制限があるのですが、その年齢制限が迫る中で、「自分は棋士になれないのでは」と思いながら盤に向かっていました。最後の方は苦しい思い出しかないですね。

三段リーグには8期(4年間)在籍されていますが、最後は15勝3敗の1位という圧倒的な成績で四段に昇段されました。それまでとは何が変わったのでしょうか。

宮嶋さん 私はもともと長考派で、早い段階で持ち時間を使い切って、そこから負けてしまう将棋が多かったんですが、研修会でご指導いただいていた澤田真吾七段から「一分将棋になったら負けだよ」という言葉をいただきました。実は長考する時は、実はどちらを選んでもいい局面が多いんですよね。長考派の澤田先生の言葉だからこそ説得力があって、そのアドバイスをいただいてから、長考が減って、直感を信じて決断よく、伸び伸びと指せるようになりました。それが昇段に繋がったと思います。

三段リーグを勝ち抜いて、念願のプロ入りが決まった時のお気持ちはいかがでしたか。

宮嶋さん 「これからも将棋を続けていいんだ」と思って本当にホッとしましたね。お世話になった方々の顔が浮かんできましたし、将棋を続けられる喜びが大きかったですね。

さて宮嶋先生は、棋士になった直後に西山朋佳女流三冠(当時)の棋士編入試験第四局の試験官を務められました。私は編入試験のドラマチックさに魅了されて折田翔吾先生(2022年8月・9月合併号)、小山怜央先生(2023年10月・11月合併号)にもお話を伺っていますが、ぜひ試験官というお立場からお話を伺いたいです。まずどのようなお気持ちで臨まれましたか。

宮嶋さん 棋士になったばかりの新四段が、あれだけ注目される大舞台で将棋を指せる機会をいただいたことは嬉しいことですので、前向きに考えようと思っていました。ですが注目度や責任も大きく、「負けられない」という重圧が凄くて、いつもの対局とは全く違うものがありましたね。

西山先生の三間飛車、宮嶋先生の居飛車急戦という戦形になりましたが、残念ながら宮嶋先生の敗戦となりました。振り返られていかがですか。

宮嶋さん とにかく自分が情けなかったですね。試験官はプロの代表なのに序盤の作戦も甘くて、普段なら見えるはずの手が見えていませんでした。これからだと思っていた局面で実は必至(※3)がかかっていて、その負けに気付いていなかったんです。
(※3)どう受けても次に必ず玉が詰んでしまう(受けられない)状態のこと

西山先生が▲2四金と打たれた局面でしょうか。

宮嶋さん そうです。プロなら一目で分かる局面なのに、私はその必至の順が全く見えていませんでした。「知らないうちに切られている」という普段の対局ではまずあり得ない感覚を味わって、情けなくて奨励会時代を含めても経験したことのない大きな喪失感を味わいました。対局後は、誰もいなくなった棋士室で椅子にもたれたまま動けなくて、何も考えられずに、ただ天井を見つめていましたね。

この対局から得られたものはありますか。

宮嶋さん 「負けられない」という気持ちで指すと、負の感情が先に立って、ミスをした時に悪循環に陥りやすいんです。そうではなく「勝ちたい」という気持ちで指さないと、いい結果は生まれないということを学びましたね。

それからの宮嶋先生のご活躍は素晴らしくて、特に昨年度は公式戦でも好成績を残されましたし、非公式戦のABEMAトーナメントやSUNTORY将棋オールスター東西対抗戦でも目覚ましいご活躍でした。ご自身ではどう振り返られますか。

宮嶋さん 非公式戦では普段なかなか指せないトップ棋士の方々と指す貴重な機会をいただけましたし、公式戦でも昨年は26勝14敗と安定した成績は残せたと思います。でも順位戦の最終局に勝てず昇級を逃したのが本当に大きくて、何も成し遂げられませんでした。そういう意味では非常に物足りない一年だったと感じています。

そう仰いますが素晴らしいご活躍でした。特にABEMAトーナメントではエントリーチーム(メンバーは宮嶋先生、山崎隆之九段、村田顕弘六段)のリーダーとしての重責を立派に果たされて素晴らしかったです。今年はさらなるご活躍を期待しています。

宮嶋さん ありがとうございます。

さて、普及のことを伺いますが、私自身、岐阜県弁護士会の堀田弁護士にお誘いいただいて、昨年7月に岐阜の弁護士会館で宮嶋先生にご指導していただきました。対局中に何度も笑いが起きる、あんなに温かく楽しい指導対局は初めてでしたので衝撃を受けました(笑)。指導対局ではどのようなことを心掛けておられるのですか。

宮嶋さん ありがとうございます(笑)。指導対局には「強くなりたい」という方と「将棋を楽しみたい」という方がいらっしゃって、どちらかというと楽しみたい方が多いのかなと思うんです。プロとの対局はどうしても緊張されますから、柔らかい空気を作って楽しんでいただきたいという気持ちで指しています。あと、指導対局の一番良いところは、対局後に交流したりアドバイスを受けたりできることですので、感想戦はできるだけ長く取るようにしています。

岐阜県弁護士会館での指導対局の様子(令和7年7月4日)

あの温かい雰囲気は宮嶋先生のご人徳だと思いましたね。上達を目指す子ども達やアマチュアにアドバイスをいただけますか。

宮嶋さん 「負けは悪いことじゃないよ」ということは、子ども達によく伝えています。藤井さんも最初は沢山負けて、その積み重ねで今がある訳ですから、どれだけ負けても沢山指してほしいです。将棋は楽しいゲームですから、勝ち負けに関係なく楽しむ気持ちを忘れないで欲しいですね。

私も楽しんで将棋を指したいと思います。さて先生はずっと地元岐阜を拠点に活動されてきましたが、昨年東京に拠点を移されましたね。

宮嶋さん 岐阜で25年間生まれ育って、岐阜の皆様に将棋を教わり、愛されて成長したと実感しています。棋士になれたら岐阜に残って対局と普及を両立して、恩返しをしたいと思っていたんですが、プロ入り直後に若手四段との対局で4連敗を喫しまして、このままでは強くなるのに限界があるのではないかと感じました。今は実力を高めて、公式戦で結果を出すことが岐阜の皆様への恩返しだと考えて、環境を変えるなら今しかないと上京を決めました。

新天地でのご活躍を期待します。最後に宮嶋先生の今後の目標をお聞かせください。

宮嶋さん 今の実力で大きなことは言えないんですが、棋士をやっているからにはタイトルに挑戦したいと思っています。目標は高く持たないと、そこに近づけませんからね。藤井さんとタイトル戦をやったらすごく面白いんじゃないかという気持ちを勝手に持っていまして(笑)、それを実現できるように日々精進していきたいです。

宮嶋先生と藤井六冠のタイトル戦は想像しただけでワクワクしますね。絶対実現してくださると信じています。本日は貴重なお話をありがとうございました。

【インタビュー後記】

場所:岐阜県弁護士会館(令和7年7月4日) 手合い:飛車香落ち
93手目 上手(宮嶋先生)△8二玉まで(便宜上先後逆)

図は、本文でも触れた岐阜県弁護士会館での指導対局(飛車香落ち)の最終盤。万年級位者の筆者にしては珍しくうまく指せて勝ちを意識していました(将棋AI「水匠」の評価値でも「▲下手+4500」)。ここから▲6四成銀と根元の角を取って、以下△4一金、▲7四銀成と進めば下手の勝ちだったようですが、実戦は▲6一竜と指した手が「詰めろ」ではなく大悪手。△5九銀(この手が見えていなかったのが酷い)からあっという間に必至を掛けられて敗戦となりました。残念な一局でしたが、今回のインタビューでこの図面をお見せしたところ、「この局面覚えてますよ」と何と宮嶋先生は1年前の指導対局のことを覚えておられました!棋士の記憶力に驚嘆するとともに、指導対局でも全力で向き合ってくださるその姿勢に、あの温かい指導対局の理由を見た気がしました。

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