従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。
俳優・タレント
金剛地武志さん
本日の「わたし」は音楽家・俳優・タレントと幅広い顔を持つ金剛地武志さんです。
金剛地さんは,伝説のバンド「yes, mama ok?」のリーダーとして1995年にデビュー。2001年からはタレント活動も始め『クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ)』『ラジかる!!(日本テレビ)』などに出演,俳優としても『ケータイ刑事シリーズ』や『木更津キャッツアイ』などで独自の存在感を放つほか,最高裁判所が裁判員制度のPRのため2006年に制作した広報映画『評議』では被告人役を務めるなど司法界でもお馴染みです。2004年には世界エア・ギター選手権で日本人として初めて4位に入賞し,エア・ギター界のパイオニア的存在と呼ばれるなど,その幅広い活動からは目が離せません。
―今日はよろしくお願いします。端的にお伺いしますが「金剛地武志」とは何をやっている人なんですか?(笑)
金剛地さん どういう仕事で呼ばれるかによって変わりますが…確定申告は「音楽家」でやっています。もともと音楽家としてデビューしたわけですし,いきなり「俳優」とか書いても税務署に驚かれるかなと思って。まあ,税務署が驚くような収入はないんですけどね(笑)。
―そんなことはないでしょう(笑)。今はフリーでお仕事をなさっていると聞いていますが,どなたかマネジメントの人を雇ったりしているんですか。
金剛地さん いいえ,基本的に一人で仕事は請けています。出演依頼とかもツイッターで(笑)。
―ツイッターで!(笑)すごいなあ。現在持っているレギュラー番組は。
金剛地さん 今はNHKの中学生日記の先生役をやっています。これはたまにしかないので準レギュラーという感じですが…。それから任天堂3DSというゲーム機に毎日勝手に配信されるコンテンツというのがあるんですが,その中の一つ「日刊トビダス」というのをやっています。
―1995年に「yes, mama ok ?」というバンドで,「コーヒーカップでランデヴーって最高よ」という曲を発表してデビューしましたが,本当に名曲ですね。
金剛地さん ありがとうございます。
―デビューは26歳の時ということで,普通よりちょっと遅めだと思いますが,それまでは何をやっていたのですか。
金剛地さん 東京造形大学でデザインを学んでいましたので,卒業後はインテリアや建築の専門学校で助手をやっていました。そのときはボーナスも出たりしてね…(遠い目)。まあ,サラリーマンをやっていました。
―高校時代は小山田圭吾(注:フリッパーズ・ギター,コーネリアスなどで有名な音楽家)と一緒にバンドをやっていたとか?
金剛地さん 一つ後輩でした。一緒にバンドをやったというほどではないんですが,同じロック研に所属していたので一緒に演奏する機会はありました。恥ずかしい話ですが,あるとき小山田に「プロになりたいの?」と訊いたら,彼は「まあ,出来れば・・・」なんて言うので,「俺は絶対プロになりてえよ!」と言ったことがあります。彼の方が先にデビューして今はレジェンドですが(笑)。
―「yes, mama ok ?」は男性2人,女性1人の3人組ですが,作詞,作曲,編曲のほか,楽器の演奏も全て金剛地さんが一人でやっているんですね。
金剛地さん そうです。女性はボーカル,もう一人の男性はパッケージデザインなどを担当しています。
―実は今回過去の音源を聴かせて頂きましたが,金剛地武志はまぎれもなく音楽の天才ですね。
金剛地さん ありがとうございます。でも音楽ではホントに全然売れなかったんですよ。
―楽器は独学ですか。
金剛地さん 全部独学です。中学生のときに親にベースギターを買ってもらったのが最初です。
―ベースですか。渋いですねえ。
金剛地さん 最初は親にエレキ・ギターが欲しいと言ったのですが「エレキ・ギターは不良だから絶対ダメ」って言われまして(笑)。
―どちらもエレキには違いないけど…。親としての基準があるんですね(笑)。ピアノも上手いですよね。
金剛地さん 当時は結構弾けましたね。曲を録音するときに必要なパートだけ徹底的に練習する感じでした。今は全然ダメです。
―デビュー後は予想に反してあまり芳しくなかったわけですね。
金剛地さん それはもう全く売れませんでしたね。でも京都ではバカ売れしたんですよ。出すアルバムみなドメスティック・チャートで1位になりました。おかしな街です(笑)。
―いっそのこと京都から世界に「made in KYOTO」と発信して日本に逆輸入した方が売れたかもしれませんね。
金剛地さん その手がありましたね(笑)。
―2000年には「CEO」というアルバムが出ましたが,すぐに入手困難になって中古市場ではびっくりするような価格で取引されていましたね。
金剛地さん CEOは大手レコード会社傘下のレーベルからリリースしたのですが,僕らがリリースした1か月後に会社が倒産してしまって,僕らには原盤権もなかったから,いきなり廃盤・回収・焼却となってしまって,本当にショックでした。
―「CEO」は昨年(2010年)に再発されました。本当に名盤だと思います。
金剛地さん 再発に関わったスタッフの熱意には本当に感謝しています。
―リスペクトしている音楽家とかはいるんですか?
金剛地さん 重要な作曲家って数えるほどしかいないんですよね。コール・ポーターとかバート・バカラックとかヘンリー・マンシーニとかアントニオ・カルロス・ジョビンとか。でもこんな話でいいの?(笑)
―ちょっとマニアックですね(笑)。ではタレントや俳優としての活動を伺いましょうか。
金剛地さん タレント活動は,2001年にMXテレビの「テレバイダー」というニュースのパロディをやる番組の企画があって,いきなりアンカーマンをやれと言われたんですよ。
―いきなり主役ですか。すごいですね。
金剛地さん そうしたら,これがものすごく受けまして,これまで音楽でがんばってたのは何だったんだくらいに(笑)。自分の評価や適性なんて自分で決めちゃいけないなと思いました。それからは依頼されるがままにタレントや俳優を…。
―クイズヘキサゴンⅡにもずっと出られていましたね。俳優もそのころからですか?
金剛地さん そうですね。学生時代は演劇とかやっている奴らの雰囲気が大嫌いだったんですが,まさか自分がやることになるとは。今では大好きですけど。
―最高裁判所の「評議」では被告人役ですね。
金剛地さん このとき初めてメガネをつけない役をしました。ギャグもないし真面目に一生懸命演じましたよ。このとき事務所の社長から「これに出たらもう金剛地も悪いことはできないだろう」と言われましたよ(笑)。もちろんしませんけどね(笑)。
―その後そうでない方もいたみたいですが…(笑)。ところで金剛地さんといえばエア・ギターの話は外せません。
金剛地さん 2004年ころ僕がもっていた番組でエア・ギターの世界大会を紹介したことがあって,放送作家さんから「金剛地にエア・ギターの大会に出させてみたらどうだろう」という企画が上がりました。僕は「おいおい待てよ,俺はミュージシャンだぜ!?」と思いましたが,まあ仕事ですのでね。とりあえず世界大会の行われているフィンランドへ行きました。予選から参加しましたが,僕も番組の予算をもらって行っているので「他のコンスタント(参加者)みんな蹴落としてやる!」くらいの気持ちでプレイしました。ところが,終わったら皆ニコニコ顔でハイタッチとか求めてきて…。そのとき悟ったんです。これは競争ではなく,イベントを楽しむものなんだと。それで「エア・ギターってなんて素晴らしいんだろう」って(笑)。
―それでいきなり4位ですか。すごいです。当時はエア・ギターなんて言葉誰も知らなかったのではないですか?
金剛地さん そうです。最近では,ギター以外でもエア○○なんて言葉も使うようになりましたが,僕が先駆けですね。コピーライトを取っていれば生活は安定していたかな(笑)。
―どうでしょう(笑)。エア・ギターで演奏する曲はどうしているんですか。
金剛地さん 自分で作ってるんですよ(ギターで演奏したベートーヴェンの「運命」をスマートフォンで流す)。
―おお!さすがミュージシャン,すごい作り込んでいますね。
金剛地さん しっかりギターを弾いて録音して,本番ではギター持たずにエア・ギターって,何やってんだかって感じですね(笑)。エア・ギターの競技者としては引退しましたが,今年「エア・エイド」というのをやったんですよ。東日本大震災の義援金集めのため日本中のエアギタリストに声をかけて,エアギターのオークションをやったりね。ギター・スタンドを持ってきて「これが市川君が日本一になった2008年の大会で使ったエア・ギターです」なんて(笑)。それでも5000円くらいで売れたりして(笑),結局10万円くらい集まって赤十字に寄付しました。
―ばかばかしいけど,なんだかいい話ですね(笑)。ところで,実は金剛地さんと僕は,ボーイスカウト横浜31団に所属した先輩後輩の仲なんですね。
金剛地さん そうです。岩田先輩です(笑)。約30年ぶりの再会ですね。
―僕は高校時代に団をやめてしまいましたが,金剛地さんは今でも続けておられるとか。
金剛地さん 実は10年くらい顔を出していませんが登録は残っています。後輩から「登録だけは残しておいて下さい」なんて言われましてね。ありがたいことです。登録費がかかるんですけどね(笑)。後輩の奴らは,渋谷クワトロのライブにボーイスカウトの制服で観に来たんですよ。
―夜のライブハウスにボーイスカウトって…場違いな感じです(笑)。ミュージシャンとしてデビューしたころにはボーイ隊の隊長もやっていたと聞いていますが,結構忙しかったんじゃないですか?
金剛地さん 音楽家なんてヒマですから(笑)。僕も高校のときは音楽に夢中でスカウトからは離れていましたが,キャンプしながら富士山を0合目から頂上まで登ったこともありましたよ。その後,大学生のときにスカウトの大先輩からイベントの裏方を頼まれまして,そのくらいの年齢になるとリーダーですが,楽しくなってきたって感じですね。ボーイスカウトはやはりリーダーまでやらないと(笑)。
―これからはどういう活動を中心にしていきたいですか?
金剛地さん 音楽でも芝居でもタレント活動もどれも続けていきたいですね。いろんな方向に伸びていって,やじろべえのようにバランスを取っていけばいいんじゃないかと。「お前は何をやりたいかはっきりしないからダメなんだ」と言われることもありますが,流されていく人生も捨てたもんじゃないなと(笑)。
―これからもご活躍をお祈りしています。本日はありがとうございました。